アップル時代の名盤6タイトルプラス 特典DVDを追加収納した豪華BOX SET『The Apple Years』がついに発売となりました!発売を記念し、オリヴィア・ハリスンへの電話インタビューも実施。貴重なインタビューを4回に分けてお伝えします。

第4回 2014.11.05UP

Q: さらには「ディン・ドン」のPV で初めてあなたがいたことに気づいたのですが、あれはあなたですよね?

O:(笑)ええ、私よ!あの時、ジョージとはまだ知り合ったばかりだったの。あの日のジョージは妙におかしくて「よし、ヴィデオを作ろう!」と言いだして、いろんな小物を集めたり、ジョージのお気に入りのカメラマンだったニック・ノーランドを呼び、一日中歩き回り、どんどん気持ちがハイになって、悪ふざけしてしまったのよ。

Q: あなたが映っているシーンでドラムを叩いていたのはリンゴですか?

O: いいえ。あれはサウンドをやっていた人。あとはラヴィ・シャンカールの甥っ子で、ジョージのエンジニアだったクマー・シャンカール。ジョージが彼に教えて、長いこと、見習いエンジニアとしてジョージの元で働いていたわ。本当にお遊びのような感じだったの。有名監督がいたわけでもなかったし、脚本だってもちろん存在しなかった。ジョージも心から楽しんで、恥ずかしさなんて何も感じてなかったみたい。当然ながら、かっこつけようなんていう気持ちはまるでなかったわね。取り巻きはほとんどいなくて、すべて一人でやってしまったのよ。ジョージにはそういうところがあるのよ。

(ここであと5分のwarning)

Q:あのヴィデオでジョージは裸でギターを弾いたり、ジョンの真似をしたり…ジョンへのオマージュを払っているように思えました。モンティ・パイソン的なギャグをみて、ジョンが笑ってくれたら嬉しいな、とジョージが思ってたのではないかと。

O:(笑)あれを見て笑ってくれる人が一人でもいたなら、ジョージは喜んだと思うわ。しかもそれがジョンだったら、大喜びしたでしょうね!でも本当のところは、時間が進むに連れて、どんどんジョージが乗ってきてしまい「じゃあ、次は屋上に上がろう」「またスタジオに戻ろう」「今度はあれを使ってみよう」というように、思いつくままに撮影していたの。「ディン・ドン」のあのring out the old, ring in the new, ring out the false, ring in the true…という歌詞の通り、“過去”のものの中に囲まれた自分がどれだけ愚かに見えるか、ということをジョージは表現したのよ。もちろんビートルズというバンド、ビートルズが遂げたことには最大のリスペクトを抱きつつ。でも同時に自分自身を笑い飛ばし、「今までとまったく違うことをやりたい」「過去にやってきたことはここで笑い飛ばしてしまえ」とね。新しいこと、違うことをするために、自分のイメージ、過去のイメージ、自分がやってきたこと…それを崩そうとしてたのだと思うわ。でもそれはたやすいことではない。ファンは変わってほしくない、ずっと今までのジョージでいてくれ、と願うわけだから。でも彼は自分なりの違うやり方を模索した。違う曲を書いた。違うアイディアを表現した。ジョンがそうしたように。ポールがそうしたように。リンゴがそうしたように…。そのためには、時には過去のイメージをすべて閉め出さなきゃならないのだと思うわ。ジョージはそれを彼なりのおかしなやり方でやっていたのよ。だって、そうじゃなかったら、あのビートルズのスーツをなぜ彼はわざわざ着たの?ということよね。

Q:これでおそらく最後の質問になってしまうと思いますが、91年にエリックと来た日本ツアーの思い出が何かあれば教えて下さい。

O:あのバンドと一緒にいられたことが何よりも嬉しかったわ。エリックを始め、エリックのバンドはみんな一流のミュージシャンばかり。とても楽しかったし、ジョージをサポートしてくれた。すべてエリックのおかげよ。エリックが声をかけてくれたから、ジョージはツアーに出る気になったのだもの。エリックには感謝しているわ。「僕も一緒に行くから行こうぜ!僕らが君のバンドを努めるから!」と言ってくれたのだもの。そうでなかったら、実現していなかったと思う。ミュージシャン全員で新幹線に乗ったり。ジョージは日本にはビートルズの武道館公演以来、訪れていなかったのよね?あれ以来、初めてだったはずよね。とても気に入っていたわ。日本の文化も。誰もが親切で礼儀正しくて、ショッピングも楽しんだりして。何よりも、毎晩、バンドとステージに立つことを楽しんでいたわ。

Q:その日本公演の映像は今後発表される予定はありますか?

O: 私はそうしたいわ。そうしたいと思っている。ただ、そのためには準備が必要だけど、その方向で進めるつもりよ。これまでリリースされている(日本公演からの)映像には、実はちょっとごまかしがあるのよ。コンサートの模様はちゃんとは撮影されていなくて、あるのは会場のジャンボトロンの大きなスクリーン映像なの。だからサウンドやショットなど、手直しをしなければならなくて・・・でもそれは可能だと思っているわ。

(ここで「ダーク・ホース・ツアー」の話を聞こうとしたところで、時間切れとなりました)


第3回 2014.10.29UP

Q:やや細かい質問をうかがっていきますが、今回は新たにこれまで知られていなかった未発表曲をたくさん見つけることができたのですか?たとえばボーナス・トラックの「ジ・インナー・ライト」や・・・

O:「オールモスト・シャンカール」?

Q: はい、そうです。

O:あれは大好きな曲だわ。ジョージはムンバイでレコーディングをした際、「ジ・インナー・ライト」も一緒にレコーディングしたの。最終的に「レディ・マドンナ」のB面に収められた曲ね。そして同じ時に「オールモスト・シャンカール」と呼ばれるラーガをレコーディングしていたのよ。ラーガは特定の音を使った曲で、ジョージはそれらの音が大好きだった。そんなラーガ独特のフィーリングを持った曲を作りたいと思い、それでalmost シャンカール、つまりalmostそのラーガの音、というタイトルになったのよ。あれは私のお気に入りの一つだわ。他にも初めて聴く曲があったけれど、とても興味深いインストゥルメンタル・ミュージックだったわ。

Q:今回、それらは保管庫かどこかにあったのを、初めてみつけたのですか?

O:ええ。あることはわかっていたの。マーティン・スコセッシとドキュメンタリー映画を制作していた時、ジャイルス・マーティン、ポール・ヒックス、ダニー、そして私で、探せる限りのテープを聴いたの。スタジオで喋っているジョージの声とか、トラックのオルタナティヴ・テイクとか。かなり膨大な量だったわ。マーティン(スコセッシ)はジョージが1966年とか、そのくらいの時点で、もうインドで現地のミュージシャン達とレコーディングをしていたことにとても関心を持っていた。そんな過程で(あの曲も含め)多くの曲をみつけたわ。1966年当時から2000年くらいまでの期間にたまったものよ。今もたまに聴き返すことがあるわ。ジョージが書き始めていた書きかけの曲。それらは未完のまま、永遠に書き終えられることがないのだと思うと、寂しい気持ちにはなるわ。

Q: 他にもそういった未発表音源はあるということですか?

O: あるけれど、ほとんどの曲は書き終えられていないの。だからそれらが皆さんの耳に届くことになるのかはわからない。私としては発表したいし、私なりのアイディアはいくつかあるのだけどまずはその前に今回のを届けることが先だった。長いこと、かかってしまっていたから。

Q:ジョージはもともと「ジ・インナー・ライト」を『ワンダーウォール』に入れる意図があったのか、ご存知ですか?

O: わからないわ。でも良い質問ね。そうね、だったらなぜあの曲をあの時に録音したの?ということになるわよね。ミュージシャン達がいて、楽器を使ってレコーディングできるチャンスに恵まれたからかもしれないし。良い質問だわ。答えがみつかるように、ちょっと調べてみるわ。

Q: さきほど触れられていた「ジス・ギター」のプラチナム・ウィアード・ヴァージョンが収録されていますね…

O: ええ。デイヴ・ステュワートがしばらく前に送ってくれたものなの。デイヴがジョージに電話をかけてきて「今、自分がやっているspoof series(パロディのシリーズ)のためのレコーディングに来てくれないか?」と言ってきたのよ。ジョージは出かけていって、レコーディングをした。それから数年後、今度は(デイヴから)ダニーに来てもらえないかと頼まれ、ダニーがギターを弾いたのよ。2005年のことだったかしら。

Q:そのセッションにあなたも同席したのですか?

O:いいえ。確か、ダニーが一緒に行ったはずよ。というのも、ダニーとデイヴの息子たちは友達で、家族ぐるみでつきあっていたから。そうやって電話をかけてきてくれたデイヴには感謝しているわ。他にも何人かミュージシャン達がデイヴの電話で集まったのよ。

Q: リンゴもいましたか?

O: リンゴが参加したのは、2005年にダニーが弾いた時だと思うわ。デイヴが(ジョージが弾いた時の)トラックを引っ張りだしてきて、その上に重ねたのよ。


第2回 2014.10.23UP

Q: 『オール・シングス・マスト・パス』はいかがですか?

O: 『オール・シングス・マスト・パス』の収録曲の多くを、ジョージはバンドが解散する前に書いていたの。彼自身が何度も語っている話だけど、曲のストックがかなりたまっていたので、自分を表現する準備は出来ていた、と。『ワンダーウォール』と『エレクトロニック・サウンド』が作られたのは、まだビートルズがレコーディングを行っていた頃だから、『オール・シングス・マスト・パス』が実質、ジョージの初めてのソロだったわけね。今も色あせることないクラシック・アルバムだと思うし、ジョージ自身、とても誇りに感じていたと思うわ。たとえ本人はそう認めなかったとしても。私のフェイバレット・ソングも収められている。ここでのエリックのプレイは本当に美しいし、参加ミュージシャンの演奏も本当に素晴らしい。デレック&ザ・ドミノスも全員、他にも素晴らしいメンバーが演奏してくれている…そういうことを考えると、歴史的な1枚だったと言えるわね。

Q:あなたのフェイバレット・ソングが収められている、とおっしゃってましたが、それはどの曲ですか?

O: その時どきで変わるのだけど、昔から「ラン・オブ・ザ・ミル」は大好きなの。とてもラブリーなメッセージを湛えた曲だと思うから。ジョージもこの曲が大好きだった。あとは「レット・イット・ダウン」も…というか、全部好きだわ。

Q: では『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』について。

O: 『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』も私が大好きなアルバムの1枚よ。一般的にも人気の高いアルバムで、とても内省的。深く、いわゆるlost year subjectに思いを寄せ、自分自身の心の中を顧みるジョージの姿が見えるアルバムだわ。と同時に、ユーモアもそこかしこに散りばめられている。そして「ギブ・ミー・ラヴ」という、多くの人がおそらく知っているであろう曲が収められていて、その一方でビートルズのメンバーがお互いを訴え合っていたことへの苛立を歌った「スー・ミー・スー・ユー・ブルース」のような曲もある。アルバムタイトルが示す通りに、精神世界と物質世界を歌ったアルバムなのよ。だからgive me love, give me peace on earth と歌う一方で、互いを訴え合う曲もあったということ。そんな世の中の二面性をうまく言い表したアルバムだと私は思うわ。その時、ジョージ自身が生きていた世界の二面性ということね。

Q:『ダーク・ホース』。

O:『ダーク・ホース』の頃に私はジョージと知り合ったわ。だからこのアルバムに関しては、どうしても多少、贔屓目になってしまうかもしれない。ジョージの人生にとっても大きな転換期にあたる時期なので、それが反映された曲が多いのではないかしら。「ディン・ドン」のDing dong, ring out the old, ring in the newという歌詞はまさにジョージの人生に訪れた大きな変化のことだったのよ。離婚をし、アップルも解散し、すべてが変わろうとしていた。そのことを表現した曲なのだと思う。でもアップビートなアルバムで、作りながらジョージもとても楽しんでいたわ。当然、そのあとにはツアーにも出かけたしね。

Q:『エクストラ・テクスチャー』。

O: とても好きなアルバムよ。もう長いこと聴いていなかったのだけど、今回聴き返して、その良さを再発見したアルバムよ。リリース当時は、なんていうか…ヘヴィな曲だなぁと思っていたの(笑)。シリアスというか。でも改めて、なんて美しい曲、なんて美しいアルバムなのだろうと思ったわ。「This Guitar(Can’t Keep From Crying)」のプレイは本当に素晴らしいし、参加してくれたミュージシャンも素晴らしい。ジェシ・エド・デイヴィス、ジム・ケルトナー、「Tired of Midnight Blue」のレオン・ラッセル…。あの頃のことはよく覚えているわ。みんながいて、夜通しでセッションをしていた。「Tired of Midnight Blue」はそれはもう何度もテイクを重ねて、朝になりかけていたの。そしたらジョージが「やはり最初のテイクを使おう」と言って…レオンは「そうするだろうと思っていたよ」と言ってたわ。今も振り返る時、思い出すのは素晴らしいミュージシャン達が彼の周りにいたことね。アップル・レーベルからはこれが最後のアルバムになってしまったわ。


第1回 2014.10.15UP

Q:アップル時代のジョージのソロ6枚すべてがリマスターされ、新装版『アップル・イヤーズ1968-75』として発売されることになり、世界中のジョージ・ハリスン・ファンは喜んでいることと思います。このプロジェクトは、いつごろどのようにしてスタートしたのでしょうか?

オリヴィア・ハリスン(以下O):ジョージ本人が取りかかり始めたのは2000年くらいよ。まずは『オール・シングス・マスト・パス』のアニバーサリーを記念して出されたリマスター盤のために、そのあと『リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』を彼はリマスターした。計画としてはすべてのアルバムをリマスターしたいと考えていたのよ。でもそれは叶わぬまま、時間は足りなくなってしまった。それで、私とダニーでその数年後に『ダーク・ホース・イヤーズ』を出した。そこから今までの時間がかかってしまったというわけ。誰よりもダニーがやりたがっていたの。『ダーク・ホース・イヤーズ』で始めた、ジョージの音楽すべてをリマスターするというプロジェクトを、完了したい。つまりbookends(両脇からはさむ本立てのこと)という意味で。一言で言うなら、とても長い時間がかかってしまった、ということね。実際の作業は1年半くらいだったけど、やりたいと思い始めてからは10年近くがかかってしまったわ。

Q:無事完成できて、喜ばしいですね。

O:ええ、とても。

Q: ダニーが制作に関わったということですが、ボーナストラックなどを選んだのも彼ですか?

O:ダニー、そしてアップル、ビートルズと長いこと仕事をしたエンジニアのポール・ヒックスが中心になり、あとは私、そしてジャイルス・マーティンも加わり、ファンに喜んでもらえそうな、そして良い意味でジョージらしさが出ている曲はどれだろうか?と探したのよ。

Q: すみません、Dahniの呼び方はダーニ、それともダニー、どちらが正しいのですか?

O: ダニーよ。普通のダニー。もちろん、綴りではDah(ダー)とni(ニ)という2つの音節で成り立ってはいるけれど、ダーニと読ませるつもりはなかったの。普通にダニー、というのが正しいわ。

Q: それぞれのアルバムについて、コメントをいただけますか?どんなことでもいいです。どこがお好きかとか、ジョージらしさがどんな風に洗わせていると思うか、など。

O: いいわ。ボックスセット自体は見ている?

Q: アートワークということですか?

O: ええ、アートワークも含め、すべてダニーのコンセプトなのよ。1968年から1975年というタイトル通り、7年間で6枚ものアルバムをジョージは作った。さらにその間にバングラディッシュのコンサートを企画し、映画も1本作った。7年間でそれだけのことを成したげたということを考えると、どれほどその時期、彼が生産的でクリエイティヴだったかと驚かずにはいられないわ。7年間で7枚(*バングラディッシュを含めると)のアルバム、そして映画よ!ま、それはともかく。どこからスタートするんでしたっけ?

Q: 『ワンダーウォール』からお願いします。

O: 『ワンダーウォール』はジョージの大胆さと好奇心がよく表れたアルバムだと思うわ。これと次のアルバムはともにそう。彼自身、まだ精通していたわけではない音楽を、あえて試してみようとしたのだから。それってとても大胆なことだと思う。私は昔よりも今の方が『ワンダーウォール』のサントラが好きになってきたの。監督のジョー・マソットから映画音楽を書いてほしいと言われたジョージが「映画のスコアは書いたことがない」と答えたところ、ジョーからは「君の好きなように書いてくれていい」と言われたそうよ。「それなら、インディアン・スタイルの楽器を試すのにちょうどいいじゃないか」ということで、実際にインドに行き、ムンバイでレコーディングをしたの。当時、キャピトルのヘッドだったバスカー・メノン(?)がカルカッタからムンバイまで列車で録音機を運んできたと、ジョージは言っていたわ。ムンバイに2トラックの機械しかなかったからよ。パスカー自身はそのことを覚えていないのだけどね。それにしても、その当時、ジョージがまだ若干27歳で、映画のスコアを初めて手がけたということを考える時…しかも、今日とは違い、すべてが精密ではなかった時代、ジョージはストップウォッチを使って音楽を当てはめたのよ。しかも複数のインド人ミュージシャンを使って。それはエキサイティングな経験だったと思うわ。そしてイギリスにテープを持ち帰り、エリック・クラプトンのギターを加えた。ジョージにとって、勇敢で革新的で、前向きなプロジェクトだったはずでしょうね。それまで、少なくとも西洋世界では誰も聞いたことがなかった楽器を使い、レコーディングを行ったのですもの。

Q:続いて『エレクトロニック・サウンド』。

O:『エレクトロニック・サウンド』はとてもfunnyなアルバムだわ。文字通り、エレクトロニックなサウンド。当時は誰もが実験を試みていたの。彼等はアップルを立ち上げ、アップルだけじゃなくザップルも立ち上げ、そこからジョン&ヨーコはレコードを発表した。ジョージはモーグのシンセサイザーを手に入れ、『エレクトロニック・サウンド』を作った。当時のコンピューターが部屋の大きさくらいあったのと同じように、シンセサイザーも壁一面がいっぱいになってしまうほどの大きさだった。今なら両手で簡単に持ち上げられるでしょうけど。ジョージはその頃、シンセサイザーを使うのがどれほど大変だったか話してくれたことがあったわ。それにたとえ、気に入ったサウンドをみつけても、覚えておくことは出来なかったから、そのサウンドを再現することは出来なかったと。『エレクトロニック・サウンド』を作ったあと、(ビートルズは)「ヒア・カムズ・ザ・サン」のオープニングであのサウンドを取り入れた。あれはモーグのサウンドなのよ。またのブックレットの中でダニーも詳しく説明してように、アートワークはジョージ自身が描いた絵で、裏カバーの椅子に男の人が座っているでしょ。あれはアップルのオフィスよ。あそこに登場するキャラクターもアップルの周りにいた人たちばかり。ダニーがそこらへんを説明しているわ。とてもパーソナルな作品なのよ。

Q: ジョージの好奇心と実験性を表したアルバムだ、と思われるわけですね。

O: ええ。そうね。時代が実験的な時代だったのよ。アヴァンギャルドというか…。シュトックハウゼン、トミタ(冨田勲)…ジョージはトミタが大好きだったわ。”Snowflakes Are Dancing”や”Clair de lune”などを、よく一緒に聴いたわ。もちろんもっとあとの話よ。70年代後半から80年代の話。でもそんな風に彼は常に、時代の一歩先を行っていた。『エレクトロニック・サウンド』は内容的には非常にベーシックなものだったかもしれないけれど、多くの人のインスピレーションとなったのよ。ケミカル・ブラザーズはブックレットに寄稿してくれている。必ず誰もが好きな1枚がある、というそんなボックスセットなの。