富澤一誠


過ぎ去った思い出は時が経つにつれセピア色になっていく。特に少年少女時代の鮮烈な思い出は、時が経つと1枚のセピア色の写真となって心の片隅にしまわれる。どんな人にも、そんな写真の1枚か2枚は必ずあるものだ。

いつも心の奥深くにしまいこまれているだけにふだん意識することもない。しかし、何かの拍子で思い出されたときは、嫌なことは忘れて美しい思い出だけが 蘇ってくる。そんなとき、人はふと過去を振り返る。そして脳裏に少年少女時代の”あの頃の自分”を思い浮かべたりするものだ。セピア色の思い出だけにイ メージは勝手にふくらんでいく。そうこうしているうちに、セピア色の原風景が次第に総天然色となり、”あの頃の自分”が鮮明に浮かびあがってくる。〈脳裏 のスクリーン〉に映し出された〈あの頃の自分〉と対面したとき、現実の自分は己れの”原点”を再確認して”初心”を思い出し、「もっと頑張ろう」という元 気と「まだ頑張れる」という勇気をもらうのだ。
〈脳裏のスクリーン〉を誘発するきっかけとなるのが、誘発導入剤ともいうべき歌である。そんな歌を私は〈プライベート・スクリーン・ソング〉と名づけてい る。〈あの頃の自分〉と出会って、〈あの頃の自分〉に「今の自分はこれでいいのか?」と尋ねたいと思っている人は多いはずだ。過ぎ去った思い出を現実に引 き戻すことはできないが、”原点”と”初心”を再確認することで「前に進むしかない」という明確な指針を持つことができる。だからこそ、過去の思い出を原 色化してくれるきっかけともいうべき〈プライベート・スクリーン・ソング〉が必要とされているのである。そんな歌がないものか、と思っていたときに聴いた のが、恵莉花のニュー・アルバム『なつかしかなし』だった。特にタイトル曲の「なつかしかなし」を聴いたとき、これぞ私が捜し求めていた〈プライベート・ スクリーン・ソング〉だと確信した。

歌の主人公は、アイスクリームをほおばって遊んだ故郷で過ごした子供時代にタイムスリップして、今は亡き大切な人たちとの思い出を共有し〈あの頃の自分〉 と出会い、迷いの中にある現実の自分が進むべき道を選択する。おそらく大切な人の”声”が聴こえたのだろう。なつかしい思い出は同時にかなしい思い出であ ることも多いが、〈あの頃の自分〉の感情を思い出したときこそ、自分自身に立ち返り、自分らしく生きられるものだ。「なつかしかなし」を聴くと、ほとんど の人たちは”セピア色”の思い出を原色化することができるはずだ。「なつかしかなし」だけではない。アルバム全編に貫かれている恵莉花の歌声は紛れもな く、〈脳裏のスクリーン〉に写し出される自分自身のストーリー・シネマへの招待状である。

カバー曲なのにオリジナル曲であるという〈リバーシブル・カバー〉というニュー・ジャンルをファースト・アルバム『REVIVE』で確立した恵莉花が、セ カンド・アルバム『なつかしかなし』では〈プライベート・スクリーン・ソング〉という新境地を切り開いた。進化し続ける彼女に注目したい。