BIOGRAPHY
THE HELLACOPTERS
1994年、当時ENTOMBEDというバンドでドラマーとして活動していたニッケがギターを手に取りもともと仲の良かった音楽仲間とバンドをはじめたのがTHE HELLACOPTERSの始まり。モーターヘッド、KISS、MC5など敬愛するバンドに影響されたサウンドであるものの、その抜群のメロディ・センスで、頭から中々離れないサウンドを作り上げた。ラウドで、汗臭く、ダーティーなロックンロールという...
95年には数多くのシングルをリリース、地元スウェーデンのプレスはすぐに彼らに飛び付き、こぞってレヴューを掲載し続けた。そして96年6月、初のフル・アルバム『SUPERSHITTY TO THE MAX』をヨーロッパでリリース、リスナーの度肝を抜くこのアルバムは、スウェーデン・グラミーで「ハード・ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞、その後ヨーロッパ中のクラブでギグを重ね(「俺が最初にヘラコプターズを目撃したんだ!」というファンが続出したという)、KISSのオープニング・アクトとしてアリーナ級のステージにも立った。97年にはセカンド・アルバム『PAYIN’ THE DUES』をヨーロッパのみでリリース、既に多くのフォロワーを生んでいたヨーロッパだけでなく、アメリカでも輸入盤が入ってきてアンダーグラウンドでかなりの盛り上がりを見せた。レヴューやインタビューがHR界の聖書とも言えるKERRANG!、METAL HAMMERなどに掲載され、TIME OUT NEW YORK誌で年間最優秀アルバムに選ばれる。
USでアンダーグラウンドから一気に地上に飛び出したのが98年のこと。この年10月、USのレーベルから彼らのファースト・アルバム『SUPERSHITTY TO THE MAX』がリリースされ、その直後の11月にUSで行われたCMJのイヴェントに出演、そしてNEW TIME BOMB、FU MANCHUと共にツアーに出、ほとんどのショウをソールドアウトにする。スウェーデンに戻ってからレコーディングに入り、同年6月、いよいよUSのレーベル「SUB POP」から彼らにとって3枚目となるアルバム『GRANDE ROCK』をリリース、ハイオク満タンの計12曲を収録したロック・アンセムで生め尽くされたこのアルバムでさらに多くのファンの度肝を抜くことになる。
ここ日本でもかなりのファンを獲得しているヘラコプターズ。98年にワイルドハーツのオープニング・アクトとして初来日、そしてサード・アルバムリリース後に単独日本公演を行い、その小細工なしの爆走ロックでファンを狂気させている。(会場は渋谷クアトロ、心斎橋クアトロ、そして屋根裏の3箇所)
そして2000年、メジャーのユニバーサルとワールドワイドの契約を結び、いよいよ彼らの新作が届けられる。『ハイ・ヴィジビリティ』と名付けられたこのアルバムは、『GRANDE ROCK』をぶっちぎりで追いぬいてしまうほどのパワーを持っている。耳をひくリフからスピード感にまみれた爆走ロックが始まり、メロディが際立つ名曲「ホープレス・ケース」がオープニングを飾り、ハイ・スピードなドラムから始まる「ベイビー・ボーダーライン」、ヨーロッパではファースト・シングルとなるパーカッシヴなピアノが印象的な「トーイズ・アンド・フレイヴァーズ」、爽快爆走ロック炸裂の「アイ・ワナ・タッチ」等、フル・スロットル全開でぶっとばす計13曲。この音は20世紀最後に現れたロック・アンセムとなりうるパワーを秘めている...
1994年、当時ENTOMBEDというバンドでドラマーとして活動していたニッケがギターを手に取りもともと仲の良かった音楽仲間とバンドをはじめたのがTHE HELLACOPTERSの始まり。モーターヘッド、KISS、MC5など敬愛するバンドに影響されたサウンドであるものの、その抜群のメロディ・センスで、頭から中々離れないサウンドを作り上げた。ラウドで、汗臭く、ダーティーなロックンロールという...
95年には数多くのシングルをリリース、地元スウェーデンのプレスはすぐに彼らに飛び付き、こぞってレヴューを掲載し続けた。そして96年6月、初のフル・アルバム『SUPERSHITTY TO THE MAX』をヨーロッパでリリース、リスナーの度肝を抜くこのアルバムは、スウェーデン・グラミーで「ハード・ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞、その後ヨーロッパ中のクラブでギグを重ね(「俺が最初にヘラコプターズを目撃したんだ!」というファンが続出したという)、KISSのオープニング・アクトとしてアリーナ級のステージにも立った。97年にはセカンド・アルバム『PAYIN’ THE DUES』をヨーロッパのみでリリース、既に多くのフォロワーを生んでいたヨーロッパだけでなく、アメリカでも輸入盤が入ってきてアンダーグラウンドでかなりの盛り上がりを見せた。レヴューやインタビューがHR界の聖書とも言えるKERRANG!、METAL HAMMERなどに掲載され、TIME OUT NEW YORK誌で年間最優秀アルバムに選ばれる。
USでアンダーグラウンドから一気に地上に飛び出したのが98年のこと。この年10月、USのレーベルから彼らのファースト・アルバム『SUPERSHITTY TO THE MAX』がリリースされ、その直後の11月にUSで行われたCMJのイヴェントに出演、そしてNEW TIME BOMB、FU MANCHUと共にツアーに出、ほとんどのショウをソールドアウトにする。スウェーデンに戻ってからレコーディングに入り、同年6月、いよいよUSのレーベル「SUB POP」から彼らにとって3枚目となるアルバム『GRANDE ROCK』をリリース、ハイオク満タンの計12曲を収録したロック・アンセムで生め尽くされたこのアルバムでさらに多くのファンの度肝を抜くことになる。
ここ日本でもかなりのファンを獲得しているヘラコプターズ。98年にワイルドハーツのオープニング・アクトとして初来日、そしてサード・アルバムリリース後に単独日本公演を行い、その小細工なしの爆走ロックでファンを狂気させている。(会場は渋谷クアトロ、心斎橋クアトロ、そして屋根裏の3箇所)
そして2000年、メジャーのユニバーサルとワールドワイドの契約を結び、いよいよ彼らの新作が届けられる。『ハイ・ヴィジビリティ』と名付けられたこのアルバムは、『GRANDE ROCK』をぶっちぎりで追いぬいてしまうほどのパワーを持っている。耳をひくリフからスピード感にまみれた爆走ロックが始まり、メロディが際立つ名曲「ホープレス・ケース」がオープニングを飾り、ハイ・スピードなドラムから始まる「ベイビー・ボーダーライン」、ヨーロッパではファースト・シングルとなるパーカッシヴなピアノが印象的な「トーイズ・アンド・フレイヴァーズ」、爽快爆走ロック炸裂の「アイ・ワナ・タッチ」等、フル・スロットル全開でぶっとばす計13曲。この音は20世紀最後に現れたロック・アンセムとなりうるパワーを秘めている...