BIOGRAPHY

EDDI READER / エディ・リーダー


EDDI READERエディ・リーダー(本名サドニア・リーダー)、グラスゴー出身。7人兄弟の一番上に生まれた彼女は幼少期をそこで過ごした。家族が増えるにしたがって両親は引越しをすることを決意、全員でアーヴァインに移り住む。しかしエディは10代中頃にグラスゴーに戻り、祖母と暮らすようになる。彼女の両親が好んで聴いていたエルヴィス・プレスリーや、彼女の母が毎日歌を歌っていたことから彼女の音楽への興味はどんどんと増していく。10歳の時にクリスマス・プレゼントとして小さなギターを手にした彼女はその魅力のとりこになり、いつもギターを手にしていたという。グラスゴーに戻ってきた彼女は、Sauchiehall Streetでギターを片手にバスキングをして音楽の世界にのめり込んで行き、最終的にヨーロッパ各地をバスキングして廻っていた。

スコットランドに戻ってきた彼女は、地元のパンク・バンド、Gang Of Fourのバック・コーラスに参加、アメリカのツアーもここで体験することになる。そのツアーから戻った彼女はそのままロンドンに移り住み、スタジオで働きはじめ、ユーリーズミックスやアリソン・モイエらのレコーディングにコーラスとして参加する。その幅広い音楽性から、当時「Ever-ready(常に準備OK)」というニックネームを付けられる。

84年にソングライターでありギタリストであるマーク・E・ネヴィンと出会い、”Compact Organisation Sampler”でセッションを行った後、サイモン・エドワーズ、ロイ・ドッズとフェアグランド・アトラクションを結成、その直後にRCAと契約を結び、88年アルバム『ファースト・キッス(原題:First Of A Million Kiss)』を発表、そこからのシングル「パーフェクト」は全英チャート1位を獲得し、このアルバムは89年のブリット・アウォードで「ベスト・オブ・イヤー」に輝くという輝かしいデビューを飾る。しかし、メンバー間の緊張感が常に張り詰めており、エディ本人のソングライティングが充分に出来なかったことなどにより、このアルバム1枚を残してフェアグランド・アトラクションは90年の1月に解散することになる。

ちょうどこの頃、エディはBBCテレビで放映されていたスコットランドにおけるカントリー&ウェスタン音楽を描いたドラマ・シリーズ「Your Cheatin’ Heart」に出演していたのだが、そのタイトル曲は昔エディがバスキング時代によく演奏していた楽曲だったという奇妙な繋がりがあった。その後スコットランドにあるキマーノック・スタジオ(彼女の弟であるフランクのバンド、トラッシュキャン・シナトラズのスタジオ)でロイ・ドッズとデモ・テープをレコーディングしたりと、ゆっくりとソロとしての活動への準備をはじめていた。

ロンドンに戻ったエディとロイは出来あがっていたデモをもとにアルバムを制作、92年とフェアグランド・アトラクションと同じレーベルのRCAからファースト・ソロ・アルバム『エディ・リーダー(原題:Mirmama)』を発表。しかし、レーベルが期待したほどのセールスを確立することが出来ず、エディはRCAを離れる事になり、新たにワーナー傘下のBlanco Y Negroレーベルと契約を交わす。

次作のレコーディングのためにアメリカに渡った彼女は、プロデューサーにグレッグ・ペニー(K.D.ラングなどを手掛ける)を迎え、マーク・E・ネヴィンと共に曲を作ったり、新たに共作者としてブー・ハワディーン、テディ・ボロウィッキらと出会うなどして、素晴らしい楽曲を作っていく。そして出来上がった作品『天使の溜息(原題:Eddi Reader)』(’94年発売)はより大人っぽい作りになっており、全英チャートのトップ5にラインク・インすることになる。このアルバムからのシングル「ペイシャンス・オブ・エンジェルズ」がラジオ・チャートを駆けあがり、95年2月に行われたブリット・アウォードでエディは「ベスト・ブリティッシュ・フィーメイル」を受賞している。ロンドンに戻った彼女はまたブーとテディらと共にレコーディングを開始、チェルシーにあるスネイク・ランチ・スタジオで完成したソロとしては3作目となる『キャンディフロス&メディスィン(原題:Candyfloss and Medicine)』を96年に発表、より深みのあるメロウな作品となった今作は多くの評論家たちを唸らせる作品となった。このアルバムをフォローするツアーで出る前にシングル用のB面曲を数多くレコーディングしている。

ツアーから戻った彼女はすぐに次のアルバムの準備をはじめる。その骨格はすでに97年の段階で完成していたのだが、その年の初めにシングルB面曲を追加したヴァージョンで『キャンディフロス・アンド・メディスィン』がアメリカでリリースとなり、同時にファースト・アルバムである『エディ・リーダー』もBMG傘下のレーベルよりようやくアメリカでリリースされる。

4枚目のアルバムはすぐにでもリリースされる予定であったが、レーベルの状況が悪くなり、しばらく待つことになる。その間もエディとブーはアコースティック・セットでイギリスとアイルランドでのツアーを続け、Levellersの”マウス・トゥ・マウス・ツアー”にも参加したり、新たな曲のレコーディングを行ったりしていた。そしてようやく98年、『エンジェルズ・アンド・エレクトリシティ(原題:Angels & Electricity)』を発表、早期のツアーでのプロモーションや、力強いそのアルバムの内容で好評を博すが、シングルはリリースされることなく、最終的にイギリスと日本でのツアーが終了した時、Blanco Y Negroとの契約を延長しない事に決定した。

その後、数々のセッションへの参加、ブーとのプロジェクト・アルバムのリリースなどを経て、昔からの気の合った仲間達と制作したアルバム『シンプル・ソウル』を2001年に発表。日本、アメリカ、そしてヨーロッパでのツアー、UKでのフェスティヴァル出演など精力的に活動を行っている。