BIOGRAPHY
fergie
猿でもイケる、いい女。
日本でも爆発したブラック・アイド・ピーズの紅一点ファーギー、超待望のソロ・デビュー・アルバム。
ステイシー・”アン”
・ファーガソンのキャリアは、1983年あのアニメーション”スヌーピー”のサリー・ブラウン(チャーリー・ブラウンの妹)の声優としてスタートする。彼女がテレビ初登場となるのは、その少し後、彼女が8歳の時、『Kids
Incorporated』というヴァラエティ番組でだった。のちにワイルド・オーキッドという3人組のヴォーカル・グループを一緒に組むことになるレネー・サンズと共に5年間この番組に、100回以上の出演を果たした。
1990年、ファーガソンはワイルド・オーキッドのメンバーに加入。グループはメジャーから2枚のアルバムをリリースするも3枚目のアルバム・レコーディングを終了後、レーベルからリリースを拒否されてしまい、事実上の解散となってしまう。このワイルド・オーキッドの活動と平行して、ファーガソンは、Bongoや、Guessなどのアパレルのモデルとしても活動、フォックス・ファミリー・チャンネルで『The
Great Pretennders』という自身の番組も持っていた。しかしながら彼女はワイルド・オーキッドを去ってからまもなく、
“治療” が必要になってしまっていた。その時のことを、ある新聞社のインタヴューで彼女は答えている。
「 “エクスタシー” をやり始めてしまったの。それから “クリスタル・メタンフェタミン”
中毒になって、その頃の私の体重は41キロまで減ってしまったの。友達には拒食症だと嘘をついてたわ」
その治療でドラッグ中毒からなんとか抜け出すことが出来たファーガソンはLAのいろいろなコンサートやクラブでダンサーやバックアップ・シンガーの仕事をすることになる。そんな中、ある会場でブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムと彼女は運命的な出会いを果たす。ファーガソンとウィルはショウの後、何度もミーティングを重ねた。その結果、ファーガソンは、スタジオでレコーディングの誘いを受ける。正式メンバーになる前に彼女は5曲のレコーディングをし、2000年にグループを去ったバック・シンガーだったキム・ヒルに代わって正式メンバーとなった。
彼女はステージ・ネームを “ファーギー”
とし、「シャット・アップ」、「マイ・ハンプス」などで大々的にフィーチャーされるブラック・アイド・ピーズにはなくてはならない存在となる。
そしてブラック・アイド・ピーズのメンバーとしての活動と平行して、ファーギーは長年の夢であったアルバム『プリンセス・ファーギー~The
Dutchess』(2006年9月)のリリースとともにソロ活動も開始。
そのアルバムからは「ロンドン・ブリッジ」、「グラマラス」、「ビッグ・ガールズ・ドント・クライ」の3曲が全米#1を獲得するという快挙を達成、2007年9月現在リリースから1年を経てなお、チャートを賑わし続け、全世界で450万枚以上の大ヒットを記録中である。
また女優としてのキャリアも着実に積み重ね(映画『ポセイドン』では印象的なシンガーを、クエンティン・タランティーノ+ロバート・ロドリゲス監督の『プラネット・テラー』ではレズビアンを好演した)、自身のアパレル・ラインも立ち上げるなど、音楽以外での活動の場も広がり、マス・メディアに登場しない日はないほどのステータスを築き上げている。