<海外プレスリリース>クラウディオ・アバド氏の訃報をうけ、ユニバーサル・ミュージック・グループよりプレスリリースが出されました。
クラウディオ・アバド氏の訃報をうけ、ユニバーサル・ミュージック・グループよりプレスリリースが出されました。
その訳を掲載いたします。
クラウディオ・アバド
(1933年6月26日 – 2014年1月20日)
この度はドイツ・グラモフォンとして、20世紀だけではなく、21世紀最大の指揮者の一人の逝去を発表しなければならないことを大変残念に思う。我がレーベルは、クラウディオ・アバドの46年間に渡る音楽の旅にお伴できたこと、そして彼の作品をレコーディングと言う形で残させて貰えたことを誇りに思う。
ユニバーサル・ミュージック・グループ・インターナショナル会長兼最高経営責任者(CEO)マックス・ホールのコメント:
「世界中の音楽愛好家同様、私もマエストロ・アバドの死を大変悲しんでいる。 音楽というものに対するクラウディオ・アバドの貢献は、彼がスカラ座を始め、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ルツェルン・フェスティバルまで、彼が作り上げたアンサンブルを含め、計り知れないものだ。ユニバーサル・ミュージックの全社員にとって、彼と何年にも渡って共に仕事ができたことは大変恵まれたことだった。彼は真の巨匠の一人だった。」
中央欧州ユニバーサル・ミュージック兼ドイツ・グラモフォン社長フランク・ブリーグマンのコメント:
「クラウディオ・アバドは、彼の作品を通してだけではなく、その人柄をもって音楽の世界を変えた。彼は常に対話と協力に重点を置き、それによって彼の音楽はあそこまで活き活きとしたものとなった。更に、彼は若い音楽家たちの後援者として彼らに影響を与えた。残念なことに私たちが将来にむけて計画していた事柄が未完のままになってしまう。しかし、クラウディオ・アバドの精神は彼の死後も、彼の残したレコーディング作品や、彼が他のアーティストに教えたことの中で生き続けるということは慰めになる。」
クラウディオ・アバドは、音楽家たちの背中を押したり、オーケストラを設立したり、さまざまなフェスティバルを立ち上げたりするにあたって持ち合わせていたコミュニケーション能力や、そのために決して惜しまなかった労力をもって人々の心の中に記憶されるだろう。
2012年にグラモフォン誌が「クラシック音楽を変えた50人」の一人としてアバドを選出した際、「クラウディオを偉大な芸術家たらしめるものは、彼の人間性、そしてたった一つのジェスチャーだけでオーケストラの音を変えてしまえるというところだ…(中略)…彼のパフォーマンスは人の人生を変えることができるのだ」と、ダグラス・ボイドは述べている。
1967年にドイツ・グラモフォンで初めてのレコーディングをし、2013年に最後のレコーディングをしたアバドは、類まれなレコーディング作品の遺産を残した。それらは、彼の音楽家としての進化、ベートーヴェンを始め、シューベルト、メンデルスゾーン、ロッシーニ、ヴェルディ、ムソルグスキー、マーラー、ドビュッシーやラヴェルなどに対して彼の持っていた特別な一体感、現代作品に対する擁護、彼が音楽監督を務めると同時に彼の音楽的キャリアを築きあげたミラノのスカラ座(1968年~1986年)、ロンドン交響楽団(1979年~1987年)、ウィーン国立歌劇場(1986年~1991年)そしてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1989年~2002年)における功績、これらすべての証人となるものだ。
彼は多くの時間を若い才能を育てるために費やし、1981年には、後にヨーロッパ室内管弦楽団(COE)へと発展していく欧州連合ユース・オーケストラを創設し、音楽監督を務めた。彼らを率いた彼は、ロッシーニの 『ランスへの旅』 とシューベルトの交響曲全集 (それぞれ1986年と1988年にグラモフォン誌 の「レコード・オブ・ザ・イヤー」に選出)を指揮した。 2002年にベルリンを離れた後、COEとマーラー室内管弦楽団との仕事を続け、2003年にはルツェルン祝祭管弦楽団を、2004年にはボローニャでモーツァルト管弦楽団を結成させた。
それ以降もメジャー・リリースは後を絶たなかった。2013年6月には、アバドの80歳の誕生日を記念してドイツ・グラモフォンは彼の中核的交響曲のレパートリーを網羅した41枚組のCD(輸入盤479 1046)を発売。同年、モーツァルト管弦楽団とレコーディングしたシューマンの交響曲第2番、マリア・ジョアン・ピリスとのモーツァルトピアノ協奏曲集を発売し、マルタ・アルゲリッチとはモーツァルトのピアノ協奏曲第20番二短調K.466と第25番ハ長調K.503をレコーディングし、2014年2月に発売予定である。
アバドが自らの言葉で自らのアプローチを「私にとって『偉大な指揮者』と言う言葉は意味がない、偉大なのは作曲者なのだから」と一言でまとめたが、これは中身のないレトリックではなかった。オリジナル・スコアの専門家との協議を含む緻密な準備を経た彼は、記憶だけを使って指揮をした。楽譜の物理的な存在から解放され、本当に耳を傾けるという才能を持っていたことこそがおそらく、彼の演奏を唯一無二のものにしたのだろう。2009年に ガーディアン紙 とのインタビューの中ででアバドは述べている、「私にとって、聴くことが最も重要なことだ。お互いに耳を傾け、人の言葉に耳を傾け、そして音楽に耳を傾けることが重要なのだ」と。