BIOGRAPHY

GUNS N’ ROSES


Bio


[1962年]
■ 2月6日、W. アクセル・ローズ、インディアナ州ラファイエットに生まれる。
■ 4月8日、イジー・ストラドリン、フロリダ州に生まれる。

[1964年]
■ 2月5日、ダフ・マッケイガン、ワシントン州シアトルに生まれる。 [1965年]
■ 1月22日、スティーヴン・アドラー、オハイオ州クリーヴランドに生まれる。
■ 7月23日、スラッシュ、英国ストーク・オン・トレントに生まれる。

[1983年]
■ アクセルとイジーが中心となり、L.A.でA.X.L.が結成される。バンドはその後ROSE、HOLLYWOOD ROSE…と変貌を重ねる。

[1984年]
■ スラッシュとスティーヴンが組んだROAD CREWに、ダフが加入。

[1985年]
■ HOLLYWOOD ROSE解散。アクセルとL.A.GUNSのトレイシー・ガンズが意気投合し、GUNS N’ROSES(以下GN’R)結成。2人に加えイジーとロブ・ガードナー(ds)という顔ぶれ。
■ トレイシーとロブが脱退。6月6日、ROAD CREWの3名と合流し、7月20日にはハリウッドの『トルバドール』で同ラインナップでの初ライヴを行なう。

[1986年]
■ 初頭、自主制作によるミニ・ライヴ・アルバム『LIVE!?★@LIKE A SUICIDE』発表。
■ 3月、エレクトラ在職時にMOTLEY CRUE、DOKKEN等を契約に至らしめた敏腕A&R、トム・ズータウの目にとまり、ゲフィン・レコードと7万5,000ドルで契約を交わす。
■ ズータウの計らいで当時のAEROSMITHのマネージャー、ティム・コリンズに紹介されるが、コリンズの滞在先ホテルでのミーティング終了後、400ドル相当の飲食費を彼の部屋につけたことで怒りを買い、ご破算に。結果、当時GREAT WHITEが所属していた『ストラヴィンスキー・ブラザーズ』に落ち着く。

[1987年]
■ 6月、ロンドンの『マーキー』で2日間のショウケース・ライヴ。アルバム・デビューを前に『ケラング!』誌の表紙を飾る。
■ 7月、『アペタイト・フォー・ディストラクション』発売。が、間もなくロボットが女性をレイプする場面を描いたアートワークにクレームがつき、十字架タトゥー図案への変更を余儀なくされる。
■ 8月29日、『アペタイト~』がビルボード誌チャート182位にランク・イン(以降、全米チャート記録はすべて同誌による)。
■ 年末、スティーヴンがバーで喧嘩し手を骨折。CINDERELLAのフレッド・コウリーを代役に迎えパサディナでの3公演を消化する。

[1988年]
■ 2月、フェニックスでの公演中にアクセルが倒れ、一時入院。このため、予定されていたデイヴ・リー・ロスとのツアーを断念。
■ 5月、日本編集によるミニ・アルバム『ライヴ・フロム・ザ・ジャングル』を発表。後に契約上の問題から生産中止に。
■ 7月に決定していた来日公演が、アクセルの急性気管支炎により12月に延期される。
■ 8月6日、『アペタイト~』が全米チャート首位に。同時期、AEROSMITHの『パーマネント・ヴァケイション』ツアーに同行。
■ 8月20日、英国の『モンスターズ・オブ・ロック』に参加。共演はIRON MAIDEN、KISS、MEGADETH他。GN’Rの演奏中、2人の観客が群衆の中で圧死する事故が。
■ 9月10日、「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」が全米1位に。以降『アペタイト~』からのシングルは「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」(7位)、「パラダイス・シティ」(5位)、「ナイトレイン」(93位)…と続く。
■ クリント・イーストウッド主演の人気シリーズ映画、『ダーティハリー5/THE DEAD POOL』にロック・スター役で一瞬出演。
■ 12月4日の東京・NHKホールを皮切りに、初来日公演を行なう。最終日には”追加公演”として日本武道館を制覇。
■ 年末、『LIVE!?★@LIKE A SUICIDE』の音源と新録によるアコースティック曲を組み合わせた『GNRライズ』をリリース。

[1989年]
■ 4月、『GN’Rライズ』から「ペイシェンス」をシングル・カット(最高4位)。これと前後してアルバム自体も2位まで上昇。
■ 6月8日、ニューヨークでのエイズ撲滅チャリティ・イベントへの出演を、主催者側から拒絶される。『GN’Rライズ』収録の「ワン・イン・ア・ミリオン」の歌詞に”ファゴット”というホモセクシュアル差別用語が含まれる件に、ゲイ団体が抗議したため。
■ 8月、マイケル・モンローのビデオ・クリップ、「デッド・ジェイル・オア・ロックン・ロール」にアクセルがゲスト参加。その撮影だけのためにニューヨークへ。
■ 8月27日、旅客機内で他の乗客に迷惑をかけたとしてイジー逮捕。2日後に保釈。
■ 9月、アクセルがゲスト参加したスティーヴ・ジョーンズのアルバム、『ファイアー&ガソリン』発売。
■ 9月6日、L.A.の『ユニバーサル・アンフィシアター』での『MTV ビデオ・ミュージック・アウォード』授賞式で「スウィート・チャイルド~」が最優秀ビデオに。が、受賞挨拶の際の4文字言葉連発で顰蹙を買う。また、同日の楽屋でイジーがMOTLEY CRUEのヴィンス・ニールに殴られるという事件も。
■ 10月、L.A.『メモリアル・コロシアム』でのROLLING STONES公演の前座を務める。
■ ドラッグ中毒治療中のスティーヴンが『アメリカン・ミュージック・アウォード』授賞式出演不能となり、ドン・ヘンリーが代役を。彼が同年夏に発表した『エンド・オブ・ザ・イノセンス』にはアクセルもゲスト参加。

[1990年]
■ 1月、マイク・クリンクをプロデューサーに迎え、L.A.にてレコーディング開始。
■ 4月7日、インディアナポリスで開催された『ファーム・エイド 4』に出演。
■ スラッシュとダフ、イギー・ポップの『ブリック・バイ・ブリック』アルバムに参加。
■ スティーヴン、ドラッグ中毒回復まで10ヵ月の猶予を与えられるも立ち直れず、脱退へ。6月上旬にはザ・カルトでの活動歴を持つマット・ソーラムを後任に迎え、キーボード奏者のディジー・リードも加えた6人組に。
■ 7月、新ラインナップでのレコーディングやり直しを開始。同じ頃、「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」のスタジオ・テイクを初めて収録したサントラ盤、『デイズ・オブ・サンダー』発売。
■ 8月、ルーマニア救済チャリティ・アルバム『ノーバディズ・チャイルド』発売。GN’Rは未発表曲「シヴィル・ウォー」を提供。
■ 10月、ステレオの音がウルサいと抗議してきた隣人女性にワインの瓶を投げつけたとしてアクセル緊急逮捕。が、同日釈放。証拠不充分により無罪。その後アクセルは転居。

[1991年]
■ 1月、ブラジルでの『ロック・イン・リオ』に出演。マット、ディジーを含むラインナップでの初ライヴとなり、25万人もの観衆の前で新曲7曲を含む演奏を披露。
■ 4月、スラッシュの参加したレニー・クラヴィッツ第2作、『ママ・セッド』発売。
■ 『ストラヴィンキー・ブラザーズ』から、同社でツアー・マネージャーを担当していたダグ・ゴールドステインと共に離脱。自らのマネージメント『BIG F.D.』を設立する。
■ 5月、アルバム完成を待たずして、ウィスコンシン州アルパイン・ヴァレーを皮切りにツアー開始。前座はSKID ROW。
■ 6月、シングル「ユー・クッド・ビー・マイン」を発表。アーノルド・シュワルツェネッガー主演による『ターミネーター 2』の主題歌でもあるこの曲は、最高29位を記録。
■ 6月20日、ワシントン近郊で公演中、アクセルが「観客がセキュリティから不当に乱暴な行為を受けているのを止めるため」に客席に飛び込む。ショウは一時中断。
■ 7月2日、セントルイス公演で暴動発生。80人が負傷、16人が逮捕される。その発端は、「無許可でビデオ撮影をしていた観客の存在を知らせたのにセキュリティが何の対応もせず、アクセルが腹を立ててカメラを取り上げようとステージを途中放棄した」ため。
■ 7月19日、スティーヴンがバンド及びマネージメントを詐欺、名誉毀損等で告訴。彼の言い分は「’90年3月28日、何の説明もないままバンドを追い出された」というもの。
■ 発売日が二転三転した後、9月17日、『ユーズ・ユア・イリュージョンI』『~II』が世界同時発売に。米では発売当日の午前零時に開店するレコード店も。2枚のアルバムは全米チャート初登場で1, 2位を独占。
■ 『ユーズ~』から「ドント・クライ」をシングル・カット(全米10位)。ビデオ・クリップ撮影現場にイジーが現れず、バンドは彼抜きのままこれを完成。以降シングルは「リヴ・アンド・レット・ダイ」(33位)、「ノーヴェンバー・レイン」(3位)、「イエスタデイズ」(72位)と続く。
■ 9月24日、『ロサンゼルス・タイムズ』紙が、「イジーは最低でも今後5年間はGN’Rのツアーに参加しない」と報道。
■ 秋、スティーヴンが元VAINのデイヴィ・ヴェインらと合体。ROAD CREWを名乗る新バンドを始動させるが、短命に終わる。
■ 11月、イジーの後任に元CANDY~KILL FOR THRILLSのギルビー・クラークを迎える。同じ頃、スラッシュが参加したマイケル・ジャクソンのアルバム、『DANGEROUS』発売。

[1992年]
■ 2月、東京ドームにて来日公演。
■ 4月、ロンドン『ウェンブリー・スタジアム』でのフレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演。
■ 10月、イジーが自らのバンド、JU JU HOUNDSを率いて始動。いきなり来日公演を行ない、アルバムもそれを追いかけるように登場。
■ 12月30、31日に行われたマイケル・ジャクソンの東京ドーム公演にスラッシュがゲスト出演。彼は、この件のためだけに来日。

[1993年]
■ 1月、『東京ドーム』にて来日公演。最終日には、ちょうど来日中で同じホテルに滞在していたロン・ウッドが飛び入り。
■ 2月23日、コーラスやホーン・セクション等を排除した6人編成での全米ツアーを開始。
■ 4月29日、ギルビーがバイク事故で左手骨折。その代役として5月22日からの欧州ツアーでは、当初の5公演でイジーを起用。
■ 7月17日のブエノスアイレス公演をもって、’91年春から続いたワールド・ツアーを完了。
■ 9月、スティーヴンが在籍時の契約内容をめぐり告訴。バンド側が230万ドルの示談金を支払うことで一応は決着。同月、JU JU HOUNDS再来日。
■ 10月8日、ダフが初のソロ作『ビリーヴ・イン・ミー』を発表。欧州ツアーを開始。
■ 11月、パンク系を中心としたカヴァー集、『ザ・スパゲティ・インシデント ?』発表。13曲目に隠しトラックとして収められた「ルック・アット・ユア・ゲーム・ガール」が凶悪殺人犯、チャールズ・マンソンの作である事実が物議を呼ぶ。
■ 米『フォーブス』誌の選出による「世界で最も稼いだロック・バンド」で1位に。

[1994年]
■ 1月、L.A.大地震。スラッシュとギルビーの自宅が被害に遭う。
■ 1月19日、ダフ来日公演。
■ 映画『ハイランダー 3』に出演が予定されて居たアクセル、撮影時間に現われずスタッフを待たせ、結果、役を降ろされる。
■ 6月26日、ロンドンでのギブソン100周年記念イベントにスラッシュが出演。ジョー・ペリー、ジミー・ペイジと共に『リヴィング・レジェンド』賞を受賞。
■ 夏、ギルビー解雇。同時にイジー復帰、デイヴ・ナヴァロへの接近、アクセルとスラッシュの不仲といった噂が飛び、新譜の制作が暗礁に乗り上げていることが明らかに。
■ ギルビーが初ソロ作『ポーンショップ・ギターズ』を発表。
■ 8月14日、『ウッドストック ’94』でスラッシュがポール・ロジャースと共演。
■ GN’Rをモチーフにしたピンボール・マシンが登場。未発表が聴かれることも話題に。
■ ギルビーの後任にアクセルの旧友、ポール・ヒュージが迎えられる。
■ ハロウィンの夜、アクセル宅でのパーティに招待されたスラッシュが、当のアクセルに避けられ、キレまくる。
■ 12月、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のサントラ盤発売。GN’RはROLLING STONESの「悪魔を憐れむ歌」をカヴァー。
■ GN’R解散説が英国大衆紙『サン』を皮切りに交錯。原因は「次作用だったはずの曲をスラッシュが無許可で自らのアルバムでの使用を決めた」ことにより彼とアクセルの間に亀裂が生じたためと報じられる

[1995年]
■ 2月、スラッシュ率いるSLASH’S SNAKEPITがアルバム『イッツ・ファイヴ・オクロック・サムホエア』を発表。
■ スラッシュの後任候補としてザック・ワイルド、ウォーレン・デ・マルティーニといった名前が飛び交う。
■ ラスヴェガスの『ハード・ロック・ホテル & カジノ』開店記念パーティでダフ、ギルビー、イジーが揃って演奏。同時期、イジーはSNAKEPITのシカゴ公演にも飛び入り。
■ 5月、SNAKEPIT来日公演。ギルビーも参加。
■ 10月21日、アクセルの友人で『ユーズ~』にも参加していたBLIND MELONのシャノン・フーンがドラッグ過剰摂取のため死去。
■ 秋、ダフとマットがスティーヴ・ジョーンズ(元SEX PISTOLS)、ジョン・テイラー(元DURAN DURAN)と結成したNEUROTIC OUTSIDERSが始動。同時にGN’R解散説も再燃。
■ ギルビーが『スパゲティ・インシデント ?』参加に伴うギャラが正当に支払われていないとしてバンド側を告訴。

[1996年]
■ 4月、ナイル・ロジャースを中心とするイベント『JTスーパー・プロデューサーズ ’96』に出演のためスラッシュが来日。
■ 4月、L.A.を訪れたイジー、ダフとジャムり10曲ほどを作曲。その後アクセルにも再会しデモ・テープを手渡すが、後日弁護士から「関与するな」とのFAXを受け取る。
■ 9月、NEUROTIC OUTSIDERSがアルバム発表。
■ 11月、GN’R初期に共作ライターとして多くの楽曲を提供したウエスト・アーキーン率いるTHE OUTPATIENCEが、『アンクシャス・ディジーズ』を発表。アクセル、スラッシュ、イジー、ダフがゲスト参加。
■ 夏、『アペタイト~』発売10周年を記念して、米MTVがアクセルの居場所と動向を探るのを目的とする特別枠を番組内に設ける。
■ 10月、ダフが「GN’Rは週5日、毎晩6時間は作業している」と発言。また「アクセルがリズム・ギターを弾き、イジーが戻ってくる可能性はない」とも発言。
■ 11月上旬、スラッシュ脱退がMTVを通じて流される。これは10月31日付けでアクセルがレコード会社にもマネージメントにも無断でMTVに送りつけていたファックスがもと。この文面には「スラッシュは1995年末をもって正式離脱。1994年4月以降、彼は全く音楽的に関与していなかった」とされている。
■ 12月、スラッシュが参加した『フェティッシュ』のサントラ盤が発売される。

[1997年]
■ スラッシュの後任としてスティーヴ・ジョーンズの名前があがる。
■ マット解雇。後任候補として、マネージメントを通じてSEPULTURAのイゴール・カヴァレラに打診するも断られる。同時期、アクセルが「GUNS N’ROSES」という名称の所有権を法的に獲得。
■ 3月、ギルビーが第2作ソロ・アルバム、『ハングオーヴァー』を発表。
■ 4月、GN’Rと同じスタジオで録音作業中だったシャキール・オニールと意気投合。シャックはGN’Rの曲に合わせてラップを録音。
■ モービーをプロデューサーに迎えてのスタジオ入り、4月にNINE INCH NAILSを辞めたロビン・フィンクとの合流が確認される。
■ 5月30日、ドラッグ過剰摂取によりウエスト・アーキーン死去。
■ 10月、モービー降板が伝えられる。自身によれば原因は拘束期間の長さゆえ。

[1998年]
■ 年明け早々、マネージメント側が「ダフが残るか否かは彼次第。アクセルはポール・ヒュージ、ロビン・フィンク、ディジー・リードと共に曲作りに励んでおり、既に300時間以上の録音作業を行なっている」と公表。
■ 2月10日、フェニックスの空港でアクセル逮捕。荷物チェックを拒否したうえ、検査官に暴言を吐き、拳を振り上げたためとされているが、実際には「機内持ち込みの荷物に、友人から誕生日プレゼントに貰った高価なガラス工芸品が入っていたため、気をつけるよう注意しただけだった」とも。この逮捕に伴い、髪を切ったアクセルの”近影”がインターネット上を飛び交う。
■ 3月、イジーが新作『117°』を発表。
■ 春、ダフの後任としてトミー・スティンソン(元THE REPLACEMENTS)の加入が噂される。
■ 6月、ダフがかつて在籍したシアトルのバンド、TEN MUNITE WARNINGを自ら再結成。米サブ・ポップよりEPを発表。

[1999年]
■ ダフの第2作『ビューティフル・ディジーズ』完成。しかし、ゲフィン・レコードとの契約上の理由から、お蔵入りとなる。
■ GN’Rのラインナップがアクセル、ディジー、ポール、ロビンに加え、トミー・スティンソン、元VANDALSのジョシュ・フリースであることが確認される。
■ 米『スピン』誌7月号がアクセルを表紙に、『WHAT THE WORLDD NEEDS NOW IS AXL ROSE』という特集を組む。
■ 7月、映画『ビッグ・ダディ』のサントラ盤発売。シェリル・クロウによる「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」のカヴァーがフィーチュアされ、話題に。
■ 7月24日、ガールフレンドを殴ったとしてスラッシュ逮捕。新生SNAKEPITとしてレコーディングを開始した矢先だった。
■ NINが活動再開に伴いロビン・フィンクが同バンドに復帰。GN’R脱退ではなく「2年間の契約満了」だったとも言われている。
■ 11月、2枚組ライヴ・アルバム『LIVE ERA』発表。ほぼ時を同じくして、新曲「オー・マイ・ゴッド」をフィーチュアした、映画『エンド・オブ・デイズ』のサントラ盤登場。
■ 12月、イジー・ストラドリンの新作ソロ・アルバム『ライド・オン』発売。


Text by 増田 勇一