BIOGRAPHY
GPRAN BREGOVIC / ゴラン・ブレゴヴィッチ
ゴラン・ブレゴヴィッチの名は、やはりエミール・クストリッツァの名と対で記憶され、語られることが圧倒的に多かったわけだが、そうした状況もここ数年は 変わりつつある。つまり、「クストリッツァ映画のサントラ担当者」としてではなく、「バルカン地方の民俗音楽を巧みに援用した作曲家」として、高く評価さ れているのだ。
ブレゴヴィッチは1950年、ボスニア=ヘルツェゴビナの首都サラエヴォで生まれた。父親がクロアチア人、母親がセルビア人という、まさに複合国家ユーゴ スラヴィアの象徴のような血脈は、彼の音楽性を考える時、無視できない要素だろう。子供の頃からピアノやヴァイオリンなどクラシック音楽の教育を受けた が、16才頃からロックンロールに没頭し始め、バンドを作ってギターやベイスなどを担当。特に74年から86年まで続いたBjelo Dugme(White Button)では、10数枚のアルバムを発表し、その人気もかなりのものだったようだ。
そんな彼のキャリアのターニング・ポイントとなったのが、89年、同郷のエミール・クストリッツァの映画「ジプシーのとき」のサントラを担当したことだっ
た。ユーゴのロマ(ジプシー)音楽やセルビア正教会の聖歌、イタリアのトラッド・フォークなどを巧みにアレンジ/配合したその音楽には、映画音楽家ブレゴ
ヴィッチのその後の基本手法がほぼ網羅されている。ブレゴヴィッチはこの仕事の成功をきっかけに、「アリゾナ・ドリーム」や「アンダーグラウンド」などの
クストリッツァ作品、あるいは「王妃マルゴ」(パトリス・シェロー監督)や「聖なる夜」(ニコラス・クロッツ監督)、「Train De
Vie」(ラドゥ・ミハイリヌ監督)、「Kuduz」(アデミール・ケノヴィッチ監督)といった作品のサントラを次々と手掛け、映画音楽家としての名声を
高めていった。と同時に、映画の挿入歌のヒット(イギー・ポップが歌っ「アリゾナ・ドリーム」のテーマ曲とか)なども手伝って、バルカンのエスニックな要
素の濃い、ハイブリッドなポップ・ミュージックの作曲家としても広く注目されようになった。トルコ歌謡の女王セゼン・アクスやギリシャの大ヴェテラン、ヨ
ルゴス・ダラーラスなどが、彼の作
品だけをカヴァしたアルバムを発表しているし、また、ブレゴヴィッチ本人も既にソロ・アルバムを3枚ほど発表している。メランコリックなメロディと変拍子
の多いリズムには、常に猥雑さとユーモアが同居し、一聴してすぐに彼の音楽だとわかるキャラに溢れている。ロック・ミュージシャンとしてのシャープなセンスとバルカン民俗音楽に関する豊富な教養が絶妙に調和したオリジナルなサウンドだ。(松山
晋也)
2000/7/28更新