ECM NEW SERIES ECM NEW SERIES

ECM NEW SERIES

マジック・リアリズムが司る音楽の異界が交差する場所で。
 
“作曲された音楽”と“即興による音楽”。60年代後半、ECMを立ち上げようとしていたプロデューサーのマンフレート・アイヒャーは、双方が存在することで互いの存在感が中和されるように音楽を集める、そんな風にレーベルのディレクションを考えていた。そしてまず、当時世界を席巻していた“解放”、 “自由”という幻想に感化された青年は、“即興による音楽”に向かう。

レーベル創立から約20年を迎えようとしていた1984年、New Seriesと題しあらたなディレクション、つまり“作曲された音楽”の制作を始める。シリーズ第一弾は、エストニアの作曲家、アルヴォ・ペルトの作品集だった。タイトル名は『タブラ・ラサ』。そのタイトルが意味するのは白紙の状態。この言葉はまさに、マンフレート自身の制作コンセプトやレーベルの姿勢を示すものでもあり、レーベルがその音楽性を本格的に中和し始めたことを表明したタイトルだった。

この象徴的なタイトルを冠したアルバムで、ヴァイオンリンとピアノのためにペルトが書いた『フラトレス』を演奏するのはギドン・クレーメルとキース・ジャレット。ピアノだけが置かれたステージに、真っ白な状態で現れその場で音楽を創り出すキース。バッハから現代音楽まで、古典的な書法のものからラディカルな記譜法によるものまで、まっさらな状態でライブミュージックとして意のままに命を吹き込むクレーメル。“作曲されていない音楽”と“作曲された音楽”、この二つの音楽の世界を象徴する二人がペルトを介して邂逅した瞬間だった。

この時までに、キースには世界的にヒットした『ケルン・コンサート』などがあった。そしてこのペルト以降、クレーメルは彼が主催する室内楽の音楽祭をドキュメントした『ロッケンハウス音楽祭』をこのシリーズでリリースし始める。音楽祭の一連の録音には、現在単独でリリースされているヴァレリー・アファナシエフの『シューベルト;ピアノソナタ21番』の怪演、クレーメルがアンサンブルで演奏するシュニトケ、ショッタコーヴィチなどや、若かりし頃のハーゲン弦楽四重奏団によるヤナーチェクの四重奏第一番の名演などのライブが収められている。

今にして思えば二人の共演はこのレーベルでしか実現しなかっただろうし、そこに介在したペルトという作曲家もこのレーベルなくしてその存在をこれほどまでに広く知られることはなかっただろう。このアルバム、このシリーズは、音楽の二つの異界がまるでマヌエル・プイグの『蜘蛛女のキス』に登場する革命家とゲイが交わすキスのように、それぞれの運命、歴史を交叉、交換した瞬間を記録していた。その後キースはショスタコーヴィチの『24のフーガと前奏曲集』、バッハの諸作品をリリースする。クレーメルは近年、バッハの『ソナタとパルティータ集』をECM NEW SERIESに再録音し、演奏家として異次元の深化をこのレーベルに記録している。こうした異界との交わりは、その後もヤン・ガルバレクとヒリヤード・アンサンブル、ディノ・サルーシとロザムンデ・カルテットのアルバムといった成果を続々と生んできた。

作曲された作品に向かうこと、予め譜面に刻まれた風景を前に演奏家は何を思うのだろう。「沈黙の次に美しいサウンド」。このレーベルが掲げる看板は、記された音、一つ一つを注視し、耳を澄ませ一音一音、空間に放つ演奏家に耳を凝らし、やがて沈黙がサウンドで満たされていくプロセスを正確に捉える、このレーベルの変らない姿勢を示す。ECM 、Edition of Contemporary MusicのMusicは、アート=技術のアンソロジーとしてのエディション、Art、つまりECAでもあり得た。New Seriesはこのレーベルのアート、マンフレートの耳がとらえるもう一つの世界を開く扉なのだ。

高見 一樹


  • http://www.riaj.or.jp/
  • http://www.universal-music.co.jp/faq/legal/
  • http://www.stopillegaldownload.jp/
  • http://www.riaj.or.jp/lmark/