BIOGRAPHY
Foxy Brow / フォクシー・ブラウン
1979年生まれ、ブルックリン出身。14歳のころにラッパーを志したという。
未契約の実力派ラッパーの登龍門として名高い「Lyricist Lounge」などにも出演し、
キャピトルからのデビューを目前としていたフォクシーだったが、レーベルとの折り合いが悪く、
結局この契約は破談となってしまう。
転機が訪れたのは1995年、地元のタレント・ショウ出演時にLBズ”Bitch Get A Job”のアンサー・ソングを披露。
偶然居合わせたトラックマスターズのポークとトーンに見初められ、ちょうどレコーディング中にあった LLクールJ”I Shot
Ya”のリミックス・ヴァージョンに、ファット・ジョーやキース・マリィらと共に参加することになる。
以降、1996年にはジェイ・Z”Ain’t No Nigga”を筆頭に、トータル”No One Else”、ケイス”Touch Me
Tease Me”、 トニ・ブラクストン”You’re Makin’ Me High”など数多くのヒット曲での客演を経て、
バッド・ボーイ・エンターテインメントをはじめとする大手レーベルの激しい争奪戦の末、
満を持してのデビュー・アルバム『イル・ナナ』をリリースする。 ブラックストリートを迎えたヒット・シングル”Get Me
Home”を含む、 トラックマスターズの全面バックアップで制作された同作は300万枚以上を売り上げ、
そのスキャンダラスなアーティスト・イメージは、ほぼ同時期にソロ・デビューを果たしたリル・キムと共に、
フィメイル・ラッパーの新しい在り方を強烈に印象付けた。
ナスやAZらと組んだプロジェクト=ザ・ファームのアルバム(1997年)への参加を経て、
1998年には2ndアルバム『チャイナ・ドール』を初登場1位へと導き、その地位を不動のものにした。
婚約を交わしていたコラプト(ドッグ・パウンド)との破局を皮切りに、 リル・キムとの確執や精神安定剤の多量服用による入院騒動など、
さまざまな問題を乗り越えて制作した3rdアルバム『ブロークン・サイレンス』を2001年夏にリリース。
そのタイトルに集約される通り、[フォクシー・ブラウン]健在を強くアピールする力作で、 “Oh Yeah””BK
Anthem””Candy”などのクラブ・ヒットを生み出すに至っている。