フリー・ソウル フリー・ソウル

フリー・ソウル

3/5にHMV&BOOKS TOKYOにて行われた、『Ultimate Free Soul 90s』の座談会。
2時間強にわたる濃い対談を詳細レポート!

橋本徹(SUBURBIA)×柳樂光隆(Jazz The New Chapter)×山本勇樹(Quiet Corner)
構成・文/waltzanova

 ジャケ

2016年3月5日にHMV&BOOKS TOKYO 5Fで行われた『Ultimate Free Soul 90s』発売記念トーク・イヴェント。選曲・監修者の橋本徹(SUBURBIA)さん、ゲストに「Jazz The New Chapter」主宰のジャズ評論家、柳樂光隆さんを迎え、司会は「Quiet Corner」主宰の山本勇樹さん(HMV)という3人で、『Ultimate Free Soul 90s』のコンセプトについての話を皮切りに90年代のフリー・ソウル、そして当時の音楽シーンやカルチャーについてへと広がり、話題の尽きない2時間強となった。トークの内容に補足する形で、僕が思い出したことや連想したことを書き連ねてみた。個人的な話も多くなるが、90年代に20歳前後を過ごした人間のメモワール(回想録)だと思って読んでもらえると嬉しい。


温故知新的な「Free Soul 90s」のフィロソフィー

山本:発売されたばかりの『Ultimate Free Soul 90s』、こちらはユニバーサルからの3枚組なんですが、まずは制作に至る経緯を橋本さんから簡単にご説明いただいていいですか。
橋本:2014年がフリー・ソウル20周年ということで、レコード会社の方からいくつか企画をいただいてコンピレイションを作ったんですね。その中で『Ultimate Free Soul Collection』という、僕たちがいいなと思ってプレイしてきたものの中で、特に人気が高かった曲を3枚組でスペシャル・プライスのコンピレイションにするというのがあって。これはもともとユニバーサルの営業さんの企画だったんですけど、そのときの僕はどちらかというと「2010s Urban」シリーズのような、現在進行形の選曲をやりたいなと思っていたので、「じゃあファンの人気投票で収録曲を決めてもいいんじゃないか」というような話もしていたんですけれども(笑)、同時に「2010s Urban」の選曲もしてくださいとのことだったので、『Ultimate Free Soul Collection』というのを作ったんですね。やはり営業の方の話は聞いておくべきなんでしょうか(笑)、これが大きなヒットになりまして。で、レコード会社の常として「Ultimate」シリーズでいろいろできるんじゃないかということで、モータウン編とブルーノート編と、その後ワーナーさんからもうちの会社の音源でどうですかということで、『Forever Free Soul Collection』というスピンオフ企画が誕生したんですけど。で、去年の夏前くらいに「新しいコンピレイションの企画どうですか?」という話をいただいた時期に、ちょうど「2010s Urban-Jazz」の対談がHMVであって、そのときにちょうどここにいる柳樂くんが「Free Soul 90s」シリーズをたくさん持ってきて話してくれたんです。それがどこかに引っかかっていて、じゃあ「Ultimate」で90sやりますか、という気持ちになったのが企画の発端というか、実はあの対談がモティヴェイションになって今日に至っていると。
柳樂:「Free Soul 90s」を持っていった理由は、橋本さんが最近の新譜を中心に「2010s Urban」のコンピレイションを作ってるじゃないですか。それに僕の「Jazz The New Chapter」(以下「JTNC」)っていう本で紹介しているようなアーティストが登場していて。
橋本:すごくシンクロしているんだよね。
柳樂:それを聴いたときに感じたフリー・ソウルっぽさが、70年代の音源を中心としたシリーズというよりは、90年代の「Free Soul 90s」の雰囲気ととても近いと感じて。
橋本:今日、2時間かけて3人で話したいと思ってるのはまさにそこで。『Ultimate Free Soul Collection』のコンセプトというのは、いわゆる“ベスト・オブ・ベスト”で、みんなが好きな曲やDJパーティーでのキラー・チューンがひたすら入っているというようなものだったんです。一方で「Free Soul 90s」は、山本くんや柳樂くんがよく理解してくれているように、それだけではなくていろんな時代やジャンル、過去と今を紐づけて音楽を楽しんでいくというコンセプトが大きくて、1995年にこちらのレジュメにもあるように6枚の「Free Soul 90s」のCDを出したんですけど、僕らの好きな70年代の曲のサンプリングやカヴァーなど、直接的な影響が大きい曲を収録していったんですね。『Ultimate』がすごく人気があるのは、「いい曲ばっかりだ」「懐かしいな」という部分が大きいと思うんですけど、今日はその部分ではなくて、「Free Soul 90s」のコンセプトの部分を皆さんにお伝えしたいなと。それはフリー・ソウルのやってきたことの重要な部分であり、なおかつ「JTNC」とも激しくシンクロする部分だと思うので。それを曲をかけながら説明していけたらいいなと。
山本:今、『Ultimate Free Soul 90s』のCDの説明を橋本さんからしていただいたんですけど、過去と現在をつなげるというフリー・ソウルの役割、それを柳樂さんも強く感じていると思うんですが。
柳樂:そうですね。橋本さんって、70年代のソウルやジャズ、ロックやフォークとかからフリー・ソウルっぽい曲を選んでコンパイルしている、というイメージなんだけど、それはただ古い曲を選んでいるというより、その時その時に合った、基本的に新しいものとして選んでいるんですよね。
橋本:そうですね。20年ちょっと前、最初にフリー・ソウルのコンピレイションを出したときは、古い音楽の埋もれていた名曲を取り上げているという印象も強かったせいか、上の世代の方からは重箱の隅をつついているといったお叱りも受けたりしたんですが(笑)、実際にはそんなことはなく、現在進行形で光り輝いているものを選んだつもりでした。でも、よく聴いていない人からするとそのように映ったみたいで、「違うんですよ」っていう気持ちで作ったのがこの「Free Soul 90s」の6枚のシリーズだったんですね。僕は歳をとってあまりいろいろ言われなくなったんだけど、柳樂くんが現在同様の問題に直面してるんだよね(笑)。古いジャズの評論家やお堅いジャズ・マニアの方には「なぜ『JTNC』はジャンルとの接点や国や地域との接点ばかりアプローチするんだ」って思われたりしてると思うんだけど、20年前に僕も同じような経験をしてるんだよね。
柳樂:なるほど(笑)。「Free Soul 90s」を僕が好きだったのは、言い方は大きくなるかもしれないけど、わりと教育的な感じがしたんですよね。山本さん、なんとなくわかりません? リアルタイムのネオ・ソウルとかヒップホップとかアシッド・ジャズとか、基本的に過去の何らかの音楽との接点があるものが選ばれてたり。それが当時出ていた「Suburbia Suite」で表現されていたと思うんですが。このときのライナーは誰が書いてるんでしたっけ?
橋本:佐々木士郎、今ではライムスターの宇多丸として有名ですけれど。それから渡辺亨さん、あとは一緒にDJしていた二見裕志さん、僕の4人です。当時はCDを出すたびにフライヤーを作っていたんですが、ライナー同様になぜこの曲が「Free Soul 90s」に選ばれているかがわかるように説明をしていました。
柳樂:クエストラヴか誰かが言っていた名言みたいなのがあって、「Jazz is a teacher, Hiphop is a preacher」っていうんですけど(ジェイムズ・ブラッド・ウルマーの「Jazz Is The Teacher (Funk Is The Preacher)」という曲に由来するフレーズ)、「ジャズが先生でヒップホップは宣教師で、ヒップホップは布教してるんだ」ってことなんですけど。「Free Soul 90s」はそういうのをすごくわかりやすい形でやってた。普通にヒップホップ聴いてても、じゃあソウル聴こうってなかなかならないじゃないですか。
橋本:そこを紐づけてくってことだよね。
柳樂:そこが新しかったし、解説してったってのはすごく意味があったと思います。
橋本:ありがとうございます(笑)。特に、単なるベスト・オブ・ベストではなく、そういう意味合いを込めて選んでるんですよってことを、今日ここにいる皆さんに伝えられたらな、ということでこのレジュメを用意しました。当時のフライヤーであったり、最もわかりやすいのはその次に出てくる「bounce」(タワーレコードの月刊音楽情報誌。橋本は96年4月から99年3月まで編集長を務めた)の「Free Soul 90s」が出たときの特集記事なんですけども。これは僕が編集長になる直前の時期なので、フリーランスとして取材を受ける立場でした。「Free Soul 90s」で僕が意図したことであったり、「JTNC」を通じて柳樂くんがやろうとしてたりすることがすごく理解しやすくなるミーティングの対談原稿なので、これを読んでいただいたら、温故知新的な「Free Soul 90s」のフィロソフィーみたいなものが伝わるかと思っています。その記事の中では『Clear Edit』という、架空のコンピレイションを「bounce」のために選曲しました。1995年の「Free Soul 90s」は、BMG、東芝EMI、ソニーという3社から2枚ずつリリースされたんですけど、ポリドール、マーキュリーといった、現在のユニバーサル音源は使われていないんですね。なのでこの架空盤には、ユニバーサル音源がいろいろ入っています。『Clear Edit』は、今回の『Ultimate Free Soul 90s』のプロトタイプになっているな、とこの記事を読み返してさっき思ったんですけど。これを実際に実現したいな、っていう気持ちがどこかにあって、今回90年代のコンピレイションを作ろうと思ったのかな、と感じましたね。

 

トークショウは、橋本徹さんによる『Ultimate Free Soul 90s』の制作の背景、そしてそのコンセプトの解説から始まった。橋本さんが強調していたのは、一見ベスト・ヒット集にも見える『Ultimate Free Soul 90s』だが、その裏側には90年代音楽と70年代を中心としたフリー・ソウルで脚光を浴びた音楽との結びつきがある、ということだった。僕は高校時代からオリジナル・ラヴやフリッパーズ・ギター(コーネリアスと小沢健二)といった、いわゆる“渋谷系”の音楽が好きだったので、彼らがインタヴューなどで語っていた洋楽を聴き、その音楽的ルーツを探っていくことにワクワクするものを感じていた。さらに94年にフリー・ソウルに出会い、フライヤーに書かれていた「山下達郎ファン必聴」「オリジナル・ラヴに影響を与えた」といったフレーズに惹かれ、「Suburbia Suite」掲載のレコードを探しては聴いていた状況だったから、イヴェントで配布されたレジュメの「Free Soul 90s」の三つ折りフライヤーに掲載されていた「Good Recycler」を、当時とても刺激的に感じたことを思い出した。現在進行形の同時代音楽を起点として、現在から照射した過去の魅力的な音源を紹介する。それが橋本さんの昔から変わらない姿勢だというのは、ここに挙げた話でわかるだろう。

 


「Suburbia Suite」が音楽の聴き方を変えた

橋本:じゃあ最初にこのレジュメの説明をしておきますと、僕が1996年2月に出した「Suburbia Suite」の「Suburban Classics: For Mid-90s Modern D.J.」という号の記事です(当日の参加者には、「Suburbia Suite」や「bounce」のコピーなど、分厚いレジュメがサブテキストとして配布された)。「Suburbia Suite」は、今の方はあんまりご存じないかもしれないんですが、僕が90年代前半に作り始めたコラムやレコード紹介文を載せたフリー・ペーパーなんですね。それを再編集した形で、1992年に最初のディスク・ガイドが出ます。それはどちらかというと映画音楽であったり、ソフト・ロック~ジャズ・ヴォーカル~ボサノヴァ~フレンチといったタイプの音楽をフィーチャーしていて。当時、レコード会社からも掲載盤をリイシューしませんかという話が来て、いわゆる渋谷系的な感性がとても盛り上がってきた頃だったので、そこともシンクロして、大きなブームになったんです。ただ、そのタイプの音楽は、その後僕が紹介してきたような音楽を聴いていただければわかると思うんですけど、あくまで僕の中の一部でしかなかったので、そういう白いスマートな方だけではなくて、ソウル・ミュージックやクラブ・ミュージック、よりわかりやすく言うと黒っぽいグルーヴ感のあるものを紹介したいなと思って始めたのがフリー・ソウルで、DJイヴェントとディスク・ガイド、コンピレイションという形でスタートしたのが1994年春だったんですね。実際にはDJイヴェント以前にディスク・ガイドやコンピレイションは作っているんですけど、1996年に出た「For Mid-90s Modern D.J.」は、実際にクラブ・パーティーを始めた後のもので、そのドキュメント的な色彩がすごく強くなっています。当然パーティーの現場では70年代ソウルだけがかかるわけではないので、そこと相性のいいヒップホップやR&B、グラウンド・ビートのUKソウルやアシッド・ジャズであったりっていうものが混ざってくるんですけど、そういう12インチをディスク・ガイド化したのがこの号で、その紹介部分だけを今回は抜粋しています。これは「Free Soul 90s」のコンセプトと直結するもので、本当に短い文章しかつけてないんですけど、何をカヴァーしたかとか何をサンプリングしたか、といったことを押さえてガイドしたものです。70年代音楽と当時現在進行形の90年代の音楽の結びつきを示すために作ったものですね。
柳樂:こういうものが出る前って、ロックならロック、ソウルならソウルという、ジャンル別のディスク・ガイドが一般的でしたよね。ロックの評論家の人がロックの歴史を書いて、その後に名盤ガイドがついてるという感じ。例えば「レコード・コレクターズ」みたいにもう少し焦点を絞ってAORだけとか、そういうのはあったと思うんですけど。今でこそ当たり前ですけど、こうやって見てみると白人と黒人、あまり馴染みのない国の人も全部出てるじゃないですか。コラム「frank talk, free style」も何らかのイメージでまとめているっていうのがすごく新鮮だったし。音楽性やその構造でまとめているわけではないんですよね。
橋本:聴いたときに感じるフィーリングを伝えることを目的に作ってましたね。
柳樂:例えば、ソウル的な構造があるわけじゃないけど、スティーヴン・スティルスのファンキーなフィーリングの曲は入る、みたいな。
橋本:ソウルを感じるものであればどんどん紹介していったし、DJパーティーでかけていましたね。
柳樂:アフリカのアーティストとかでも、洗練されたものだったら入っている。
橋本:ブラジル音楽も然りだよね。
柳樂:だから、ジャンルで切らずにフィーリングで点で集めていったらすごく大きくなったっていうのは、とても新しいことだったんじゃないですかね。さすがにこれが出たときはリアルタイムではなく、僕は東京に出てから古本屋で買いましたけど。
橋本:僕は80年代後半に大学生だったんだけれど、当時は各ジャンルのオーソリティーの方がいらして、“ひとつの正しい価値基準”みたいなものが音楽ファンの間で共有されていて。そういう中ではディープなサザン・ソウル的なブラック・ミュージックであればあるほど評価が高かったという印象があるんですけど、自分の耳で聴いたり感じたりしたときに、そういうディスク・ガイドや音楽書では軽視されていたり、もっと言ったら掲載されていないようなアーティスト――わかりやすい例を出すとリロイ・ハトソンやテリー・キャリアーだったり、あとはチャカ・カーンやスティーヴィー・ワンダーがジャズっぽい、とかいってすごく評価が低かったりってことに、大学生の自分なりにすごく違和感を感じてたんですよ。でも、実際にアメリカの黒人たちに聞くと、アーバンなものが好きで、「チャカ・カーンやスティーヴィ・ワンダー最高!」って言ってたりするわけでね。プリンスもそうですが、なんかちょっと日本の黒人音楽ジャーナリズムだけ、今の言葉でいうガラパゴス化している印象があって、それはジャズでも全く同じことがあったんだけどね。
柳樂:まあそうですよね。ディー・ディー・ブリッジウォーターがディスコっぽいものをやっている頃のって、いわゆるジャズの世界ではすごく評価が低かったわけですけど、ラリー・レヴァンとかはガンガンかけてたわけですよね(笑)。
橋本:だから、そのクロスオーヴァーする部分だったり、ジャンルとジャンルの接点だったり、時代と時代の接点だったりってものが拾われなかったんですよね、昔は。歴史観っていうのも全部古い音楽の方から新しい音楽の方に向けたものだから、新しい音楽になればなるほど評価が低い、みたいになってしまって。それを僕は逆にしたかったというか、現在から見た過去とか、歴史を横に見る、みたいなことなんですけど。ちょうどCDが出てまもなくの頃で、古い音楽も再発とかで新譜と同じように接することができるようになった時代だったんで、理解してもらえる同世代の人も何人かいたので、形にしてみたというところですね。
柳樂:やっぱり再発のCDが新譜のように魅力的なものとして出てきて、それが新譜と一緒に売り場に並んでたっていうのは刺激的でしたよね。
山本:僕は高校1年生のときにフリー・ソウルが始まって、その前の中学3年生のときにジャミロクワイがデビュー、あとはブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ワークシャイ、スウィング・アウト・シスター、みたいな。
橋本:J-WAVEとかでパワー・プレイされてたしね。
山本:そういう世代なんですけど、当時フリー・ソウルで60~70年代のソウルやロックやブラジルやジャズやAOR、そういうものを初めて知ったから、自分にとっては新譜というか新しい音楽として接して、同時にジャミロクワイやブラン・ニュー・ヘヴィーズとかを、自分の中で解釈しながらというか楽しみながら聴いていた、って感じですね。
柳樂:しかもそれに呼応するアーティストが、海外だけでなく日本でも反応して新譜を出したりみたいな状況があって。
橋本:それは本当に当時の特徴だと思いますね。
柳樂:いろんなものが同時進行で進んでいて、そういう動きをうまく捉えていたのが、当時のHMVだったりメディアだったら橋本さんだったり「bounce」だったり、ってことなんですかね。
橋本:ロンドンのアーティストはもちろんなんだけど、東京のアーティストも現在進行形の動きにリンクしていて、それゆえに古い音楽への関心もあってという時代だったので、いろんなものがつながっていった時代だなと思いますね。

 

90年代から20年以上が経過した現在、改めて語るべき「Suburbia Suite」の功績というのは、トークショウでも繰り返し語られたことだが“価値観の刷新”という点だろう。それまでの音楽ジャーナリズムでは、ロックならボブ・ディランやビートルズ、ソウルならオーティス・レディングやアレサ・フランクリン、ジャズならマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンというふうに、それぞれのジャンルにおける巨人が存在し、彼らを中心に歴史も構成されてきた。そのもとに名盤も選定され、一種の階層化・序列化がなされていた。それがレア・グルーヴなどDJカルチャーの影響を受け、それまでは多くの人々が知らなかったようなアーティストや曲に注目が集まるようになっていった。それをある種のセンスと視座から体系化したのが「Suburbia Suite」であったわけだが、そのスタイリッシュな編集もあって、東京を中心として大きな影響力を持つようになっていく。さらにCDというメディアの普及によって掲載盤が再発され、“渋谷系”の隆盛とともに、のちに“ニュー・スタンダード”となる多くのアーティストが“発見”された。テリー・キャリアー、ニック・ドレイクやリンダ・ルイス、マイゼル・ブラザーズ、シュギー・オーティス、マルコス・ヴァーリといったアーティストがそれだ。こういった“横から切って(すべてを並列に)歴史を見る”状況は90年代以前には考えられなかったことだ。現在、柳樂光隆さんがやっている「Jazz The New Chapter」もまた、ジャズを現在進行形の音楽という視点から再定義する試みであり、トークショウの最後で橋本さんが言っていた通り、「フリー・ソウルのフィロソフィーを最も本質的に受け継いでいる」のだと思う。

 


サンプリング・ソースをめぐる冒険~世界同時渋谷化

柳樂:ちょっと曲聴きますか。僕、持ってきたものがあるんで。
山本:今の話にちょうどつながるようなやつを。
橋本:今『Ultimate Free Soul 90s』から流れている、ウィリアム・ディヴォーンのカヴァーをマッシヴ・アタックが演るのなんかは、まさにそういうことだったんですけどね。もう一つ、代表的な例を柳樂くんが選んでくれました。
山本:ノマド・ソウルの「Candy Mountain」です(曲をかける)。
橋本:ディスク1の1曲目に入っている曲です。「Suburbia Suite」の「Suburban Classics: For Mid-90s Modern D.J.」の号の「Ground Beat, Acid Jazz」というところに載ってますが、これも本当に短いコメントしかつけてないんですが、柳樂くんが今回これを選んでくれたのも、この観点からだと思います。
柳樂:スティーヴ・パークスの「Movin’ In The Right Direction」。冒頭のグルーヴィーなギターのカッティングですが、サンプリング・ネタとして使ってる人が当時多かったんですよね。
橋本:そうそう。ヤング・ディサイプルズとかも。いわゆるレア・グルーヴとして発見されて間もない頃で、もちろん僕もノマド・ソウルで知ったんですが、その後でヤング・ディサイプルズを聴いて、「ああ、同じ曲のサンプルだな」と思ったのを覚えてます。
柳樂:あとアリーヤ。
橋本:ああ、アリーヤもそうだね。
柳樂:いろんなとこで同時進行でシェアされてるというか、その感じがすごく面白くて。
橋本:今ならクリス・デイヴっぽいドラムみたいなものだね(笑)。
柳樂:で、同じものをサンプルしてる人が日本でもいたので。birdなんですけど(bird「REALIZE」がかかる)。
橋本:これ、DEV LARGEだよね? SUIKENもフィーチャーしてるんですけど、birdもラップしてるという珍しい曲で、birdの『Free Soul Collection』にも入れました。
柳樂:これ、初めてラップさせられてすげえ大変だった、って言ってましたけどね(笑)。
橋本:それ、僕も聞いたな(笑)。こういうふうに、スティーヴ・パークスの「Movin’ In The Right Direction」という曲をめぐっていろんなヴァージョンが生まれたりして、時代の空気が形成されてったのが90年代なのかなと思っていて、今日はそういう例をひたすらかけながらやっていくのが楽しいなと思ってます。
柳樂:スティーヴ・パークスの曲のサンプリングで昔の曲と新しい曲がつながってる、ってのがやっぱりいいし。アリーヤやイギリスのノマド・ソウル、それから日本のヒップホップ、しかもこう、birdは基本的にはJ-Popのメインストリームでやってるような人ですよね。最近だとこうムーヴメントって分かれるじゃないですか、でも……。
橋本:あの頃は世界同時進行でしたね。川勝正幸さんの「世界同時渋谷化」って言葉もあったくらいで(笑)。
柳樂:そうそう。世界同時進行で、しかもその中に過去も入っているというのが、すごく面白い現象で。今なかなかそんな状況ないじゃないですか。だからその感じが上手くパックされてますよね。しかも90年代の音楽って、基本的に業界が景気いいから、そのへんが音に反映してますね(笑)。
橋本:まあ、毎回リリースのたびにフライヤーを作らせてくれたり、CDが出たらPVがずらっと並んだものがモニターで流れてたりという。どういうわけかSHIPSと組んでこの坊や(「Free Soul 90s」のジャケット・キャラクター)のバンダナを作ったりとか(笑)、いろんなことがやれた時代だったんですよね。
柳樂:基本的にこれに入ってる曲って、世界同時進行で同じネタ使ってるっていう、すげえマニアックな話なんだけど、メインストリームでめちゃくちゃ売れた曲ばかりっていう。
橋本:まさに、今流れてるR.ケリーがアリーヤをフィーチャーして作った「Summer Bunnies (Summer Bunnies Contest Extended Remix)」なんかはその典型で、フリー・ソウルでもイントロが流れると当時「ワーッ」てなっていたような、スピナーズの「It’s A Shame」の印象的なギター・フレーズをループしてるんですけども、これもいろんなアーティストが世界同時進行で、たぶんその頃の僕らの心をつかむ何かがあったからこそ、いろんな人がそれを素材にして自分たちの音楽を作っていった、ってことだと思うんですよね。
柳樂:それが一部のマニアだけのものではなかった、ってのはすごく面白い現象で、でもそれをまとめるのって大変じゃないですか。ぶっちゃけ売れた枚数とかで考えると、『NOW』とかのヒット・コンピレイションと変わらないくらい売れた曲が入ってるんだけど、ちゃんとその時代の音楽的なものを切り取ってるっていうのが、すごく面白いと思います。
山本:それまでになかったですよね。
橋本:リミックスっていう考え方が90年代に急速に浸透して。これもオリジナルはスピナーズのリフは使われてないんだけど。当時だったらメアリー・J. ブライジの「Real Love」なんかは、リミックスはベティ・ライトの「Clean Up Woman」を使っていて。あの曲は小沢(健二)くんの「ラブリー」にも引用されているし、ベティ・ライトのイントロをループする人間が日本にもアメリカにもいたっていう時代だったんですよね。

 

ここからは『Ultimate Free Soul 90s』収録曲と、それに関連する音源を聴いていくことに。柳樂さんが今回用意してきたのは、birdとこの後に話題に出てくる小沢健二の音源だったが、それぞれリリースされた時代の空気がパッケージされていると感じた。birdの「REALIZE」は、1999年の彼女のデビュー盤に収録されていた楽曲で、制作は自身のユニット、モンド・グロッソの作品や、マンデイ満ちるらのプロデューサーとして知られていた大沢伸一が手がけている。当時はアシッド・ジャズ~UKソウルとの近似性が高いと思われていた彼が、「Movin’ In The Right Direction」を、ノマド・ソウルやヤング・ディサイプルズから10年近く経過してサンプリング。そして、フィーチャーされているDEV LEAGEとSUIKENは、日本語ラップの第一人者。UK感とUS感のバランスが絶妙だった。一方、スティーヴィー・ワンダーの「Don’t You Worry ‘Bout A Thing」をアダプトした小沢健二の「天気読み」は1993年のリリース。前年にはジャミロクワイが衝撃的なデビューを飾り、スティーヴィー再評価が進んでいた頃。翌年の『LIFE』収録曲にはジャクソン・ファイヴやジョーン・アーマトレイデイング、ベティ・ライトなどにインスパイアされた曲が並んでいたと書くと、フリー・ソウル華やかなりし時代のムードが伝わるだろうか。この当時のオザケン・ブームは凄まじく、若い世代の女子から熱狂的に支持されたり、その人気を受けて紅白歌合戦に出場したりするような状況だった。そのような中、小沢健二の曲作りは、「天気読み」や「ラブリー」のように、自分や仲間の周りにあったカッコいい音楽=ヒップホップやR&B、そしてフリー・ソウル的なものをミックスし、彼のフィルターを通じて提示したところに新しさとインパクトがあったのではないだろうか。

 


引用と再構築の90年代~小沢健二とSMAP

山本:「Suburbia Suite」の掲載盤はジャケットとかもカッコいいんですよね。コーク・エスコヴェードのボクシングのやつとかオデッセイとか。過去の作品なのにフリー・ソウルを通じて新譜として触れて、ギター・カッティングだとか、「Tighten Up」のベース・ラインとかも含めてフリー・ソウルだと思いましたけどね。
柳樂:このへんのやつとか、まんまジャケをパクってフライヤーにしてるのとかも多かった(笑)。
橋本:90年代はデザインもサンプリング・カルチャーの時代で。Macが登場して、フライヤー・デザイナーみたいな若い人たちも現れて。今は例えばデジタル・フライヤーやYouTubeトレイラーを作ったり、FacebookやTwitterでクラブ・イヴェントを宣伝するのが早いのかもしれないけど、当時はフライヤーがクラブやレコード・ショップ、CDショップに置かれてることが重要で、例えばHMVの太田(浩)さんのコーナーなんかはそういう情報が集まる場所になっていた。
山本:そう、僕も「Suburban Classics」は、HMVがセンター街の奥の方にあったときにそこで手にしたんですけど。入り口から入ってすぐ右の太田さんのコーナーで。
橋本:渋谷系のメッカと言われてた場所があったんですよね。
柳樂:じゃあ渋谷系っぽいやつ聴きますか。
橋本:さっきのデザインのサンプリングの話で言うと、トーキング・ラウドとかもブルーノートのジャケットを元に作ったりしてましたよね。音楽もそうだしデザインもそうだし、引用と再構築とか編集とかということが当時言われたんですけど、そういう部分を共有することで活気が出ていたのがあの時代の特徴なんじゃないかと思います(インコグニート「Don’t You Worry ’Bout A Thing」がかかる)。
柳樂:『Ultimate Free Soul 90s』は3枚とも1曲目はカヴァーかサンプリングなんですね。
橋本:そうですね。というか、ほとんどの曲がそうだと言ってもいいんだけれど(笑)。
山本:さっき柳樂さんが言ってた教科書みたいな役割というか、ここからどんどん紐づいていって。
橋本:そういう形で音楽ファンの一般教養が形作られるというか、そういう時代だったんですよね。
山本:「People Tree」(「bounce」の連載記事。あるアーティストを取り上げ、そこから連想される音盤が紹介されていた)みたいなの、ありましたよね。
柳樂:これ、スティーヴィー・ワンダーのカヴァーじゃないですか。で、これを使ったのが小沢健二っていう。
橋本:スティーヴィー・ワンダーって、今でこそ不思議に思われると思うんですけど、ホントに80年代後半くらいまでは日本でブラック・ミュージックのマニアや評論家から冷遇されてたんですよね。で、ジャミロクワイやオマーが出てきたときにやっぱりスティーヴィー・ワンダーを連想させるってなったときに、日本では高い評価を受けてないけどスティーヴィー・ワンダーっていいよなっていうふうに思っていた時代があって、それが2〜3年のうちに逆転するんですよね。そのきっかけになったのがカヴァー・ヒットで、「Don’t You Worry ‘Bout A Thing」はインコグニートの90年代初頭を象徴する曲だなと思って、今回もディスク3の先頭にしたんですけど。そしたら同時期にフリッパーズ・ギターを解散したばかりの小沢健二が出した曲がね、ということですよね(小沢健二「天気読み」がかかる)。
柳樂:サビのところがもう、もろにそうですよね。
橋本:今思い出したんだけど、93年にHMVの太田さんのところに「Suburbia Suite」の納品に行ったら、A.K.I.っていうラッパー、わかります? 当時ピチカート・ファイヴの「万事快調」とかをカヴァーしてたような巨漢ラッパーがいたんですけど。
柳樂:デス声でラップする人ですよね(笑)。
橋本:そうそう。彼がたまたまいて、「小沢くんの新しいのどう思いましたか?」みたいに聞かれて、「Don’t You Worry ‘Bout A Thing」だったよね、って応えた風景が今フラッシュバックしました(笑)。A.K.I.が「……! そうですね」ってそれで気づいたみたいで。彼はこの曲をすごく気に入ってましたけどね。
山本:オザケンって結構ソウルのネタ多いですよね。
橋本:っていうか、全ての曲にネタがあるよね(笑)。
柳樂:まあそうですね。
橋本:それはすごく90年代的な作り方でもあったんだよね。
柳樂:これだとディスク2の16曲目、アン・ヴォーグの「Give It Up, Turn It Loose」とかもそうですね。
橋本:なんで今その話をしたかって言うと、この後にスチャダラパーと組んで「今夜はブギーバック」って曲が大ヒットするんですけど、まあそれも今回の「Free Soul 90s」に入っている2曲、アン・ヴォーグの「Give It Up, Turn It Loose」っていう曲とナイス&スムースの「Cake & Eat It Too」っていう曲に多くを負ってる曲なんですね。実際、二つのヴァージョンがEMIとキューンから出て、片方が“Nice Vocal”でもう一方が“Smooth Rap”だったよね。そういうネーミングの部分もそうなんですけど、当時はラップの部分がナイス&スムースで、サビの部分が「Give It Up, Turn It Loose」みたいな曲っていうのが本当に多くて、AメロBメロがラップっぽく来て、サビで哀愁のあるフレーズがこみあげるっていう。まあそういう意味では本当にあのアン・ヴォーグの曲っていうのは、当時僕らの琴線にいちばん触れる感じだったんだよね。……じゃあちょっと、アン・ヴォーグ聴こうか(アン・ヴォーグの「Give It Up, Turn It Loose」がかかる)。
柳樂:このコンピレイション聴いてると、「あのネタだ」とか「あいつがネタにしてるやつだ」とかばっかり浮かんで集中できない(笑)。
橋本:そこをわりとポジティヴに楽しんでたのがあの時代だったんだよね。実際、当時の僕らも音楽の楽しみ方が連想ゲームというかね、何かと何かがつながっていくのが楽しくてレコードやCDを買っていたなっていうのが90年代の印象ですね。
柳樂:これってジャンルを超えてるってのがすごく面白くて、オザケンはJ-Popじゃないですか。アン・ヴォーグはR&Bというか。フリー・ソウルはもともと70年代ソウルに根ざしてるじゃないですか。やっぱこうやって見てても(「Suburbia Suite」の裏面を見る)、ラ・クレイヴはラテンですし、コーク・エスコヴェードはラテンっていうかロックっていうかソウルですよね。で、エレン・マキルウェインは……。
橋本:フォークっていうか、ファンキー・フォークですね。
柳樂:フォークなんだけど、ちょっとファンキーっていうかグルーヴィーみたいな。
橋本:グロリア・スコットはメロウ・グルーヴで、みたいなね。バリー・ホワイトがらみの。
柳樂:ホントにジャンルの隙間の過去の曲を集めてやってんだけど、それと同じ状況がリアルタイムで起きてたって感じですよね。
橋本:ホントそうですね。
柳樂:フリー・ソウルとかサバービアとか見てると、同じ曲をカヴァーしている人がいっぱいいるじゃないですか。レオン・ウェアの書いた……。
橋本:「If I Ever Lose This Heaven」。こみあげ系とか言ってましたね。
柳樂:例えばそれをカヴァーしている人を集めて、自分はどれがいちばん好きなヴァージョンかっていうのをやっていたわけですよね。
橋本:まさにそうですね。
柳樂:それを同じ状況で楽しめるってのが90年代にはあったっていうか、それ以前の「音楽の歴史を学ぶ」とか「音楽の知識をつける」みたいなことじゃなくて、すごく自然に学習してったっていうか。
橋本:それが学習であり楽しいゲームだったんだよね。これなんかも本当に「ブギーバック」のサビが歌えるなって今思ったと思うんですけど(笑)。次は、わかりやすいかなと思って『Free Soul Avenue』を山本くんに持ってきてもらいました。これも95年に出たコンピレイションです。これは何の話からしようかと思ったんですが、やはりSMAPの話をしようと思います。このアルバムの1曲目がナイトフライトの「You Are」なんですね。当時人気がどんどん出てきていたSMAPのブレイク・シングルになった「がんばりましょう」っていう曲で、この曲がアダプトされているんですけど、まあちょっと聴きますか(ナイトフライト「You Are」がかかる)。
山本:サビのところ、まんまですよね(笑)。
橋本:今日はSMAPの方は持ってきてないので、自分の耳で再生していただいて(笑)。こういうことが僕たちの周りのいわゆる“渋谷系”と言われていたようなサークルの中だけでなく、J-Popのメインストリームでも起こっていたのが90年代半ばだったんですね。

 

話は90年代の音楽からカルチャー事情へ。このあたりは、同時代を経験した人間としてはいちばん面白い部分でもある反面、ヤング・ジェネレイションにとっては伝わりづらいところがあるのも事実だ。フリー・ソウルがスタートした1994年はWindows 95前夜。iPodもスマートフォンもSNSもない時代だが、そんな中でも確実に時代は動いていた。Macがクリエイターを中心に大きな支持を受け、コンピューター上で版下が作れるようになってDTP革命が起き、それまでアマチュアには手を出しづらかったデザインの敷居が一気に下がったのもこの頃。それを反映するかのように、イギリスのトーキング・ラウドや、日本だと信藤三雄のコンテムポラリー・プロダクション(CTPP)のデザインに代表されるスタイリッシュなデザインが一気に加速し、リスナーもお洒落でカッコいいジャケットのレコードを好んで探していた。デザインや音楽の世界では、引用や再構築、編集という行為が最もヒップだと思われていた時代だった。最初の「Suburbia Suite」の掲載盤はジャケットで選んでいた、と橋本さんは以前語っていたが、それも時代の空気を敏感に感じていた当時の彼ならではのディレクションだったのかもしれない。さて、90年代SMAPについて言えば、バックを務めるのはオマー・ハキム、チャック・レイニー、ウィル・リー、ワー・ワー・ワトソン、マイケル・ブレッカーといったNYの超一流ミュージシャン。アイドルの枠を大きく飛び越えたサウンドがクリエイトされていた。さらに95年の『007』はCTPP、96年の『008』はグラフィッカーズがアートワークを担当、いわゆる最先端のデザイナーと組むことでサブカルチャー的な部分との接点も有しながら、SMAP自身がカッコいいものとして演出されるようなパッケージ。この戦略は今見ても本当にクールだと思うし、それ以前はもちろん、その後のどのアイドルも、当時のSMAP並みの音楽性とファッション性を持ち合わせていない、と僕は思う。

 


自由に愛してディグして~ATCQ/ルー・リードの衝撃
Nujabesの愛した「When A Little Love Began To Die」

橋本:僕が90年代を思い出すときに、その始まりの最も大きなトピックの一つだと思っているのが、ルー・リードの「ワイルド・サイドを歩け(「Walk On The Wild Side」)」をトライブ・コールド・クエスト「Can I Kick It?」でサンプリングしているのを初めて聴いたときの衝撃で、それはもう本当に90年代の始まりを象徴していて。僕は世代的にニュー・ウェイヴとかイギリスの音楽を聴きながら育ったっていうところがあって、高校の友達とかもみんなそんな感じで。それまではなかなかヒップホップとかに反応しない友達の方が多かったんですけど、これ一発で時代が変わったというかね。で、今回の『Ultimate Free Soul 90s』には、「Can I Kick It?」のルー・リードのループは生きてるんですけど、それにアーチー・ベルのブレイクを掛け合わせた、よりカラフルなヴァージョンで収録しているので、ぜひ聴き比べてもらえたらなと思います。この、ヒップホップでルー・リードがサンプリングされるっていう自由さみたいなものを、僕はとてもフリー・ソウル的だと感じて、コンピレイションに入れてるんですよね。
柳樂:すげえわかりますね、それ。テリー・キャリアーと並べて聴けるっていうか。
橋本:そう、ソウルの評論家もロックの評論家もどっちかしか聴いてない、っていう時代から、もう集団ゲームになった90年代って言うのは、ジャンルの垣根がどんどん取っ払われていったっていうか自由になっていった時代で、それを象徴するのがルー・リードとトライブ・コールド・クエストの関係だったと思いますね。
柳樂:なんか、白人的なものと黒人的なものがブレンドされてるのが、フリー・ソウル的というか橋本徹っぽいというイメージがあって、Bar Musicの中村(智昭)さんとかもそうなんですけど。テリー・キャリアーってすごく象徴的じゃないですか、ソウルでジャズでフォークで。それとソウルやファンクでないものをヒップホップに使うっていうのは、同じようなアティテュードを感じて、なんかそういう文脈が重層的に重なってるなって。あの、トレイシー・チャップマンいたじゃないですか、80年代後半。
橋本:うん。ナイス&スムースがサンプルしてたよね。「Sometimes I Rhymes Slow」。
柳樂:黒人だけどフォークを歌うという。しかもNYで一人で暮らす哀愁みたいなのを歌ってますよね。それをナイス&スムースがサンプリングして、メロウなトラックを作るっていう。
橋本:90年代の面白さって本当にそこで、80年代まではJB関連とかPファンクとかがサンプリングされてたんですけど、突然スザンヌ・ヴェガがサンプリングされたりとか、そういうことが起き始めたのが90年代前半で、トライブがルー・リードをサンプリングしたのは本当にその先駆けかなって思うんだよね。
柳樂:そういうヒップホップから広がるっていう文脈が大きかったじゃないですか。デ・ラ・ソウルのボブ・ドロウの……。
橋本:「Three Is A Magic Number」。
山本:スティーリー・ダンとかもありましたよね。
橋本:まさに。そのへんの話はぜひ読んでいただきたいのが「bounce」の「Free Soul 90s」特集の記事に出てますね。デ・ラ・ソウルとマイティー・ライダースやスティーリー・ダンとの関係であったりとか、もっと言えば同じ曲でオーティス・レディングの「Dock Of The Bay」の口笛が使われてるんですが、ネイティヴ・タンと言われていた、デ・ラ・ソウルやトライブ・コールド・クエストとかジャングル・ブラザーズ、あと今回スピナーズの「It’s A Shame」をリメイクした曲を入れてるモニー・ラヴとかのクルーの、自由でフレッシュな感覚っていうのが90年代のとても重要な部分で。そういうものにインスパイアされてDJパーティーをやったりコンピレイションを作ったり、っていうところはありますね。
柳樂:ガリアーノがクロスビー・スティルス&ナッシュの「Long Time Gone」を演ったりとか。
橋本:僕はCS&Nの方で知ってたんで、こういうのクラブ・シーンでかけてもいいんだ、って思ったのがレジュメにもある95年のフォーキー感覚――この話も後でしようと思ってるんだけど、あの頃の感じだよね。で、『Free Soul Avenue』に関しては、今テリー・キャリアーの話が出たんでそれと関連づけますと、Nujabesが彼自身を招いて「Ordinary Joe」を後にカヴァーすることになるんですけど、当時DJ Bar Inkstickという、公園通りの一番上にあったクラブで僕たちがやっていた「Free Soul Underground」っていうパーティーにNujabesが毎回通ってきていて。彼が最も反応していた曲っていうのがフレンズ・オブ・ディスティンクションの「When A Little Love Began To Die」っていう曲で、これも後にとても劇的なグッド・リサイクルをされるんですね。ソフト・ロックのグループというイメージがどうしてもあるので、彼らの曲をDJでかけようとはなかなか思わないんですよ。でも、すごくメロウなこみあげ系の素晴らしい曲だなと思ってコンピレイションに入れたりしていたんですけど、僕たちより若い世代がそれにちゃんと反応してくれてヒップホップというスタイルで再生させているのが、ファンキー・DLの「Don’t Even Try It」っていうNujabesが作ったトラックかなって思います。この曲は『Free Soul Nujabes』にも入っているんですが、まさに彼の「When A Little Love Began To Die」への愛情が表現されているんで聴きましょうか。僕はたまたまレコード屋で流れてきて、「これ誰が作ったんだ!?」って思ったら、ファンキー・DLでプロデュースがNujabesだったっていう。「絶対知ってるやつが作ったんだろう」とは思ったんだけど、そのときのレコード屋の光景は強く覚えてますね(ファンキー・DL「Don’t Even Try It」が流れる)。
橋本:ちなみにこの「Suburbia Suite」にはNujabesはまだ20歳だったんですけど、ライターとして参加してます。この表3のクレジットを見ると“Seba Jun”っていうクレジットがあるんでわかると思うんですけど。当時まだ専門学校生で、その頃は写真を撮っていて、何でも挑戦したいと思ってたときだと思うんだけど、「サバービアの新しいのを作る」って言ったら「書かせてください」って言ってきて。
柳樂:へえー。確かに名前ありますね。僕、すげえ覚えてるのが、友達がNujabesのミックステープ貸してくれて。で、聴いたらアシッド・ジャズがすごいいっぱい入ってて。ジャミロクワイとか。
橋本:そういう世代なんだよね。彼は1974年の2月7日生まれ、J・ディラと全く同じ年の同じ日に生まれてるんですよね。で、死んだのも同じ2月ですけど。
柳樂:Nujabesは、すごく「Free Soul 90s」的な感覚があった人というか、そういうのが直撃して影響を受けてやっていた人なんだってのを感じました。
橋本:そうですね。逆に何倍にも大きく広げてくれた存在かなと思いますけど。『Free Soul Avenue』は他にも、ジャネイの「Hey, Mr, DJ」ネタのマイケル・ワイコフ「Looking Up To You」とか、フリー・ソウルと90sの関わりをすごくわかりやすく表現できる曲が入っているので、今日持ってきてもらったんですが。
柳樂:スティーヴィー・ワンダーのカヴァー、2曲入ってますね。「Golden Lady」と「Bad Weather」と。
橋本:ああ、いいところを言ってくれた! 当時、スティーヴィー・ワンダーのカヴァーをよく買ってたんだけど、その中でもパーティーで初めてかけたときから「この曲はすごい人気曲になるな」って感じたのが、ホセ・フェリシアーノの「Golden Lady」をブラジリアン・スタイルでやってるやつ。それとメリサ・マンチェスターの「Bad Weather」。これはスティーヴィーがシュプリームスに書いた曲ですけど。「メリサ・マンチェスターなんてかけていいの?」とか思いつつも(笑)、逆に面白がってかけてたら、大人気曲になったという。
柳樂:アル・クーパーの「Jolie」とかもそうですよね。
橋本:ああ。あれかかると、みんなフロアで狂ってましたね(笑)。

 

90年代はヒップホップの時代だった、というと大げさかもしれないが、ファッションを含めとても大きな影響力を持っていたことは確かだ。当時は渋谷のマンハッタン・レコードに女子高生がいるということも普通の光景だったし、それだけR&Bも含めてブラック・ミュージック・カルチャーがメジャーになっていたことの証左だろう。さて、個人的な話をすると、僕にとっての「Free Soul 90s」の大きな功績は、ヒップホップの入り口になったことだ。興味は持っていたもののどこから聴けばいいかわからなかったのだが、「Free Soul 90s」にはデ・ラ・ソウルやトライブ・コールド・クエストの名前が並んでいて、聴くべきものを指し示してくれた。トライブとの出会いは本当に大きかった。彼らのサード・アルバム『Midnight Marauders』は何度も繰り返し聴いた名盤だし、70年代のマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーのそれと並び称されるべき、90年代が生んだ音楽的遺産だと思う。彼らの魅力はなんと言っても芸術的と言うべきサンプリング・センス。彼らの曲をきっかけに知ったジャズやファンクの名曲は数知れない。JBやPファンクのサンプリングが、基本的にはファンクネスを増幅する足し算の発想で選ばれているとすると、ここで挙げられていたトライブのルー・リードや、ファーサイドの「Runnin’」のスタン・ゲッツ&ルイス・ボンファといった意外性のあるネタ使いは、そのソースとの距離感によってある種の批評性が生まれるのだ。あるいは、トレイシー・チャップマンをナイス&スムースがサンプリングすることで、レイヤーのように生まれる重層性。このようにして僕はヒップホップの奥深さを知った。その意味では、フリー・ソウルの影響を受けた独創的なトラック・メイカーだったNujabesの作品にも唯一無二のセンスが横溢している。彼がサンプルしたマイケル・フランクスやパット・メセニー、ヨアヒム・キューンに巨勢典子などは、どれも一般的には“非ヒップホップ的”とされる音源だ。自分の感性で良いと思ったものをピックアップする、まさに“Free Soul, Free Mind”の産物だと言える。



ジャミロクワイとプライマル・スクリーム、1995年のフォーキー事情

橋本:今度は当時の山本くんの90年代の思い出を振り返りながらかけたいと思うんですけど、ジャミロクワイとかプライマル・スクリームとかは大きな存在だったのかな?
山本:やっぱりジャミロクワイは大きいですよ。それこそ、60〜70年代を通っていない自分がリアルタイムで初めて聴いてショックを受けたアーティストで、それがさっきも話したんですけど中学校3年生だったんで、多感な時期というか、今まで触ったこともないものに触った感じで、鼻血が出るような感じがしたというか。
橋本:多感な時期に出会えるっていいよね。スティーヴィー・ワンダーとかギル・スコット・ヘロンをもう一回聴こうって思ったきっかけだったし。今日かけたいって言ってくれた「If I Like It, I Do It」なんかは、最初聴いたときにコーク・エスコヴェードの「I Wouldn’t Change A Thing」じゃん、と思って興奮したのを覚えてますよ。
山本:ジャミロクワイのファースト・アルバムのちょっと前にピチカート・ファイヴの『Bossa Nova 2001』が出て。僕はフリッパーズ・ギターはリアルタイムで通ってなくて、気づいたら解散してた感じで。で、CMで流れてたピチカートの「Sweet Soul Revue」を聴いて……。
橋本:あれもフリー・ソウルのコンピに入れた、ステイプル・シンガーズの「Heavy Makes You Happy」ネタでね。
山本:で、近くの友&愛(レンタル・レコード/CDショップ)に借りに行ったっていう、そういうエピソードなんですけど。
橋本:貸レコード屋っていうのがあった、そういう時代なんですよ。
山本:まだ中学生の坊主なんで、お金持ってないから親にCDを借りるお金をねだって、ダビングして聴きまくる、みたいな。あとはFMですよね。FMでジャミロクワイが流れまくっていましたよね。
橋本:あの頃、J-WAVEとかFMで音楽を聴く楽しさっていうのがまだ今より強かった時代で。スウィング・アウト・シスターの「Am I The Same Girl」とか、死ぬほどかかってたよね。
山本:そうですね。あのへんの“FM系”と当時言われてたような、ちょっとメロウなホワイト・ソウル・ミュージックみたいな。
橋本:フリー・ソウルもいわゆる“渋谷系”と言われていたものもFMヒットも全部がつながっていたというか、それが今回の『Ultimate Free Soul 90s』の選曲ではわかりやすく出たなと。フリー・ソウルって言ってるけど、もっとメジャー感があるものというかね。
柳樂:僕と山本さんがよく出てる、TBSラジオの荻上チキさんの「Session-22」っていう番組があるんですけど、あれのアシスタントをしている南部(広美)さんっていう女性の方がいるんですが、昔あの人J-WAVEで働いてたんですよね。
橋本:「カフェ・アプレミニュイ」っていう番組をJ-WAVEで15年くらい前にやってたんだけど、アシスタント・ディレクターが彼女だったな。
柳樂:そう、僕はその「Session-22」に出てて、いわゆるロバート・グラスパー的なものをかけてるんですけど、そうすると南部さんがよく言うのが、「私がJ-WAVEで働いてた頃の感じがある。あの頃のFMは本当に刺激的だった」みたいなことですね。
山本:当時よく聴いてたのが「TOKIO HOT 100」っていう、土曜日か日曜日の午後に3時間くらいかけてヒット曲をかけまくるっていう番組ですね。あれを180分テープに録って、そこからピンとくる曲をかいつまんでチェックするという、そういうことをしてましたけどね。
橋本:すごい。そのマメさが「Quiet Corner」につながってきたわけですね。
山本:いやいや(笑)。
柳樂:俺、それ「サンデー・ソングブック」でしたけどね(笑)。
山本:当時は今みたいにYouTubeもなければ、Apple Musicもない時代だから、好きな音楽を知るきかっけってFMはもちろんですけど、あとはやはりコンピですよね。フリー・ソウルのコンピを聴いて「bounce」読んで、みたいな。まあ振り返れば、こう言っちゃなんですけど、90年代がいちばん熱心に音楽を追っかけてたんじゃないか、って正直今は思いますけど。で、今でもその影響から逃れられないというか、その頃初めて聴いた旧譜でも新譜でもやっぱり今にもつながってる、ってのは思いますね。
橋本:あの頃の曲はイントロが流れると全部プレイバックできるよね、頭の中で。もう一曲、山本くんがかけたいって選んでくれた曲もその頃の曲ですね。『Ultimate Free Soul 90s』ではディスク3の3曲目に入っているプライマル・スクリームの「Movin’ On Up」って曲なんですけど、僕みたいにイギリスのロックとかインディーズを聴いてきた世代で、友達もそういう人が多いんですが、そういう人間にとって彼らもエポック・メイキングな存在でした。90年代ってクラブ・ミュージックがグッと人気を広げた時代だったと思うんですけど、ロックを聴いてた人たちをクラブ・ミュージックやダンス・ミュージックの方に誘導するきっかけになったのがプライマル・スクルームの『Screamadelica』っていうアルバムで。それまではいわゆるブラック・ミュージックが好きだったり、クラブ・ジャズみたいなものが好きな人が中心だった僕たちのDJパーティーに、下北沢系じゃないけどZOOやSLITSにいたような人たち、Crue-Lとかを聴いてたような人たちが流れ込んでくるきっかけになったのがこのアルバムだったなと。彼らはその後もポイントで重要な発展を遂げていて、フォーキーな感じやロックの感じが強まる時代にはそういうアルバムを出していて。あとはボビー・ギレスピーのアイコンとしての魅力もすごくあったと思うんですけど、当時すごく大きな存在だったな、ってのを思い出しますね。
柳樂:すごく教育的なとこありますよね、メンフィスで録音するとか。あとはアルバム作ってるときにノイ!を聴いていたりとかして、ジャーマン・ロックに行ったり。
橋本:ダブに行ったりね。で、この曲はフリー・ソウルといちばんシンクロした『Dixie-Narco EP』の1曲目だったんですけど、聴いての通りスティーヴン・スティルスの「Love The One You’re With」とローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌(「Sympathy For The Devil」)」っていう、DJ Bar Inkstickのイヴェントでかなりヘヴィー・プレイされていた2曲のミックスなんですよね。
山本:僕は『Screamadelica』には間に合わなくて、リアルタイムでプライマルを聴いたのは『Rocks』なんです。『Rocks』は高校1年生の頃で、ちょうどコーネリアスが国内盤に帯コメントを書いてて、確か「bounce」か何かを見て「Rocks」のシングル盤を買ったんですけど。ちょうど僕が高校1年の頃がブリット・ポップの全盛期で。
橋本:1995年ね。
山本:ちょうどオアシスがデビューした時で。
橋本:ああ、じゃあ1994年だ。
山本:ブラーが『Park Life』を出して、そのちょっと後にレディオヘッドが出てくるっていう時代で。ブラーなんかは“ネオ・モッズ”なんて呼ばれ方もしていたから、そこからスモール・フェイセズやキンクスとかも聴き初めて、それで自然とソウル・ミュージックに辿り着くという、まさしく「Free Soul 90s」的なグッド・リサイクルを体験していました。

橋本:山本くんにとってこの時代がすごく重要だってことを表してるのが、今回のレジュメの最後に挟み込まれてる部分なんですけど。これは1995年にリットー・ミュージックから創刊された、ブリット・ポップとかを扱う「SiFT」っていう雑誌の記事です。そのときは「bounce」をやる直前の僕が、いわゆる「雑誌内雑誌」をやってほしい、みたいなことを当時の編集長に言われて、「Suburban Sprawl」っていうページをやっていた時代が1年くらいあって。担当者はその後「After Hours」とかでいい仕事してる福田(教雄)くんだったんだけど、毎回テーマ設定をしてたんです。僕はこのことを完全に忘れてたんですけど、山本くんが電話してきて、「スクラップしてるやつがあるので、レジュメに加えてもいいですか」と。僕も懐かしく読んだんですけど、たまたま今日のテーマと合うときの号を持ってきてくれて、70年代ソウルの輪廻転生みたいな部分と、フォーキーな部分も入ってるのかな?
山本:そうですね。この特集は毎月楽しみに読んでいました。
橋本:1995年のフォーキー再評価、みたいな部分についての記事を。20年以上大事に取っておいてくれたっていうのは、やっぱり90年代半ばの山本くんは多感だったんだなぁと。
山本:大きいですね、やっぱり。ちょうどアシッド・ジャズから入って、それからマザー・アースが来て。
橋本:マザー・アースっていうのは(「bounce」の表紙を見せて)この後ろにいるマット・デイトンという男なんですが、これは「bounce」の表紙を、マット・デイトンがIZITのニコラと結婚したときにやってるんですが、これも95年。その翌月に同じくポール・ウェラーのサードが出たときの表紙ですが、この時はフォーキー特集をやってるんですね。そこで僕が「フォーキー・クラブ事情」みたいなことを喋ってるんですが、それもレジュメに挟まってるんで、そのときのフォーキー感覚みたいなものもぜひぜひ見てもらえたらなと思います。
山本:そこで知ったのが、ニック・ドレイクとかティム・バックリー、ジョン・マーティンですね。未だに僕が愛してやまない、メランコリックなシンガー・ソングライターたちをたくさん知って。
橋本:ルーツ・オブ・「Quiet Corner」だ。
山本:そうですね(笑)。そういえば5年くらい前ですかね、マット・デイトンがクリス・シーハンと組んだベンチ・コネクションというアルバムを橋本さんから教えてもらったこともあるし、なんか僕の中では彼の存在がずっとあるんでしょうね。
橋本:「SiFT」という雑誌では“フォーキー”の特集をして、草系と土系に分けてやったんだよね。フォーキーには二種類あると。
山本:そうですね。それで、ラヴィン・スプーンフルは花が咲いてるよね、みたいな。
橋本:ああ、覚えてる(笑)。
柳樂:フラワー・ムーヴメントで。
山本:そうそう。で、土系はテリー・キャリアーもそうだし、ポール・ウェラーだと『Wild Wood』『Stanley Road』のラインですよね。G・ラヴとかベン・ハーパーとか、今では“オーガニック系”なんて言われる代表がデビューしたのもこの時期ですね。
橋本:“ダウン・トゥ・アース”という言葉でも語られていたよね。
山本:ドクター・ジョンとか、どんどんそういうのを、自分の中でもう整理しきれないくらいいろんな情報が入り込んできて楽しかったですね。
橋本:で、96年2月の「Suburbia Suite」も、後半は12インチの記事なんですけど、前半はフリー・ソウルのそういうフォーキー感覚なものを扱ってます。ユージン・マクダニエルズとかね。やっぱりそういうのが旬だったんですね。ここにもスティーヴン・スティルスがいたりホセ・フェリシアーノ、ラビ・シフレ、アルゾ&ユーディーンがいたりとか。
柳樂:エレン・マキルウェインとかね。ジェシ・コリン・ヤングとか。
橋本:まさに。
山本:「黒いニック・ドレイク」。「黒い◯◯」って表現、自分の中ではたまんなかったですね。そういう高校生でした(笑)。
柳樂:でもなんか、そういうの魅力的でしたよね。音楽のジャンルのイメージを覆してくれるようなものって。未だにリンダ・ルイス、すごい好きだったりするし。
橋本:そう、リンダ・ルイスは1995年に日本でソニーから出た復活作でFMブレイクするんですよね。僕たちは『Lark』っていうアルバムがすごく好きだったり、『Free Soul Impressions』っていうコンピレイションには、その後のアルバムからの曲を入れてたりしたんで、「リンダ・ルイス復活を祝う会」っていうのを「Free Soul Underground」のスペシャル・イヴェントでやったことがあって、そのレポートも「SiFT」で書いたよね。
山本:橋本さんのコラムで「リンダ・ルイスの試聴会を先日やりまして」っていうのを読んで、そこでレスリー・ダンカンかけて……みたいなことが書いてあって。
橋本:山本くん、ど真ん中だね。今考えたら。
山本:そのコラムを読んで「橋本さん、どんな試聴会をやってるのかな?」って、想像を膨らませながら読んでましたけどね。

 

山本さんの話を聞いていて、当時の自分と完全に重なっていたので他人事とは思えなかった。フリー・ソウルの登場時に高校1年生だった山本さんに対し、僕は大学1年だったので、そのあたりの違いも興味深かった(学生時代の1年の違いは大きい)。FMはとても大きな情報源で、高校の頃は「TOKIO HOT 100」を毎週のように聴いて、そこから気になる曲をチェックしていたというのは完全に一致(笑)。高校時代はオリジナル・ラヴからアシッド・ジャズにハマり、インコグニートやヤング・ディサイプルズのCDを熱心に聴いていたことや、高校3年のときにジャミロクワイのファースト・アルバムが出て、「BEAT UK」でヴィデオ・クリップを観て強いインパクトを受けたことを思い出したりした。また、山本さんの秘蔵コレクションから提供された雑誌「SiFT」の記事も興味深かった。ポール・ウェラーや元ブロウ・モンキーズのドクター・ロバート、アシッド・ジャズ・レーベルのファンキー・ロック・バンド、マザー・アースなどのUK勢がダウン・トゥ・アースなアルバムを立て続けにリリースしていたことが影響し、“1995年はフォーキーの年”という感じで、「フォーキー」がクラブ・シーンでもキーワードになっていた(そのあたりは1996年の「Suburbia Suite」や『Free Soul Mind』などのライナーに詳しい)。その流れでトニー・ジョー・ホワイトやリトル・フィート、さらにはザ・バンドといったあたりのルーツ色の強いアーティストにも手を伸ばしたことを久しぶりに思い出したと同時に、「Suburbia Suite」の愛読者だったという山本さんのルーツを再確認することができ、カルチャーやアティテュードはこうして継承され、さらにはそれが彼が現在手がけている「Quiet Corner」へと発展しているのだと感じた。

 


なんでもありの90年代とフリー・ソウル

橋本:渋谷と「Free Soul 90s」というところではいろんな切り口が考えられるんですけど、ハウスに関してはなかなかメジャー・レーベルの音源がないんで、あまりたくさん入っていないんですが、象徴的だった曲として「The Whistle Song」というフランキー・ナックルズの曲があります。これは、ハウスをそれまで聴いてなかった人がハウスに入りやすくなったきっかけの曲だったというのをすごく鮮明に覚えていて。ヒップホップにおける「Can I Kick It?」と同じような役割を果たしていましたね。ジャンルを超えてアピールする何かが当時の空気とシンクロしているものがあったと思います。で、気づいたのは、最初の頃の「Suburbia Suite」のニュー・パースペクティヴな切り口によるイージー・リスニングの聴き方にすごくフィットしていたんですよね。映画のサントラであったり、“スキャット〜ハミング〜ウィッスル”なんてテーマで紹介していたものなんですけど。「口笛の歌」というタイトルだったりするんでね。90年代の始まり感を象徴するようなハウスとして、今回はディスク1に入れてますね(フランキー・ナックルズ「The Whistle Song」が流れる)。
山本:これは「Quiet Corner」読者にもお薦めできるハウスですね。
橋本:うん、今聴いてもたまらなく気持ちいい曲なんですけども。あとはまあ、特に東京ならでは、渋谷ならではと思ったのが、カーディガンズの「Carnival」って曲です。海外のブラック・ミュージックに根ざしたDJだったらまずかけないだろうけど、フリー・ソウルだとすごくハマる、みたいなことはありましたね。なんかそういう、現在進行形の日本のアーティストの動きともリンクするような形でクラブ・ヒットが生まれていった。その後はカジヒデキくんがタンバリン・スタジオでレコーディングしたりとか、原田知世さんが録りに行ったりとか、そういうことがすごく90年代っぽいなと思うんですよね。
山本:スウェーデン・コーナー、充実してましたよね。スウェディッシュ・ポップみたいなのがたくさん出てきて。
橋本:90年代のなんでもあり感とフリー・ソウルのなんでもあり感を、カーディガンズやこの曲の前に入ってるシンプリー・レッドの「Fairground」っていう、ピークタイムにかけるとすごく盛り上がる曲が代表していますね。フリー・ソウルのパーティーではセルジオ・メンデスの「Tristeza」とか、そういう感じの熱い盛り上がりをする曲なんです。すごくストイックなDJの方だったら、なかなかかけないような曲なのかもしれないんだけど、オーディエンスが最高に盛り上がってくれるので、結果的に定番曲になっていったというのがけっこうあって、この曲もまさにそうですね。「Fairground」って、イギリスでヒットしたよね?
山本:そうですね。
橋本:だから別にマニアックなことをやっていたわけでは全然ない、っていう一つの例がシンプリー・レッドやカーディガンズかな、というところで入れさせてもらったという感じですね。
山本:いわゆるソウル・ミュージックではないエッセンスが織り込まれてるところがフレンドリーですよね。
橋本:うん。でも、ミック・ハックネルの声はブルー・アイド・ソウルとしてホント素晴らしいし。なんか、ジャンル分けで聴いてるとブラック・ミュージック・ファンはシンプリー・レッド聴かないかもしれないけど、耳で感覚的に聴けばすごく好きになるんじゃないかと思っていて。「Holding Back The Years」とか象徴的だけれど、彼らの曲は、グレッチェン・パーラトを筆頭に、今の「JTNC」で取り上げてるようなアーティストもカヴァーしてるよね。
柳樂:こういうのって日本で受けそうっていうのも強く感じますね。
橋本:だから、これもこみあげ系なんだよね。
山本:フリー・ソウルの影響か、当時12インチがなかなか見つからなくて(笑)。

 

カーディガンズやシンプリー・レッドの話に代表されるように、フリー・ソウル・ムーヴメントというのはやはり東京、さらに言えば90年代ならではのものだと思う。マニアックな方向に向かうのではなく、自由に開放的にジャンルの垣根を越える。『Ultimate Free Soul 90s』には当時のFMヒットもたくさん入っている、という話もあったが、ジャンルの細分化ということが言われながらも、現在ほどムラ社会化していなかったのが当時の状況で、多くの人が共有できるヒット曲の中に、今回の話で出てきたようなフリー・ソウル的な要素を持つものがあった(SMAPなどはまさにその代表格だろうか)。それは、トライブ・コールド・クエストがルー・リードをサンプリングしたときの自由な感覚がフリー・ソウルの根底にある、という話とも接続すると思った。既成概念やジャンルの壁に捉われずに選び、紹介するという橋本さんの姿勢は、やはりヒップホップに大きな刺激を受け、クラブ・カルチャーを通過したものだということを改めて感じた。

 


ディアンジェロの登場と90sサウンド

橋本:あとは今日の話の「Free Soul 90s」を象徴するようなコンセプチュアルな曲についても少しずつ触れていこうかと思ってるんですけど。渋谷系とフリー・ソウル、という意味ではウィリアム・ディヴォーンをカヴァーしたマッシヴ・アタックであったり、バーバラ・アクリンをカヴァーしたスウィング・アウト・シスターであったり、というのがあるんですが、ヒップホップやR&Bの世界でも象徴的なものはあるなと思って、一番はやっぱりマイケル・ジャクソン「Human Nature」を使ったSWV「Right Here」のテディー・ライリーによるリミックスですね。あとは個人的な好みを言うと、カラー・ミー・バッドという、一般的にはニュー・ジャック・スウィング寄りのアイドル・グループというイメージだったんですけど、彼らがプリンスの「Crazy You」を琴線に触れる感じ、グッとくる感じで使っていて、そういう曲なんかも今回の『Ultimate Free Soul 90s』に入れたりしてます。流れてきましたね(カラー・ミー・バッド「How Deep」)。
山本:アーバンですねえ(笑)。
橋本:僕らは当時、渋谷を舞台にしてる部分が大きくて、どっちかというとカラー・ミー・バッドとかは六本木にいる人が聴くイメージだったんですよね。僕らはグラウンド・ビートやUKソウルやアシッド・ジャズが好きだとすると、いわゆるボビー・ブラウン的な世界というかニュー・ジャック・スウィングとかは六本木の人たち、みたいな。今の人たちにはなかなか伝わらないかもしれないですが、そういう違いがあって。でも、「Free Soul 90s」ってそういうところも超えてきたいな、って気持ちがあって、当時『Free Soul 90s~Green Edit』に入れたんですけど。
柳樂:そういうのが混ざってた時代っていうのもありますよね。ホイットニーが「I’m Every Woman」をカヴァーしたり、マライア・キャリーが「Got To Be Real」や「Best Of My Love」みたいな曲を演ってるじゃないですか(「Emotions」)。そういう、昔のテイストを持った曲をめちゃくちゃアッパーなポジションの人もやってたっていう、時代の空気はありますよね。
橋本:じゃあ、その流れで90年代R&Bやヒップホップのどこらへんが僕ら的には好きだったか、っていう話をしてこうと思うんですけど。「How Deep」の前にはシャンテ・ムーアの「Free」っていう、デニース・ウィリアムスの『Free Soul Lovers』ってコンピレイションにも入っていた曲のカヴァーが入ってるんですけど。90年代前半はね、ヒップホップ・ソウルって言われるループ感の強い、コード感のあんまりないトラックの上で歌われる、アン・ヴォーグだったりメアリー・J. ブライジだったりが象徴的だと思うんだけれど、そういうのが流行っていて。それがだんだん90年代半ばになってくると、70年代前半のニュー・ソウルを90年代に蘇らせたような、いわゆるニュー・クラシック・ソウルっていうのが出てきて。これはその後のネオ・ソウルって言われる音楽だったり、「JTNC」のメインのトピックになっているロバート・グラスパー周辺にも直接的につながってくる音楽の始まりだと思っているんですが、象徴的なのはディアンジェロの「Brown Sugar」の登場だったんですよね。もちろん、今回は「Brown Sugar」も入ってます(笑)。『Ultimate Free Soul 90s』に関しては、選曲の際に迷ったときは、知る人ぞ知るというような曲よりも、最終的には有名な曲を取りました。で、ニュー・クラシック・ソウル的なものの象徴がディアンジェロの「Brown Sugar」とエリカ・バドゥの「On & On」かなと思います。
山本:ディアンジェロは『Voodoo』収録曲だと他の橋本さんのコンピにも入ってますよね。
橋本:そうですね。「Africa」とか「Feel Like Makin’ Love」とかは、今までのコンピレイションで使ってますけど、90年代感という意味では「Brown Sugar」かなと。当時、いろんなリミックスも出てたりしたし。
山本:ですよね。
橋本:やっぱり僕にとって馴染みやすかったのは、ジャズっぽい要素が入っていたからなんですよ。この曲はトライブ・コールド・クエストのアリが絡んでいて。エリカ・バドゥも、やっぱり「90年代のビリー・ホリデイ」なんて言われて。アルバムもリムショットで始まる感じとかがジャズの意匠みたいなものを感じさせて、当時の僕たちの気持ちに本当に合っていたなと思います。
柳樂:それ以降、オーガニックなR&Bとか増えましたもんね。
山本:僕は『Brown Sugar』よりも、リアルタイムで聴いたのは『Voodoo』と『Baduizm』、この2枚が大きくて。当時のオーガニック・ソウルとかネオ・ソウルとかですね。
橋本:マックスウェルあたりからその流れがあってね。
山本:そうですよね、マックスウェル、ディアンジェロの存在は大きいですよね。
橋本:そう。今だったらアンダーソン・パックの感じとかが「Brown Sugar」が出てきたときっぽいんだよね。21年経って思うのは、「Brown Sugar」初めて聴いたときのことを、この前アンダーソン・パックのニュー・アルバム聴いたときに感じましたね、うん。
柳樂:『Voodoo』とか聴くと完全に90年代以降ていうか、ソウルクエリアンズ〜J・ディラ以降の感じになってるんだけど、『Brown Sugar』はそれ以前のキラキラした感じが残ってるというか。
橋本:歌モノ感というかね。マーヴィン・ゲイとかアル・グリーンとか、スティーヴィー・ワンダーもダニー・ハサウェイもそうなんだけど、90年代のソウル・ミュージックっていうのは、70年代の偉人たちへのリスペクトをストレートに表現するのが多かったと思いますね。『Ultimate Free Soul 90s』もそうだし、21年前にやった6枚のシリーズも、そういうのがすごくたくさん入っています。
柳樂:メアリー・J. ブライジがすげえわかりやすいかなって思いましたね。
橋本:彼女は90年代のソウル・ミュージックの変遷を体現している人なので。ファーストの「Real Love」は典型的なヒップホップ・ソウルのスタイルですよね。で、セカンドからは「I Love You」のスミフ・ン・ウェッスンをフィーチャーしたリミックスを今回世界初CD化っていうことで入れたんですけど、やはりニュー・ソウル的な匂いがしてくる。他の曲ではカーティス・メイフィールドを使っていたり。で、それが90年代後半になるとローリン・ヒルと組んで「All That I Can Say」をやったりっていうところも、当時ディーヴァって言葉が流行ったんですけど(笑)、メアリー・J. ブライジって90年代の流れを体現してる存在だなって気がしますね。
柳樂:ローリン・ヒルより前って感じがしますよね。
山本:うん、ローリンよりちょっと前。
柳樂:『The Miseducation Of Lauryn Hill』とかになるとちょっと空気が変わるけど、その前のもうちょっとバブリーな感じというか。
山本:そうですね。
橋本:ローリン・ヒルは98年、って感じがすごくするね。もちろん、メアリー・Jはそこともリンクしていくんだけど。
山本:ソウルも内向的な志向というか、密室的な音作りも含めて変わっていきますよね。
橋本:『Love Jones』のサントラがまさにそういう90年代的な音楽がたくさん詰まっていて、ローリンの「Sweetset Thing」が入っていたり、カサンドラ・ウィルソンやアメール・ラリューの曲が入っていたり、あとはディオンヌ・ファリスの曲がとても良かったりするんだけど、あの感じに僕は90年代後半を感じていて。99年になるとティンバランドとかが出てくるんで、2000年代を準備する感じに個人的には聴こえてしまって、今回は97年くらいまでをメインに入れてるのは、僕なりの90年代に対するイメージっていうのがあるかもしれないですね。
柳樂:オーガニックな、まあマックスウェルとかもそうかもしれないけど、ミュージック・ソウルチャイルドだったり、ああいうものになってくるとほぼ生演奏じゃないですか。けど、このくらいだと、まだ打ち込みというか。
橋本:R&Bという感じが残ってるよね。
柳樂:そう、まだ完全にそっちに行っていない中間という感じがして。だから、フランキー・ナックルズとかニューヨリカン・ソウルとかと一緒に入っていても違和感がない。
橋本:完全に生ではないってことだよね。
柳樂:だから、ビーツ・インターナショナルとも同居できるっていうか。
橋本:DJが作った音楽とも接点があるってことだよね。
山本:プライマル・スクルームもそうですよね。
柳樂:ディオンヌ・ファリスもすげえわかりやすいですよね。
橋本:今ニューヨリカン・ソウルの話も出ましたが、フリー・ソウルも96年くらいに、ディスコっぽいものとかダンス・クラシック的なものがマイ・ブーム的に流行ってくるんですけど、その頃いちばんかけてたのがサルソウル・オーケストラの「Runaway」って曲だったんですね。ちょうど「bounce」の編集長やり始めた頃に、ニューヨリカン・ソウルっていうプロジェクトをルイ・ヴェガがやる、さらにサルソウル・オーケストラの「Runaway」をカヴァーするって聞いて、その音源が来たときに本当にブルッときたのを覚えてますね。当時はブレイクビーツ・ハウスが出てきて、「The Nervous Track」という象徴的な曲があったんですけど、ルイ・ヴェガやケニー・ドープを中心にハウスが変わっていく時期で、ニューヨリカン・ソウルっていうのはそれを生演奏で偉大なる先達のレジェンド・ミュージシャンと再構成するという一大絵巻で、それがジャイルス・ピーターソンのトーキング・ラウドから出たんですよね。この曲もJ-WAVEすごかったよね。
山本:ヘヴィー・プレイでしたよね。それにしても、このディスク1の選曲の流れヤバイですよね。ははは(笑)。
橋本:ジャミロクワイ〜ニューヨリカン・ソウル〜ブラン・ニュー・ヘヴィーズ〜R.ケリー〜レニー・クラヴィッツ!
山本:そしてオマー。たたみかけましたよね。
柳樂:『J-WAVEヒット』って名前変えても出せそうな。
山本:ここ最近、ずっとお店でこのコンピを流してたんですけど、上がるんですよね。自分も含めて。
橋本:仕事はかどるよね。
山本:元気が出ますね。
橋本:仕事はかどるで思い出すのは、「bounce」をやってた頃に、入稿時期になるとSMAPのベスト盤とか『007』『008』『009』あたりが、ずーっとかかり続けてるのね。あれも仕事はかどるみたいなんだよ。そういう意味で、この「Free Soul 90s」の感覚とSMAPの感覚ってすごく近いんだ(笑)。
山本:でもまあそうですよね。当時、「bounce」でもSMAPの特集とかやってましたよね。すごく面白い切り口でやってたの覚えてます。

 

90年代半ば、ディアンジェロやマックスウェルの登場で、R&Bシーンの潮目が変わった感じがしたのを覚えている。流行の曲のテンポがどんどん下がっていった、というのもその一つ。R&Bシーンにも先述した“フォーキー”の流れが押し寄せ、それが生音重視のサウンド・プロダクションへと変化していく。ベイビーフェイスがフォーキー化した1996年の『The Day』に続いてエリック・クラプトンの「Change The World」をプロデュース、その曲も収録した豪華ゲスト参加の『MTV Unplugged』、トニー・リッチのファースト・アルバムなどは、時代の雰囲気をよく伝える作品だろう。また、トラディションへの敬意を強く感じさせたエリック・ベネイのデビュー・アルバムや、“ソウルの申し子”トニー・トニー・トニーのサザン・ソウルの香りが色濃く漂う曲が入っていた『House Of Music』といったあたりも忘れがたい。この頃、「bounce」でニュー・クラシック・ソウル特集が組まれていたのを覚えている(というか、バックナンバーを持っています)。そこに真打ち登場という感じで現れたのがエリカ・バドゥだった。一度聴いたら忘れられない声質と気だるく中毒性のあるヴォーカル、アンクやターバンといったアフロセントリックな意匠は、時代が変わったと思わせるに十分だった。サンプリング・ソースにリロイ・ハトソンを使っているあたりも“わかっている”というか、ニュー・ソウルとの共振性を強く感じさせ、僕のような音楽ファンに現在進行形のフリー・ソウルを印象づけた。その後、ディアンジェロとエリカ・バドゥはJ・ディラやザ・ルーツのクエストラヴらとソウルクエリアンズを結成、さらなるネクスト・レヴェルへと向かうが、彼らのセカンド・アルバム『Voodoo』と『Mama’s Gun』やコモンの『Like Water For Chocolate』などは、2010年代のロバート・グラスパー・エクスペリメントなどにつながっていく要素を持った名盤だった。

 


フリー・ソウルにおけるUKカルチャーの影響

橋本:せっかくニューヨリカン・ソウルの話になったので、トーキング・ラウドっていうレーベルが大きかったっていう話もしようと思うんですが。90年代前半はさっき話が出たヤング・ディサイプルズ、ガリアーノ、インコグニート、あるいはアーバン・スピーシーズの「Spritual Love」みたいなところが僕たちのパーティーでもよくかかっていました。それがニューヨリカン・ソウルくらいの時期から、僕はそこで90年代が折り返したと思っているんですが、ロゴも変わって第2期に突入していきます。そこで出てくるのが4ヒーローだったりロニ・サイズだったり、ニューヨリカン・ソウルにインナーゾーン・オーケストラ、テリー・キャリアーの復活だったりってことになるんですけど、これもフリー・ソウルにとっては大きなもので。『Talkin’ Loud Meets Free Soul』っていうコンピレイションを90年代前半編と後半編それぞれ2枚組で作ってるんですけどね。まあでも、そのコンピから外せないなと思って、今回も5曲以上入ってるかな。
山本:そうですか。確かにけっこう入ってますよね。
橋本:極めつけは4ヒーローの「Escape That」のロン・トレント・リミックスっていう、9分くらいある曲を思いきって使ったことで。
山本:この曲が入っているディスク3も面白い曲が並んでますよね。
橋本:フリー・ソウルの一つのヒントになっているのは、レア・グルーヴだったりジャズで踊るみたいなムーヴメントだったりするんで、皆さんが想像するよりも90年代の現場はイギリスとのシンクロニシティーみたいなものがとても強かったですね。
山本:UKソウルっていう言葉を高校生くらいのときに初めて知ったんですけど、ポール・ウェラー周辺もそういうのに含まれてたり、いろいろ紐解いてくと面白かったですね。
橋本:僕は90年代が始まったと思うのは、さっき話したネイティヴ・タンのヒップホップと、UKソウルのグラウンド・ビート、ソウル・Ⅱ・ソウルが88年に「Fairplay」、89年に「Keep On Movin’」っていうシングルを出すんですけれど、あの瞬間にやっぱり僕の中では90年代が始まったっていう意識がすごくあって、今回もそのグラウンド・ビートの要素を絶対に反映させたいなと思って選んだのが、ムーヴメント・98の「Joy And Heartbreak」と、コートニー・パインの「I’m Still Waiting」なんですね。これ2曲続けてるんですけど、当時から鉄板で、最初の「Suburbia Suite」がまだ4ページしかないフリー・ペーパーの頃にグラウンド・ビートの記事を作ってるんですが、そこで表紙で紹介していたような12インチで。どちらもキャロル・トンプソンという女性ヴォーカリストをフィーチャーしてます。キャロル・トンプソンは当時、ラヴァーズ・ロックのアルバムをいくつか出していたんですけど、彼女のヴォーカルは80年代までに歌唱表現の中で高い評価を受けていたディープなものに比べるとよりメロウというか、寄り添う感じのものなんですよね。シャーデーの時代のヴォーカルっていうか。当時はシャーデーも全然評価されていなかったんですよ。みんな嘘かと思うかもしれないですけど、カフェバーで流れているような、しゃらくさいムーディーな音楽ぐらいに思われてて。でも、僕はシャーデーがウィリアム・ディヴォーンを好きだって言ってる話とかを聞いて、この人は本当に、日本ではそう捉えられてないけど、ソウル・ミュージックが好きなんだって思ったんですね。そういう流れと、グラウンド・ビート~UKソウル、キャロル・トンプソンはリンクする嬉しい存在だったんです。
柳樂:UKっぽさってありますよね、フリー・ソウル全体に。アメリカ的じゃなくて。
橋本:移民2世的なね。グラウンド・ビートやラヴァーズ・ロックがまさにそういう音楽だけどね。っていうのは、まさにイギリスってカリブ海からの移民が多くて、そういう音楽がキャロン・ウィーラーの『UK Blak』、“c”のないブラックなんですけど、カリブ海周辺からの移民2世の音楽ってことも込められてる言葉なんですよね。
柳樂:新譜とかで出るもので、フリー・ソウルっぽいなって思うのはUKものが多いなって思うんですけど。エイミー・ワインハウスとかもフリー・ソウルと合うじゃないですか。
橋本:うんうん、モッズ通ってる感じの。
柳樂:そうそう、ジョス・ストーンとかも。アメリカへの憧れがある異国の音楽の方が、フリー・ソウルっぽい気がするんですよね。
橋本:うん、フィルター通してる感じだね。白と黒という部分でもそうだし、アメリカとイギリスという部分でもそうだし。
山本:アズテック・カメラとかオレンジ・ジュースとか、いわゆるネオアコ・ソウルというか、スタイル・カウンシルもそうですね。
橋本:本当に初期の頃は、リズム・ギターのカッティングが入ってるのがフリー・ソウルっていうジャンルなんじゃないか、って捉えられてたんですよ。だからロックっぽい曲とかを入れたりすると、こっちはDJイヴェントでは普通にやってるから自然なんだけど、コンピCDだけで接してる方からすると「え、これもフリー・ソウル?」ってのはあったみたいですね。
山本:コリン・ブランストーンとかフリー・ソウルに入ってますけどね。
橋本:うん、「ペイル・ファウンテンズみたいじゃん」みたいな話だよね。フリー・ソウルの70年代音源のコンピは、ライナーノーツは対談みたいな感じでやっていて、そこでカジュアルに思ったことを言っていたんですね。そこからいろんな連想ゲームみたいなものができていって、シーン全体の集合知みたいなものが形成されたところはあると思いますね。
山本:あの対談では90年代のリアルタイムの話が出てきてるから、そういう時代性というのは聴いてて読んでてわかっていましたけど。
柳樂:UKっぽさという意味では、シンプリー・レッドとかマッシヴ・アタックとか、レゲエを通ってる感じ。
橋本:ブリストル・サウンドにつながってる感じだよね。ワイルド・バンチっていうサウンド・システムの存在がすごく大きくて、それがソウル・Ⅱ・ソウルにもマッシヴ・アタックにもなると。
柳樂:で、コートニー・パインがいて、みたいな。ジャネット・ケイが「Lovin’ You」歌ってたりとか。
橋本:そう。ラヴァーズ・ロックの女性シンガーの特徴って、フリー・ソウルで好まれたデニース・ウィリアムスだったり、シリータだったり、シェリー・ブラウンだったり、パトリース・ラッシェンだったり、みんなスティーヴィー・ワンダーのバックのコーラス隊ですけど、そういう透明感のあるメロウなヴォーカルとすごく親密な関係にあるっていう。そういう意味でもラヴァーズとかグラウンド・ビートと70年代の女性ヴォーカルものって自然に混ぜてた、って記憶がありますね。
山本:リンダ・ルイスも英国ですよね。
橋本:ああ、リンダ・ルイスもまさにカリブ海の血の入ったイギリスの女性シンガーですよね。
山本:それこそアリワ・レーベルに通じるような感じですよね。
橋本:で、リンダ・ルイスにイギリスに会いに行ったときに、同じスタジオでオマーにも会ったんだよね。彼もまさにそうじゃない?
柳樂:オマーもベース・ラインはちょっとレゲエっぽかったりしますよね。
橋本:「There’s Nothing Like This」のベース・ラインっていうのはそういう気持ちよさだし。グラウンド・ビートのベース・ラインってやっぱりレゲエだし。さっき話に出たビーツ・インターナショナルのいちばんヒットした「Dub Be Good To Me」ってS.O.S.バンドのリメイク曲も、完全にクラッシュ「Guns Of Brixton」のベース・ラインを使ってたり。イギリスの音楽は、レゲエの影響は果てしなく大きいですよね。
山本:マッド・プロフェッサーもかなり大きいですよね。カリビアンな感じで。
橋本:そうそう。マッド・プロフェッサーってどういう人かっていうのを簡単に紹介しますと、アリワっていうラヴァーズやダブのレーベルをイギリスでやっている人で、すごく象徴的だなって思うのは、フリー・ソウルのコンピレイションを出した翌年の95年に、つまり「Free Soul 90s」を出した年なんですけど、『Be Sweet』『Be Lovely』っていうラヴァーズ・ロックのコンピレイションのオファーを受けたんですよ。で、それはウィリアム・ディヴォーンとかソウル・ミュージックのカヴァー、デニース・ウィリアムスの「Free」的な世界観をラヴァーズ・ロックで表現したアリワ・レーベルのショウケースで。そのときは「Suburbia Sound System」という名義で作ったんですけどね。
柳樂:有名なアーティストのフリー・ソウルっぽい曲を探すときに、ラヴァーズ・ロックでカヴァーされてるのを探すと、すごく“らしい”んだよね。
橋本:アレサ・フランクリンだったら「Day Dreaming」だったりね。
柳樂:すごいフリー・ソウルですよね。
橋本:わかる。スタイリスティックスだったら「遠い天国(You’ll Never Get To Heaven)」だしね。どれもそのコンピに素晴らしいカヴァーを入れてるんだけど。
柳樂:橋本さん、もともとニュー・ウェイヴ聴いてた、みたいな話あったじゃないですか。アメリカよりイギリスなんですよね。
橋本:まあ、本当に照れくさいような話なんですが、ソウル・ミュージック好きになったのもポール・ウェラーやスタイル・カウンシルの影響だったりする世代なんで。
柳樂:でも、本場のそれじゃない自由さっていうのが面白いんですよね。
橋本:自分はそういう混ざった感じが好きなのかなと思うね。ブルー・アイド・ソウルだったりブラウン・ソウルだったりするような。

 

この後の話ともつながってくるが、90年代はファッションと音楽の結びつきが強かったのも特徴だ。Bボーイならもちろんヒップホップ、スケーターならビースティー・ボーイズやグランジ、モッズならブリット・ポップやスカ・リヴァイヴァル、アニエス・ベーなどのフレンチ・ブランドならフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴ、あるいはスウェディッシュ・ポップ……というように、着ている服の趣味で好きな音楽がわかりやすいというような状況があった。そんな中、フリー・ソウル界隈はやはりUK的なソウル・ボーイのセンスを感じさせるシーンだった。そもそもの発端が“ジャズで踊る”ムーヴメントにあるように、ジャイルス・ピーターソンやノーマン・ジェイといったイギリスのレア・グルーヴ・カルチャーにフリー・ソウルは多大な影響を受けているし、当初はそこへの直接的な共鳴も感じられた(それが96年くらいになると、独自の進化を遂げていくのがまた面白いところでもあるのだが)。SNSによって同じ趣味を持った人同士が地域を越えてつながる、ということがまだなかった当時、具体的な場所や雑誌やファンジンなどを介して人々はコミューンを作っていた。そのような中でいわゆる“渋谷系”や“フリー・ソウル”というのは、ある種の合言葉だったようにも思う。小西康陽やサバービアが絶賛し、現在では“渋谷系”ソフト・ロックの古典として知られる、ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズの名を引き合いに出して言えば、決してビッグ・サークルではないけれど、自分と同じような感覚を共有している人々のコミュニティー、それが前述したような言葉で表されたのだろう。実際に、トークショウの中で出てきた「(90年代は)集団ゲームだった」「フリー・ソウルのライナーの対談はシーンの一種の集合知だった」というような言葉に表れているように、似た好みやセンスを共有している者同士に感じるシンパシーを抱きながら、僕たちはそれらを読んだり現場に出かけたりし、たくさんの示唆や情報を受け取った。

 


90年代におけるファッションと音楽の結びつき
過ぎ去りし日々~90s Dream

山本:90年代って、オルタナティヴ全盛期で、ベックが出てきたりグランジ・ムーヴメントがあったりという時代でしたが……。
橋本:フリー・ソウルでも「Loser」かけてたね、そう言えば(笑)。「クラブでベックかけるの?」ってクラブ・ミュージック本流の人たちは思ったと思うけど、現場にいるとみんな歓喜して盛り上がって踊っていて。さっきのカーディガンズもそうですけど、渋谷ならではのジャミロクワイやベック人気がアイコン感としてあったんですよね。
柳樂:ベックもそうですし、「Free Soul 90s」収録曲だと、G・ラヴとか。
橋本:そうそう。G・ラヴ&スペシャ・ソースとか、ビースティー・ボーイズのレーベルであるグランド・ロイヤルから出たルシャス・ジャクソンとかも入れたりしてたんですよ。
柳樂:それ、90年代のクラブっぽいですよね。当時はスケーター・カルチャーとかファッション的な要素も大きくて。
山本:XLARGEとかSTUSSYとか、そういうブランドも音楽と結びついたし、ちょうどP’ PARCOがオープンしたりとか(1994年)。
橋本:ある種の記号としてああいうものが機能する時代だった。
柳樂:で、もうちょっと後になるとトミー・ゲレロとかが出てくるのにつながる、90年代の空気って感じがしますね。
橋本:いわゆる音楽オタクじゃない人が聴く音楽という意味でもね。ベックだったりビースティー・ボーイズだったりジャミロクワイだったり、キャラの立った人たちがすごく重要だったのかも。レニー・クラヴィッツとかもそうかもしれないけど。
山本:彼らがファッション雑誌の表紙を飾ったりしてたのも印象的でしたよね。
橋本:そうだ、90年代半ばはアイズレー・ブラザーズ再評価ってのも大きかったね。ここにフライヤーがあるんで思い出したんですけど。95年に『Groovy Isleys』『Mellow Isleys』というコンピを作っていて、これは今日一貫して話している、世界同時にさまざまなところで再評価が高まるという典型かなと思って。「Between The Sheets」に代表されるメロウなサンプリング・ソースという側面だけじゃなくて、彼らはさっきのプライマル・スクリームのときに話題が出たスティーヴン・スティルスの「Love The One You’re With」をカヴァーしていて、それをTokyo No.1 Soul Setがヒットした「黄昏’95」でループしていたり。一方でアリーヤが歌モノとして「At Your Best (You Are Love)」をR.ケリーのプロデュースでカヴァーしたり、「For The Love Of You」はそれこそホイットニー・ヒューストンのカヴァーからコモンのサンプリングまであるしね。
山本:シュガー・ベイブにもつながりますよね。
橋本:そうそう、『Free Soul Lovers』に入れた「If You Were There」。それに「Harvest For The World」は、スタイル・カウンシルとかにもつながっていくような。「Work To Do」はいろんなカヴァーがフリー・ソウルのコンピに収録されてるしね。アイズレー・ブラザーズってのは、それまでの音楽ジャーナリズムではすごくスウィートなバラードか重量級ファンク、というふうに捉えられていて、僕らの好きな『Givin’ It Back』っていうギターを抱えてるジャケのアルバムとかは触れられてさえいないような状況だったんですけど。僕らが好きだったのは、黒人であるアイズレー・ブラザーズが白人であるキャロル・キングやトッド・ラングレンをカヴァーしているっていう、白と黒の中間的なところなんです。でもそれは東京だけじゃなくて、さっきのアリーヤやスタイル・カウンシル~ポール・ウェラーもアイズレーの再評価につながっていたり、ヒップホップやR&Bのアーティストがサンプリングしていたりっていう、大きな流れが理想的な形で盛り上がって浮上したのがアイズレー・ブラザーズでしたね。
柳樂:フリー・ソウル以前と以後でベスト盤の選曲が変わった気がしますよね。キャロル・キングをカヴァーしていたアルバムのジャケ、Tシャツになってなかった?
山本:ああ、『Brother, Brother, Brother』。
柳樂:ファッション的なアイコンとしても使われてましたよね、フリー・ソウル的なもののジャケットって。そこにアイズレー・ブラザーズがあった、という印象があります。
橋本:じゃあそろそろ、ちょっと締めに向かって行きましょうか。今日、一貫して話していたことっていうのは、最初にも言いましたけど、「Ultimate」っていうベスト・オブ・ベスト的なコンセプトによってこのコンピ・シリーズはヒットしている部分が大きくて、みんなの好きな曲がこれでもかと入っているというところに集約されがちなんだけど、作り手としては「Free Soul 90s」という考え方、音楽の捉え方が重要だということで。それは何かっていうとジャンルとジャンル、人種と人種、時代と時代を音楽の感じ方によって結びつけていくというか。今の音楽を楽しむ延長で過去の音楽を楽しんだり、過去の音楽を好きな人が現在進行形の音楽にも興味を持つきっかけになったりっていう部分をとても意識して選曲していたことを伝えたかったんですね。それに最適な二人がお相手をしてくれて、今日は感謝です(笑)。
山本:いかがですか、柳樂さんは。「JTNC」もやられて。
橋本:要は「JTNC」も同じだよね、ってとこに着地するんだけど(笑)。
柳樂:古い音源を集めたフリー・ソウルのコンピレイションと違って、リアルタイムで聴いていたようなものも入っていて。代表曲が必ずしも入っているわけではないですよね。レニー・クラヴィッツとかエリック・ベネイとか。
橋本:逆に言うとレニー・クラヴィッツはフリー・ソウル的にはあの曲(「It Ain’t Over ‘Til It’s Over」)に尽きるからね(笑)。
柳樂:そうですね。この1曲が好きだからアーティストが好き、みたいな価値観ってあるじゃないですか。またはその1曲のためにアルバムが好きみたいな。そういう価値観を提示してくれた感じがすごくします。
橋本:僕がここ2〜3年やってる「Free Soul~2010s Urban」シリーズは、21年前に「Free Soul 90s」でやったことの2010年代版で、奇しくも柳樂くんが「JTNC」の原稿や編集を通じて伝えようとしていることとすごくシンクロしていて。それで最初に対談したんだよね、やはり山本くんが司会をしてくれて。HMVのウェブサイトに掲載されてるので、機会があったらぜひ見ていただきたいんですが。それからことあるごとにこういう話をさせてもらう中で、僕らの考えてることが少しずつ皆さんに伝えられてるんじゃないか、と思っています。
柳樂:ライナーに元ネタとかいっぱい書いてあるんで、元ネタも聴いてほしいです(笑)。Apple Musicとかで誰か元ネタのリストとか作ってくれたらいいのに。
橋本:「Free Soul 90s」のフライヤーでそういうことを奇しくもやってるんだけど、音楽の架け橋や輪廻転生を矢印で結んでる感じっていうのをうまく選曲で表現できたらなと思って「Free Soul 90s」や「2010s Urban」シリーズをやってる、ってのをわかってもらえたら僕はすごく嬉しいですね。
山本:これを見てると、当時の橋本さんが伝えたいものをすごく感じますよね。
橋本:ホントそうなんだよ、「重箱の隅をつついてる」とか怒られてたんで(笑)。違いますよ、っていうね。
山本:90年代と言っても、数えればもう20年以上前でだいぶ昔のことって感じになっちゃいましたけど。この『Ultimate Free Soul 90s』が出るべくして出たってのは、「JTNC」を読んでもわかりますね。
橋本:なんせコンピを作ったきっかけが、去年のエソラ池袋(HMV)の3人でやったトークショウに柳樂くんが「Free Soul 90s」をまとめて持ってきてくれたことだから。
山本:もし可能であれば、フォーキー・サイドなんていうスピンオフ企画も……。ぜひ橋本さんに編んでほしいですね。
橋本:じゃあ、そのときは山本勇樹の「Quiet Corner」との近似性みたいなものをぜひトークショウで話したいですね(笑)。「Quiet Corner」ってのは、僕なりの解釈なんだけど、「Suburbia Suite」の一冊目のディスク・ガイドの世界観やスタイリングを最も今の時代のフィーリングで紹介しているメディアだと思ってます。で、敢えて言うなら「JTNC」はフリー・ソウル的なフィロソフィーを最も本質的に受け継いでくれてるものだと思ってます。
山本:ありがとうございます、恐縮です(笑)。今日は長い時間お付き合いいただきまして、皆さまありがとうございました。とっても濃い内容になったと思います。2時間以上にわたって、本当にどうもありがとうございました。
橋本・柳樂:ありがとうございました。


僕が音楽に目覚めた10代の半ば、もうジョン・レノンもマーヴィン・ゲイもいなかった。90年代に一種のポップ・アイコンとして大きな影響力を持っていたレニー・クラヴィッツやジャミロクワイに対して、前者はジョン・レノンやボブ・マーリー、後者はスティーヴィー・ワンダーやギル・スコット・ヘロンの焼き直しだ、というような言説を音楽雑誌で目にしたりしたのだが、それから20年以上が経過し、多少のノスタルジーを込みで言わせてもらえるなら(僕もそのような年齢になったということだ)、やはりこの時代に多感な時期を過ごしてよかったと思える。今回のトーク・イヴェントで3人の話を聞きながら、僕は自分の10代半ば~大学生くらいの時期のことを思い出していた。実際、90年代は音楽的に不毛な時代などではなく、クラブ・カルチャーを通過して過去の音楽が時代もジャンルもメジャー/マイナーも問わずに等価(横並び)になった時代であり(そこにはCDというメディアの存在も大きく関わっているのは言うまでもない)、2016年からあの頃を眺めても、その輝きは特別なものであり続けているし、それが『Ultimate Free Soul 90s』には確実に刻印されている。


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