BIOGRAPHY
クラウディオ・アバド Claudio Abbado (1933.6.26-2014.1.20)
1933年6月26日、イタリアのミラノの音楽一家に生まれる。ヴェルディ音楽院で作曲とピアノを学んだ後、1956年から58年にかけてウィーン国立アカデミーにて指揮をスワロフスキーに師事した。1958年タングルウッド音楽祭でセルゲイ・クーセヴィツキー賞を受賞し注目を浴びる。1963年ミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝。1965年、カラヤンに招かれたて出演したザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮したマーラー交響曲第2番《復活》の大成功によって彼の世代のトップ指揮者として広く知られるようになった。
1968年ミラノ・スカラ座の首席指揮者に就任、72年から86年まで音楽監督、77~79年には芸術監督を務めた。1979年からはロンドン交響楽団の首席指揮者、83年から88年には同団初の音楽監督となり、この間、シカゴ交響楽団の首席客演指揮者としても活躍した。1986年、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任し(1991年まで)、ウィーン・フィルとの関係も密接となる。1990年、カラヤンの後任としてベルリン・フィルの首席指揮者・芸術監督に就任、2002年まで務めた。
若手音楽家の育成にも力を入れ、1978年ECユース・オーケストラを創設、その出身者によるヨーロッパ室内管弦楽団を1981年設立した。1986年にはグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラを設立、そのOBによるマーラー室内管弦楽団を1997年設立した。マーラー室内管は、ルツェルン音楽祭ではルツェルン祝祭管弦楽団の中心メンバーとして活躍している。2004年にはボローニャにモーツァルト管弦楽団も設立している。2000年に胃癌で倒れ、奇跡的な復活を遂げた後は、これら自身で設立した若手中心のオーケストラとの共演で数々の名演を残した。
指揮者として公式には1966年デッカに最初の録音を行い、翌年からドイツ・グラモフォンに録音を始めた。以来、ドイツ・グラモフォンの看板アーティストとして46年に亙り、ロンドン交響楽団、シカゴ交響楽団、ヨーロッパ室内管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、モーツァルト管弦楽団などと数々の名盤を残した。
その音楽性は勿論、人間性においても広く尊敬を集めた。旧来の自我を強く反映させた支配的な指揮者とは一線を画し、スコアを深く読むことによって作品に内在するものを顕在化し、また、楽団員それぞれの自発性を尊重し、彼らと共に音楽を作ってゆく指揮スタイルは彼に続く若き指揮者たちにも多大な影響を与え、オーケストラ演奏の根幹を刷新したといえなくもない。
2014年1月20日、ボローニャの自宅にて80年の生涯を閉じた。