BIOGRAPHY
THE CRYSTAL METHOD
ロサンゼルスのエレクトロニックミュージック・デュオ、The Crystal Methodがデビューアルバムの”Vegas”をリリースしてからの4年間、メンバーたちは息をつく暇も無いありさまだ。スコット・カークランドとケ ン・ジョーダンは2年に渡り、出演者の折衷振りも本格的な数々のツァー(Family Values、Community Service、The Electric Highway)に参加したり、ヘッドライナーを務めたりしてきた。中西部の倉庫に集まったバギーなショートパンツ姿のキッズから、イタリアはミラノの ヴェルサーチのショウに集う影響力のあるファッションデザイナーに至るまで、ありとあらゆる人を相手に彼らは演奏してきた。そしてその音楽は、メジャーな 映画のサウンドトラック(Spawn、South Park、Lost In Space)やビデオゲームのスコア(Nitrous Oxide)にも登場。そうこうするうちに”Vegas”は、さっさと世界中でベストセラーになっていったのである。
しかし当のグループは、大半の時間をニューアルバムの企画やコンセプト作りとレコーディングに費やしてきた。 場所はボム・シェルター…、10年ほど前に彼らがカリフォルニア州グレンデイルの家の、車2台分のガレージの中に造ったスタジオである。努力の結晶 は”Tweekend”と題され、The Crystal Methodに対する世間の認識を引っ掻き回すべく待機している。低音で囲い込むようなハードにうねるテクノの造作は、相変わらずクラブ・キッズをその気 にさせるだろうが、一方では筋肉質のヒップホップ・ビートや流麗なファンクのメロディも、ラウドかつソフトなロックのダイナミクスを伴なって強化されてい る。「今回のは間違いなく、よりダークで、より寛容で、より余裕のあるアルバムだよ」とジョーダン。「引っかかりがあるんだよな」それは”(Can’t You) Trip Like I Do”や”Busy Child”といった大ヒット・シングルでは、ほのめかしにとどめられていた方向性だ。”Tweekend”は、”Vegas”の優れた点をまとめて引き 継いで、より良い仕上がりに持っていったのである。
「作りたいレコードを時間をかけて作るための条件は、全て揃っていたからね」とカークランドが言う。「前作以上にビッグでグッドでバッドなのを作り上げたかったんだ」
理屈は簡単だが、実際に取りかかった途端にこの企画は手強いものとなった。ハイハットや弾ける電気音、声の響 きのひとつひとつをミックスできちんと出したいという誘惑たるや圧倒的で、バンドは容赦無く各曲に取り組み、そして取りくみ直しては胸踊る完璧を目指し た。タイトルも決まった。「完成するのに、あと5年はかかると考え始めていたんだけれど」
自分たちのヴィジョンを遂行するためにThe Crystal Methodは、Stone Temple Pilotsのシンガー、スコット・ウェイランドや、楽し過ぎて4曲の共同プロデュースまで手掛けるに至ったRage Against The Machineのギタリスト、トム・モレロなど、選り抜きの友人や仲間を招いて”Tweekend”の収録曲に貢献してもらっている。DJ Swamp(ベック)が、そのダイナミックなターンテーブルのスキルを”Name Of The Game”に貸し出せば、マルチに楽器をこなすプロデューサーのジョン・ブリオン(フィオナ・アップル、エイミー・マン)も、1stアルバムの”Bad Stone”で演奏した自身の役割を、ここでは新曲の”Over The Line”でのコラボレーションで繰り返している。ウェイランドは”You Know It’s Hard”で歌い、ギターを弾いた。
「スコット・ウェイランドとのコラボレーションは、現代技術を目一杯駆使してやったんだ」ジョーダンは言う。 「一緒にやろうって言ってたんだけど、状況的にタイミングが悪くてね。だから俺たちからトラックをいくつか送って、あいつが好きなのを1つ選んで自分の パートを入れてからファイルを送り返してきて、今度は俺たちが、あいつのパートを元にトラックに手を入れ直したわけ。あいつがやってくれたものは入ってる けど、もうお互い2年も顔を合わせてないんだ」
「モレロはこの企画にすっかり入れ込んじまって、Rage Against The Machineのガチガチのスケジュールを白紙にしてまでThe Crystal Methodとのスタジオ作業に本腰を入れてくれたんだ。頼んでたプロダクションだけじゃなくて、結局は3つのトラックでギターを弾いたりトークボックスを使ったヴォーカルを歌ったりしてったよ」
「あいつが俺たちに形をつけてくれたんだ」と、カークランド。「すごく集中力のある人で、スタジオに現れる と、あれこれセッティングをしてすぐに仕事にかかる。時間が許せば、もっと俺たちのところでプロデュースしてったはずだよ。『おまえらの仕事がもっと早け れば、俺もこのバンドに入るところだがな』だってさ」
モレロは他に、”Tweekend”からの1stシングルである”Name of the Game”を共作し、プロデュースも共にした。この曲は、彼らがロサンゼルス周辺で未発掘の才能を求める中で偶然出会ったStyles of Beyondのメンバー、リョーの個性的なヴォーカル・スキルをフィーチャーしている。
ラスヴェガス育ちという背景は、カークランドとジョーダンに一風変わった幼少体験をもたらしている。Led Zeppelin、スティーヴィー・ワンダー、Motley Crue、Depeche Mode、AC/DCといったアーティストから成る音楽的栄養を幼い頃から摂り、カークランドは80年代半ばにバンドが大ブレイクする以前のマーク・ス ローターからギターのレッスンを受けていたことを今も覚えているし、方やジョーダンはDJをやったりラスヴェガス大学のカレッジラジオ局、KUNVの音楽 監督になったりして新しい音楽に浸っていった。
その2人が出会って音楽的な共通項を見出してから、砂漠のギャンブル・リゾート地が最先端のダンスミュージッ クで本格的なキャリアに乗り出すに相応しい場所ではないことに気づくまで、時間はかからなかった。1992年、彼らはロサンゼルスに居を移し、そこで書い た”Now is the Time”という徹底したサンプル基調のトラックが2人にとって初めてのアンダーグラウンド・クラブ・ヒットとなる。話題が沸騰し、メジャー各社のご機嫌 取りが始まった。少々の審議を要した後に同グループは、Geffen傘下から後にInterscopeに取り込まれたOutpost Recordingsと契約する。
「俺たちが経験してきたことは、みんな音楽に表れてるよ」カークランドは言う。「このアルバムは、絶対に最初のよりいい。2作目のジンクスなんて、そんなに気にならないね」