BIOGRAPHY
THE HORRORS
2006年に出現した最もエキサイティングなバンド、ザ・ホラーズはスリリングでアンフェタミンを摂取したような、60年代のR&Bとグランジの音を鳴り響かせている。
バンド・メンバー -
ファリス・ロッター(Vo)、トメシー・ファース(B)、ジョシュア・ヴォン・グリム(G)、スパイダー・ウエッブ(Org)、コフィン・ジョー(Dr)の5人が紡ぎだすサウンドは、シャングリ・ラズとザ・クランプスの音をほうふつとさせる。ステージ上の15分間、彼らはカオス的とも言えるライヴ・パフォーマンスを披露し、狂信的なファンを作った。それがザ・フラテリスとThe
Maccabeesともに行ったNME Rock N Roll Riot Tour in Oct
2006の出来事であり、彼らの存在が多くの人々に知られることとなったのである。
またビョーク/エイフェックス・ツインの映像作品で知られるクリス・カニンガムが監督したビデオ、「シーナ・イズ・ア・パラサイト」で大量マウスブザー?(声?)の言葉をつくるのに一役買っている。オスカーにノミネートされたサマンサ・モートンがそのビデオに足を振るメイン・キャラクターとして出演。MTVで放送禁止となったことで話題となり、Youtubeでは10万回以上見られ、オンラインで初日2万回以上プレイされたのだ。
NMEのカバーやThe Independentでのフィーチャー、The Times & The
Guardianなど既に広範囲でのプレスのサポートを得ながらもZane
LoweとXFMのジョン・ケネディからもサポートを受け、ザ・ホラーズはどんどんビックになりつつあるのだ。
彼らはソールド・アウト・シングル「シーナ・イズ・ア・パラサイト」と「デス・アット・ザ・チャペル」(現在
e-bayで売れに売れている)に続き、ニック・ケイヴ率いるバッド・シーズのジム・スクラヴノスがプロデュース、アラン・モウルダーがミックスを行ったシングル、「カウント・イン・ファイヴス」が10月30日にリリースされた。そして2007年3月5日、ザ・ホラーズの全容が明らかになるアルバムが遂にリリースされる!
彼らの挑発にのるか、そるか?
“共感など一切求めない。素晴らしい音楽が何か知りたければ、一歩踏み出すがいい。この抑えられない高揚感、高まる鼓動、こいつらには逆らえない!”
“俺たちがスタンダードだ。理解できない糞野郎共は放っておけ”、そんな挑発的なサウンドは50年代のロカビリー、60年代のガレージ、70年代のポスト・パンク、80年代のノー・ウェイヴと様々な音楽をブレンドしたもので、ザ・ホラーズの独自の世界観の軸となってる。見掛け倒しのバンドが多い中、ザ・ホラーズはあなたに想像を遥かに超えたロックンロールで挑んでくる。鼓膜が破れるくらいのヴォリュームで聴く覚悟はおありか?
【 デビューからアルバム制作まで 】
ザ・ホラーズはセックスピストル以来、最も刺激的なブリティッシュ・バンドかもしれない。しかし、2005年の9月に彼らにとって初のギグを行って以来、彼に何が起こったか把握しているものは非常に少ない。
「変なことだよ、だって俺たちがギグをするときは誰のこともイライラさせようとかおちょくるつもりもなくて、ただプレイしようとしてるだけなのに、結局トラブルになってしまうのさ」、キーボードのスパイダー・ウェッブは冷静に説明する。「とは言え、人を喜ばせようとも思わない。それに怒らせるのにも何の抵抗もないし、人が俺たちのことをどう思っていようが別に気にしちゃいない。人を怒らせようがぜんぜん構わないよ」
バンド・メンバーが50年代のロカビリーから60年代のガレージ、70年代のパンク、80年代のノー・ウェイヴ等のヴィンテージ音楽の狂信的コレクターであるということは勿論のことだが、彼等自身ファースト・アルバムはどの様なサウンドにすべきか明確な考えがあったのである。
「俺たちがバンドをやり始めたのはもしかしたらギグができるかもって思ったのと、お金を貯めて限定の7インチ・レコードでも出そうと思ったんだよ」、ウェッブは言う。「2回リハーサルした後に初のギグを行ったというのが重要なんだ。アルバム用の曲を書いて、ツアーに出て、レコード会社と契約するってことはしたくなかった。俺たちの最初のギグは、本当に結成して3週間後だったんだ。そう、何もかも目まぐるしく起こっていった。でも、それがそう決まっていたかのようだったんだ」
「バンドやってるとか、演奏し始めたばっかりとかで、経験っていったらゼロに等しいバンドのエネルギーと情熱を、”Strange
House”では描きたかった」、とウェッブは続ける。「だからこのアルバムは俺たちの一年前のリハーサル・ルームでスクリーミング・ロード・サッチの「ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)」やザ・ソニックスの”The
Witch”をカバーしていた時から世界をツアーするまでの道のりをドキュメンタリーにしたみたいなもんだよ」
ジム・スクラヴノス(ex バッド・シーズ、ex クランプス、ex
ソニック・ユースのドラマー)とはリンカーンシャイヤの礼拝堂で、ニック・ジナー(ヤー・ヤー・ヤーズのギタリスト)とはレイ・デイヴィス(キンクス)所有のコンク・スタジオで、ベン・ヒリヤー(ブラー、デペッシュ・モード)とはジョージ・マーチン所有のエア・スタジオで、アラン・モウルダー(デペッシュ・モード、U2)とはウェスト・ヒース・スタジオでと様々なプロデューサーと様々な場所でレコーディングを行い、ラジオの雑音、ファリスの複雑で詩的な歌詞、ジョシュア(大学で物理学を専攻し、自分でギター・ペダルを製作するなど、自作の電気機器をこよなく愛する)が粉砕されたガレージ・リフと共に紡ぎ出すギター・サウンドでできた濃い塊のような『ストレンジ・ハウス~異形者の館』が完成した。
「このアルバムは一年以上かけてレコーディングしたんだ」、ウェッブは大勢のプロデューサー名を上げて説明をする。「いつもギグばかりしてたから、レコーディングは最高だったよ。トイレで歌ったり、ギターにドリルで穴開けたり、ドラムスティックでベース弾いたり、スタジオにあるテレビを全てに電気障害を引き起こさせたりね」
俺たちはライブのような感じにもしたかった。実際『ストレンジ・ハウス~異形者たちの館』の多くはライヴ収録されているんだ。だから全て脱ぎ捨て裸になって基本に戻ったんだよ。結構禁欲的な感じだったけど、ライヴの持つエネルギーは保てたんだ。
「できるだけ多くの人に演奏をするべきだと思っている」、ウェブは言う。「そしてツアーでは俺たちはシルクスクリーンのポスターを作ったり、ファン雑誌を出したり、メンバーそれぞれはステージのセット・チェンジには箱一杯のレコードを持ってDJをやるんだ。ステージに出るまで楽屋に隠れてるっていうような事がいやなんだよ。俺たちの演奏はイベントだからね」
「去年最高だったのは観客のリアクションだね。LAであってもだよ」、ファリスは言う。「日本ではファンが俺たちのスタイルを真似してて。もっとも彼らの方が良かったけどね。いろいろな人々の人生に俺たちが影響を与えてると言えばそれはすごく嬉しいことだよ。色んな幅のオーディエンスに発信する機会があるバンドってそうそういないし、そういう意味では他のバンドの真似にならないようにしなきゃいけないっていう大きな責任があると思う」
『ストレンジ・ハウス~異形者たちの館』は他のバンドとは違うサウンドだっていうことだけじゃなく、初期の間ニック・ストリート・プリーチャーズを彷彿とさせるが、バンド・メンバーそれぞれ受けた影響をうまく融合しザ・ホラーズにしかできない音を作り出している。これはランドマーク的なレコードである。過去12ヶ月が躁状態であったが、今後も更に”ストレンジ”(奇妙)になっていくだろう。