BIOGRAPHY
THE CURE
ロバート・スミス(ヴォーカル&ギター:バンド在籍暦32年)
サイモン・ギャラップ(ベース:バンド在籍暦29年)
ポール・トンプソン(ギター: バンド在籍暦15年)
ジェイソン・クーパー(ドラム: バンド在籍暦13年)
ザ・キュアー・ストーリー <2008年10月>
1976年、イージー・キュアーとして全てが始まった。ロバート・スミス(Vo&G)が学友だったマイケル・デンプシー(B)、ロル・トルハースト(Ds)と地元のギター・ヒーローだったポール・トンプソンと共に結成したバンドだ。彼らは曲を書き、オリジナル楽曲のデモ音源作りに結成すると直ぐに取り掛かった。1977年、イギリスの南部を1年通して増え続けるファンの前で演奏を続けた。1978年、ポールの脱退と共にバンド名を現在のザ・キュアーに改め、熱意ある3人はクリス・ペリーが起した新しいレーベル、フィクションと直ちに契約を結んだ。
1979年5月、ザ・キュアーのデビュー・アルバム、『スリー・イマジナリー・ボーイズ』はリリースとなり、偉大な称賛を得た。バンドはイギリス・ツアーを延長、「ボーイズ・ドント・クライ」と「ジャンピング・サムワン・エルスズ・トレイン」をアルバムからシングルとしてリリース。年末、マイケルが脱退、サイモン・ギャラップ(B9とマシュウ・ハートリー(Key)が加入するメンバー交代が起こった。1980年初頭、4人編成となったザ・キュアーは、ロバートのソングライティングの闇の部分をより突き詰めるとミニマリズムのクラッシック、『セヴンティーン・セカンズ』に結実。正真正銘の”ヒット・シングル”となった「ア・フォレスト」を収録。
激しいワールド・ツアー後、マシュウがグループを去っていった。そして1981年初頭、3人となったザ・キュアーは「プライマリー」というヒット・シングルを収録した悲しげな趣の音の風景(情景)の『フェイス』と命名されたアルバムをリリース。バンドはの”ザ・ピクチャー・ツアー”と銘打った2度目ワールド・ツアーに行い、その間にアルバム未収録となるシングル、「シャーロット・サムタイムズ」をリリース。1982年、ザ・キュアーはスタジオに戻り、彼らのますます醜悪となっていく絶望と崩壊への強い興味は『ポルノグラフィ』の無慈悲な音の攻撃でクライマックスに達した。ツアーは極めて不安定なものとなり、「ザ・ハンギング・ガーデン」はサイモンがバンドを脱退して直ぐにシングルとしてリリースされた。
行き過ぎた行為が限界を迎えた後、ロバートは物事を変えなければならないと感じ、もう一度”ポップ”になってみることで変化をもたらした。活気を取り戻した2人編成のザ・キュアーは彼らにとって初めてとなるダンス・シングル、悪趣味の「レッツ・ゴー・トゥ・ベッド」をリリース。監督であるティム・ポープとの変化に富み永続的な関係を構築することとなるビデオも併せて制作された。バンドは1983年もグルーヴィーでエレクトロニックなダンス・トラック、「ザ・ウォーク」、そしてその後に「ザ・ラヴキャッツ」で発狂した漫画のようなジャズを披露。1984年にリリースされた『ザ・トップ』は、伝染的なサイケデリック・シングル、「ザ・キャタピラー」を含む不思議な幻覚を誘発させるミックスだ。”ザ・ワールド・トップ・ツアー”ではバンド編成がアンディ・アンダーソン(Ds)、フィル・ソーナリィ(B)が新たに加入、ポール・トンプソン(G)が復帰し5名となる。
新生キュアー・サウンドは、ライヴ・アルバム、『コンサート』で楽しむことができる。アンディとフィルはツアーが終ると共に脱退、ボリス・ウィリアムス(Ds)が加入、サイモン・ギャラップ(B)が復帰し2人の穴を埋めた。この新しく形成されたザ・キュアーは”何かが起こっている”という本質的な感覚と共に1985年の作品、『ザ・ヘッド・オン・ザ・フロアー』の作業に取り掛かった。力強いヒット・シングル、「インビトゥイーン・デイズ」に続き「クロース・トゥ・ミー」がリリース、続いて行われたワールド・ツアーは1986年にリリースされたシングル・コレクション、『スタンディング・オン・ア・ビーチ』の巨大な成功への道を切り拓いた。その年の夏、ザ・キュアーはグラストンベリー・フェスティヴァルの初のヘッドライナーを務め、1年に亘ったギグとフェスティヴァルの模様はティム・ポープによって『ザ・キュアー・イン・オレンジ』という映像作品へと昇華した。
1987年、ザ・キュアーは強烈で並外れた文体の幅の素晴らしいダブル・アルバム、『キス・ミー、キス・ミー、キス・ミー』を発表した。ロジャー・オドネル(key)が参加し6ピースとなったキュアーは”キッスィング・ツアー”と名付けられたワールド・ツアーで世界を旅した。ツアー中にアルバムからは4曲のヒット・シングルが生まれた。素晴らしく趣がある『ディスインテグレイション』は1988年に試聴され、翌年1989年にリリースされた。力強く気が滅入る威厳を誇る作品にも関わらず、アルバムからは4曲のヒット・シングルが生まれた。ロル・トルハーストが脱退し5人編成となったザ・キュアーは称賛されている”プレイヤー・ツアー”に出た。現在までのザ・キュアーのベスト・パフォーマンスとも言われるショウも含んでおり、その模様はライヴ・アルバム、『エントリート』にシッカリと収められている。
1990年初頭、ロジャー・オドネルがバンドを去り、長年バンドの友人だったペリー・バモンテが加入した。ザ・キュアーは2度目となるグラストンベリーのヘッドライナーを含むヨーロッパのフェスティヴァルを無事に務めた。同年、アルバム『ミックスト・アップ』はリリースされ、「ネヴァー・イナフ」、「クロース・トゥ・ミー」、「ア・フォレスト」がリミックス・シングルとしてリリースされた。1991年、ザ・キュアーは遅すぎた感はあるがブリット・アワードにてベスト・ブリティッシュ・グループ賞を遂に手にした。
1992年、バンドは『ウィッシュ』を制作。多様性に富み複数の側面を持つギター・アルバムである人はバンドの最高傑作と称賛する作品だ。アルバムからは3曲の素晴らしいヒット・シングルが生まれた。アルバム発売後に行われた輝かしい”ウィッシュ・ツアー”は世界規模のものとなった。ショウの持つ純粋な力は1993年のライヴ2作品、『パリス』と『ショウ』へと結実する。ツアーが終ると直ぐにポール・トンプソンは今回は笑顔と共にバンドを去って行き、4人編成となったバンドはロンドンのフィンズベリー・パークで開催されrたXFMのグレイト・エクスペクテイションズ・ショウのヘッドライナーと務めた。映画「クロウ飛翔伝説」に「バーン」を提供し、ジミ・ヘンドリックスのトリビュート・アルバム『ストーン・フリー』の為に「紫のけむり」(パープル・ヘイズ)をカヴァーした。
1994年、ボリス・ウィリアムスはバンドを離れる決心をし、翌1995年ジェイソン・クーパーがドラマーの座に着いた。ロジャー・オドネルも再びキーボード・プレイヤーとしてバンドに参加することになった。新しいアルバムの作業からは、映画「ジャッジ・ドレッド」の為に「ドレッド・ソング」、XFMのアルバムの為にデヴィッド・ボウイの「ヤング・アメリカンズ」のカヴァーと副産物を生んだ。同年、25周年を迎えたグラストンベリーを含むヨーロッパの主要フェスティヴァルのヘッドライナーも務めた。1996年、『ワイルド・ムード・スウィングス』はリリースされ、世界のほぼ全てのマーケットでトップ10入りを果たした。ザ・キュアーはバンド史上最長となった”ザ・スウィング・ツアー”をスタート。4枚のシングルもリリース。
「ガロア」はシングルとビデオをまとめたコンピレーション『スタンディング・オン・ア・ビーチ』に続き1997年にリリースされた。翌年、1998年には「Xファイル」のアルバムの為にレコーディングされた「モア・ザン・ディス」やTVアニメーション「サウス・パーク」にロバート・スミスが記念すべき出演を果たしたりと様々な作品が世に送り出された。1999年、ザ・キュアーは現在までのベスト・スタジオ作品と数多くの人がみなし、グラミー賞にもノミネートされたアルバム、『ブラッドフラワーズ』のレコーディングとミキシングを完了させた。2000年のリリースと共にバンドは”ドリームツアー”と名付けられた大規模なワールド・ツアーをスタート。9ヶ月を掛けて100万人以上の前で演奏した。
2001年、待ち望まれていたバンドの最大のシングル・ヒット全てと哀愁を帯びた「カット・ヒア」と活気に満ち溢れたサフロンとのデュエット曲、「ジャスト・セイ・イエス」の2曲の新曲を収録した『グレイテスト・ヒッツ』がリリースされた。この年で23年間所属してきたフィクション・レコーズとの関係は最後を迎えることとなった。
2002年夏、バンドはベルリンのテンポドームで11月に開催予定の『ポルノグラフィ』、『ディスインテグレイション』と『ブラッドフラワーズ』(プラス・アンコール)の3枚のアルバム全曲をパフォーマンスする2夜に亘るスペシャル・コンサートの為のリハーサルに入る前にいくつものヨーロッパのフェスティヴァルでのヘッドライナーを務めた。2夜の公演は12台のハイヴィジョン用のビデオ・カメラで収録され、『トリロジー』名付けられたDVD作品としてリリースされた。
2003年、ザ・キュアーはゲフィンと3枚のアルバム契約を結び、バンドの新たなるキャリアが幕を開けた。2004年、ロバート・スミスがB面の楽曲やレア音源を編集した4枚組ボックス・セット、『ジョイン・ザ・ドッツ』をリリース、名高いロス・ロビンソンと共同プロデュースによる極めて高い評価を得たセルフ・タイトル・アルバム、『ザ・キュアー』を続けてリリース。3枚のシングル、「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」、「オルト・エンド」、「テイキング・オフ」は全て大ヒットとなった。リリース後に行われた23公演に及ぶキュリオサ・フェスティヴァルと銘打たれた北米ツアーは大成功を収めた。注目すべきはザ・キュアー自ら選んだインターポール、モグワイ、ザ・ラプチャー、ミューズといった若手バンドがサポートを務めたことだ。ザ・キュアーに影響を受けたバンドがバンドの功績を称えるためにカヴァー・パフォーマンスを披露するMTV
Iconアワードがロンドンで開催され、その年の幕を閉じた。
2005年、ペリー・バモンテとロジャー・オドネルの2人が脱退、ポール・トンプソンが3度目となるバンド復帰を果たした。5人編成となったバンドはライヴ8パリでお披露目をし、続いて数多くのヨーロッパのフェスティヴァルに出演した。初期の4作品(『スリー・イマジナリー・ボーイズ』、『セヴンティーン・セカンズ』、『フェイス』&『ポルノグラフィティ』)が現在行われている全作品のリマスター&リイシュー・キャンペーンの一環としてロバートが提供したレア音源を収録したCDを追加した2枚組デラックス・エディションとして再度リリースされた。2006年4月、1週間に亘りロイヤル・アルバート・ホールで開催されたティーンエイジ・キャンサー・トラスト・ショウの直後、13枚目となるスタジオ・アルバムのレコーディングに取り掛かった。6月のオフにはロバートはライヴDVDの作業を行った。8月には2度目のリイシューが行われ、『ザ・トップ』、『ザ・ヘッド・オン・ザ・ドア』&『キス・ミー、キス・ミー』の3作品が2枚組CDのデラックス・エディションとして、1983年の『ブルー・サンシャイン』と共にリリースされた。11月、5.1チャンネルのサラウンド・サウンドで選りすぐりの30曲ものライヴ・パフォーマンスを収録した155分に及ぶライヴDVD、『フェスティヴァル
2005』をリリース。作品は、夏にファンとクルーが撮影した映像と公演時に使用されたビッグ・スクリーン用の映像をミックスしたものだ。
Spring 2007 saw The Cure headline the Miami Ultra Music Festival before heading back into the studio to continue work on new songs. The 11 show Australasian leg of ‘The Cure 4Tour 2007-2008’ kicked off in July with a headline slot at the Fuji Rock Festival, the band’s first performance in Japan since 1984, before moving on through Hong Kong, Singapore, Australia and New Zealand. In October the band headlined the San Francisco Download Festival, before playing 3 wild nights in Mexico City at the Palacio de los Deportes, followed by an outstanding performance at the MTV Latin America Awards.
2007年春、ザ・キュアーはスタジオに戻り新曲の作業に再び取り掛かる前にマイアミ・ウルトラ・ミュージック・フェスティヴァルのヘッドライナーを務めた。オーストラリアとアジアを”ザ・キュアー4ツアー2007-2008″で11公演行った。ツアー最初の公演は7月のフジロックフェスティヴァル。1984年以後初めてとなるパフォーマンスを披露。その後、香港、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドへとバンドはツアーを続けた。10月、メキシコ・シティのパラシオ・デ・ロス・デポルテスで3日連続のショウを行う前にサンフランシスコで開催されたダウンロード・フェスティヴァルでヘッドライナーを務めた。その後、MTVラテン・アメリカ・アワーズでも素晴らしいパフォーマンスを披露した。
2008年2月、ザ・キュアーは”ザ・4・ツアー”という23公演のヨーロッパ・ツアーをスタート。アルバム・リリース前に4枚のシングルを毎月13日にリリースすることを決定。5月に「ジ・オンリー・ワン」をリリースし、その後に「フリーク・ショウ」、「スリープ・ホエン・アイム・デッド」と「ザ・パーフェクト・ボーイ」をリリースした。バンドは27公演完売となった”ザ・4・ツアー”の北米ツアーを行うと4枚のシングル全てがビルボードのチャートで1位を記録する。8月、4枚全てのシングルがTOP20に同時にランクするという驚くべき週もあった。9月になると有名な若きアーティストであるジェラルド・ウェイ(マイ・ケミカル・ロマンス)、ピート・ウェンツ&パトリック・スタンプ(フォール・アウト・ボーイ)、ジェイド・パジェット(AFI)と30セカンズ・トゥ・マーズがリミックスした4枚のシングルを収録した「Hypnagogic
States」をリリース。4ツアーのサポートを務める65デイズ・オブ・スタティックは4曲全てを1つのトラックにお遊び感覚でリミックス。このEPからアーティストに支払われる印税は全て国際赤十字に寄付された。
ローマのサン・ジョヴァンニ広場で開催されたMTVのイベントでザ・キュアーはアルバム発売の2週間前に収録曲13曲全てを7万5千人の観客と2百万人の試聴者の前で披露するという過激な手段を取った。こ
10月末、ロバート・スミスとキース・ウディンによってパークゲイト・スタジオで収録、調整、プロデュース、ミックスされたザ・キュアーにとって13枚目となるスタジオ録音アルバム、『4:13
ドリーム』はリリースされた。
続く・・・。
ティム・ブラザーズ