BIOGRAPHY

初恋の嵐 are:
西山達郎(Vocal&Guitar) /2002年3月2日没(享年25歳) 隅倉弘至(Bass) 鈴木正敏(Drums)

1997年 大学の友人同士で結成。サニーディ・サービスやはっぴいえんど、等のコピーにオリジナルを混ぜ、学内を中心にゆる~い活動を続けていた…。
1998年 そんな中、西山がかつてカルト的な人気を集めていた伝説のバンド「HIPGELLO(ヒップゲロー)」の玉川裕高と出会い、カントリーロックバンド「コモンビル」を結成(西山はベース、ヴォーカル、ソングライティングを担当)。ライブのみの活動であったにもかかわらず口コミでその存在が静かに話題となる。
1999年 コモンビルの活動が活発化して行く中、一旦解散。
2000年7月 “魔がさして”再結成。
12月 ファースト・ミニ・アルバム『バラード・コレクション』をMULE RECODSからリリース。殆どノン・プロモーションであったにも拘わらず、外資系レコード店を中心にじわじわと人気を高める。レコーディング直後に初代ベーシストが留学の為脱退するものの、現メンバーである隅倉が即座に加入。
2000年末~ 新宿、下北沢、なぜか秋葉原(笑)、等のライブ・ハウスで地味~に活動を重ねる。しかし、2001年春 この段階で常にどこかのメーカーの人間が観に来ている状況。多い時は6~7社が顔を出す事も…。

01年春からは更に活動を活発化し、月に3~4本のペースでライブを行い着実に動員を増やし続ける.
8月 ファースト・シングル『Untitled』をMULE RECORDSからリリース。その楽曲の完成度の高さに、媒体や音楽業界でも一気に注目を浴び始める。bay-fmでは8月度「ミッド・ナイト・パワープレイ」を獲得、またFM802でのオンエアやスペースシャワーTV等
でのビデオ・オンエアも活発化。

又、東京エリア以外では初となる名古屋ライブも敢行。好評を博す。大阪でも大阪城野音でのイベント・ライブ&タワーレコード心斎橋でのインストア・ライブが予定されていたが台風のため中止となる。(その後、11月、12月の2回大阪でもライブを敢行。雪辱を晴らす(?)。これだけの活動にも拘わらず、中部&関西地区のコンサート・イベンターが”初恋”獲得に奔走。争奪戦となる。)
10月 オムニバス・アルバム「新宿ミーティング」に『君の名前を呼べば』(新宿JAMライブ)で参加。(タワーレコード新宿店・限定1,000枚発売)
秋 マネージメントをスマイルカンパニーのホライゾン・エンタテイメントに決定。同じく5社間の争奪戦の末、レコード会社がユニバーサルミュージックに決まる。

翌春のデビューに向けてプリプロダクション、レコーディング等に突入。
2002年2月 同事務所のスクービー・ドゥとのジョイント・ツアー等、地方でのライブも勢力的に展開。
3月 3月2日、ボーカル・ギターでソングライティングを担当していた西山達郎が急性心不全で急逝。

3月27日、コンピレーション・アルバム「Smells Like Teenage Symphony」(ドリーミュージック)発売、『涙の旅路(new version)』で参加。
この『涙の旅路』は、CRJ-WESTのドメスティック・チャートで1位を獲得した他、全国のカレッジ・ラジオで上位にランク・イン。

西山の生前に予定が組まれていた3本のライブを”初恋の嵐 with friends”という形で敢行。
3/29:渋谷egg-site、4/12:新宿LOFT「スペースシャワー列伝~幸結の宴~」、4/12:渋谷ON AIR nestバンドと交流のあるミュージシャンをゲストとして招いたこのライブには、木暮晋也(ヒックスビル)、曽我部恵一(ex.サニーデイサービス)、堂島孝平、田辺マモル、無頼庵、ヨシンバ、デイジー、クリンゴン、エレキベース、コモンビル、等々…が参加。

上記の『涙の旅路』がニッポン放送「LF+R DISC」の第1号に選定され、GW期間を中心に2週間パワープレイされる。(4/29~5/12)
5月 盟友、無頼庵にベース隅倉とドラムス鈴木が参加した形でライブを行なう。
初恋の嵐のナンバーやコモンビルのナンバー等、西山が作った曲もライブで披露。
5/12:渋谷ON AIR nest、 5/25:大阪バナナホール「club Teenage Symphony」、他
3月~6月 制作途中だった音源を、残ったメンバー・スタッフが引き続きレコーディング。
7月10日 メジャーデビュー・シングル『真夏の夜の事』c/w 涙の旅路(original version)リリース。
8月21日 ファースト・アルバム『初恋に捧ぐ』リリース。