BIOGRAPHY
1949年11月1日にカナダのブリティッシュコロンビア州で生まれ、5歳でピアノを始める。16歳でワシントン大学のミュージック・プログラムを卒業するとチャック・ベリーのバックバンドとしてそのキャリアをスタート。71年に彼自身のバンド、スカイラークを結成し、72年のデビュー作「ワイルドフラワー」が全米9位の大ヒットとなる。
その後LAへと移り、ジョン・レノンやバーブラ・ストライサンドなどのレコーディングに参加し、セッション・アーティストとして活躍した後、76年にプロデューサーへと転身。すぐに頭角を現し、アース・ウインド&ファイアーに提供した「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」で最初のグラミー賞となる最優秀R&Bソング賞を受賞。この受賞をきっかけに、ケニー・ロジャース、ボズ・スキャッグス、アヴェレージ・ホワイト・バンドなどをプロデュースすることになり、82年にはシカゴの代表曲の一つとなる「素直になれなくて」と、アルバム『シカゴ16』の大ヒットを経て、名プロデューサーとしての地位を確立。
翌年にはライオネル・リッチーの超大作『オール・ナイト・ロング』を手掛け、84年の『シカゴ17』でフォスターはそれまでのキャリアの中で最大の成功をおさめる。続くシングル「忘れ得ぬ君に」もスマッシュヒットとなり、同年、初めてグラミー最優秀プロデューサー賞を受賞。90年には後に世界的な歌姫となるセリーヌ・ディオンを発掘。また92年には、ナタリー・コール『アンフォゲッタブル』でグラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀アルバム賞、最優秀プロデューサー賞の三冠に輝いた。
90年代からは映画音楽も手掛けるようになり、ホイットニー・ヒューストン主演『ボディガード』のサントラは世界的な大ヒット。
その後、現在に至るまで、マイケル・ジャクソン、マドンナ、フランク・シナトラなどの、ジャンルの枠に留まらないプロデュース活動と行う。また、アトランティック・レコードのサブ・レーベルとして自身のレーベル、143を立ち上げ、ザ・コアーズ、ジョシュ・グローバン、マイケル・ブーブレなどの見出した。
プロデュース業と並行して自身の音楽活動も行っており、デイヴィッド・フォスター&フレンズの名前でのライブ活動も精力的に行っている。