<お詫びとお知らせ> 2017.07.31 UP
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ドイツ・グラモフォン ベスト100premium
アリス=紗良・オット ドイツ・グラモフォンの魅力を語る
――ドイツ・グラモフォンとの出会いについて
子供の頃からクラシックのレコードをたくさん聴いていましたが、ドイツ・グラモフォンというレーベルを生まれてはじめて意識したのは、確か4歳になった時。当時、ドイツ・グラモフォンから、俳優が朗読した作曲家の伝記を音楽と一緒に収録した、カセットテープのシリーズが出ていたんです(注:おそらく『Wir entdecken Komponisten』シリーズのこと)。そのシリーズの中のショパンのカセットを、親からプレゼントしてもらいました。まだ「Chopin」の読み方さえわからない状態だったので、「コピンって、誰だろう?」みたいな感じで(笑)。それを聴いて、ショパンの人生の暗い部分を、はじめて知りました。
そのカセットをもらった時、真っ先に目に飛び込んできたのが、「Deutsche Grammophon」と書いてある黄色いレーベル。「この黄色いマークは、なに?」と親に訊ねたら、「とても歴史の古いレコード会社で、クラシックでいちばん格式のあるレーベルなんだよ」と教えてもらいました。すると、「じゃあ、私も大きくなったら、ここからカセットテープを出すことができるの?」って、まだ4歳の私が親に言ったらしいんです(笑)。たぶん、レーベルというものが何を意味するのか、よくわかっていなかったと思います。とにかく、その頃は作曲家の伝記シリーズのカセットを集めるのが好きだったので、カセットを並べた棚が真っ黄色になりました。
その後、11歳か12歳の頃から、自分の好きなピアニストのCDを買い漁るようになりました。やっぱり黄色いレーベルに目が行ってしまうというか、選ぶのはドイツ・グラモフォンのCDが多かったですね。実家に戻ると、その頃に買ったCDが、今でもたくさん残っています。ピアノだとアルゲリッチ、ポリーニ、ミケランジェリ、ホロヴィッツ、ツィメルマンのショパン、ギレリスのベートーヴェンなど。オーケストラだとアバドの録音がいっぱいありますし、室内楽だとエマーソン弦楽四重奏団。それから、母がオペラやリートが好きなので、そのジャンルのCDも多いです。昔のドイツ・グラモフォンのアルバム・ジャケットって、作曲家名と曲名と演奏者名が黄色いロゴの中に「どーん」と大きく書かれていて、それがとても好きなんです。一時期、あのスタイルをやめてしまったのが、すごく残念でした。やっぱり、LPの時代から続くドイツ・グラモフォンの伝統だと思うので、また復活させるかもしれません(注:彼女の最新アルバム『ワンダーランド』では、そのジャケット・スタイルが復活している)。
――専属契約を結んだ時の思い出
最初に「ドイツ・グラモフォンの人が演奏を聴きに来る」と言われた時は、想像もつかなかったのですが、みなさん気さくで親切な人ばかりで、専属契約が決まった時も温かく迎えて下さり、すぐに「ファミリーの一員に加わった」という実感が湧きました。
はじめはプロデューサーの方がひとりで聴きに来て下さって、次は2人、その次は3人、その次は4人、そして社長と当時の副社長がいらして、最後に6人全員で来て下さったと記憶しています。その間、日本のユニバーサル・ミュージックのみなさんも聴きに来て下さいました。ですので、契約を結ぶまでは、ステップ・バイ・ステップのプロセスという感じでしたね。実際に契約を結んだ時は、本当に夢を見ているような感じでした。子供の頃からドイツ・グラモフォンという名前を知っていたし、その録音を聴きながら育ってきました、自分がそのレーベルと本当に契約できるなんて、すごく幸せでした。
契約記念の会食の時、当時の社長が私の隣に座りました。彼はアメリカ人で、ドイツ語があまり話せなかったのですが、私はまだ19歳で、全然英語ができなかったんです(笑)。「録音する機会が出てきたら、プログラムはどうする?」と、社長が英語で質問してきたのですが、何を言っているのか全然わからない(笑)。「いったい何を言っているのかな? “recoding”って言っていたし、“program”とも言っていたから、どんなプログラムをチョイスするのかって、訊かれたのかな」と推測して、そのまま答えたんです。当時から、デビュー・アルバムはリストの『超絶技巧練習曲集』を絶対録音したいと思っていたので、素直にそう答えたら、すんなりOKして下さったので、すごく嬉しかったです。やっぱり、自分の思い入れのある曲でないと、録音に説得力が生まれませんからね。
実は、あとから知ったのですが、彼自身はリストが大嫌いだったという(爆笑)。4、5年前のこと、彼が社長を辞めてから、リサイタルを聴きに来て下さって、こう言ったんです。「僕ね、実はリストがすごく苦手なんだよ。でも、あの時、アリスがどうしてもリストを録音したいというから……」。
――デビュー・アルバム『リスト:超絶技巧練習曲集』について
「なぜ、リストの『超絶技巧練習曲集』を録音したいのか?」と訊かれた時、こう答えたんです。「リストは、派手でパッセージが速いだけの上っ面の音楽、と勘違いされていますが、私はリストの音と音のあいだに、もっと深いものが隠されていると信じています。もっとリスナーに、リストの音楽の素晴らしさを知っていただきたい。それこそ、ふだんは“練習曲”としか見られていない『超絶技巧練習曲集』を通して、彼の良さを知っていただきたい。それが、私にとって大きなチャレンジなんです」と。録音は、当初3日間の予定でした。それ以前には、録音というものを一度しか経験したことがなかったので、最初は「どんな感じになるんだろう?」とすごく緊張していましたが、エンジニアの方に温かく接していただいたおかげで、とてもスムーズに録音が進み、2日間でほぼ全部が仕上がったと記憶しています。私自身は、曲を細かくバラバラにして録音していくような、パッチワーク的なやり方は好きではないんです。全部通して弾かないと、ライヴのような感覚が生まれてこないので、ほとんど通しで録音することが多かったです。演奏というものは、1回ごとにリズムや息の仕方が全部変わってくるので、ブツ切りに録音すると、曲の流れが崩れてしまうんですよね。ですので、できるだけライヴと同じ状態で、通しで弾くことを大事にしています。
――ドイツ・グラモフォンらしい音とは?
マイクなどの技術的なことに関しては、あまり詳しくないので、そういう点で「らしさ」を判断することはできませんし、演奏家によって弾き方も個性もみんな違いますので、一概には言えないと思いますが、音が一音一音、とても大事にされているということは、録音の時にも伝わってきました。マイクの位置決めにすごく時間をかけたり、細かいところまで神経を使っていましたね。私自身はCDを聴くと、演奏家の音や弾き方で、誰が弾いているのか判ります。そういう意味で、演奏家の真の音をできるだけナチュラルに録音し、それをそのままリスナーに届けるという点が、ドイツ・グラモフォンの得意なところではないかと思います。
――自分が納得できる曲を録音させてもらえるレーベル
リストの『超絶技巧練習曲集』の後、ショパンの『ワルツ集』も私がどうしても録音したかったプロジェクトですし、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第1番》も、自分がいちばん付き合いの長い協奏曲なので、これも前々から録音したかった曲でした。自分の思い入れが強い曲でないと、何のインパクトももたらさない録音になってしまうので、リスナーのみなさんをガッカリさせてしまうじゃないですか。その点に関しては、ファンのみなさんにも、ご理解いただけているのではないかと思っています。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタを録音した時、日本側から《エリーゼのために》も録音してほしいという要望がありました。実は3回も断ったんですけど(笑)、「どうしても録音してほしい」とお願いされたので、生まれてはじめて《エリーゼ》の楽譜を買いに行ったんです。行きつけの楽譜屋さんの目が点になって、「マジ? ジョークじゃないよね?」「いえ、ジョークじゃないです」みたいな(笑)。それで家に帰って、実際に弾いてみました。その上で、「努力してみたけど、やっぱり録音するのはイヤです」と答えるつもりだったんです。
私がそれまで知っていた《エリーゼ》は、どれも「タララララララララ~」みたいな気の抜けた弾き方でした。しかも当時、ドイツではノキアのケータイが《エリーゼ》を着信音に使っていたので、「タララララララララ~」がケータイから聴こえてくるたびに、「この曲、大キライッ」と思っていたんです。ところが楽譜を開いた瞬間、「えっ!? これがエリーゼ?」と驚きました。「あれっ? この曲、アウフタクトで始まるんだ……意外とよい曲だなあ……中間部のメロディは、今まで知らなかったし……やっぱりベートーヴェンだ、さすがだな」と感心しながら弾き始めました(笑)。それで、最終的に録音をOKしたんです。
そんなアネクドートもありますけど、やはり最終的には、自分が納得できる曲を録音しないと説得力が生まれないと思っています。そういう意味で、弾きたくない曲を録音したことは、今まで一度もありません。
――フランチェスコ・トリスターノとの共演盤『スキャンダル』について
もともとは、フランスの古典派のアルバムを録音したかったんです。その中で、フランチェスコをゲストに呼んで、バッハの2台ピアノのための協奏曲を共演してもらう予定でした。ところが、そのアイディアがいろいろな事情でボツになってしまい、「せっかく、一緒に録音しようというところまで話が進んだのだから、何かふたりでアルバムを作ろうよ」ということになったんです。で、何を録音するか、ふたりとも真っ先に挙げてきたのがストラヴィンスキーの《春の祭典》2台ピアノ版でした。そこから、いろんなアイディアを膨らませ、ディアギレフにオマージュを捧げたアルバムを作ることになったんです。そういう意味では『スキャンダル』も、自分が弾きたくて納得できる曲を録音したアルバムだと言えますね。それで、「ディアギレフにオマージュを捧げる以上は、何か現代音楽が必要だろう」という話になり、それならばフランチェスコが新曲を書くのが一番いいだろうということで、彼が書いてきたのが《ア・ソフト・シェル・グルーヴ》という、ものすごく弾きにくい曲でした。しかも、楽譜が届いたのが録音直前のギリギリで(笑)。
――イエロー・ラウンジでの演奏について
(ドイツ・グラモフォンがクラシックを紹介するクラブ・イベント)イエロー・ラウンジは、他のレーベルにはない、とてもよい試みだと思っています。ドイツ・グラモフォン以外に所属しているアーティストから、「うちのレーベルは、こういう活動がないんだよねー」と、うらやましがられたりもしますね。今までクラシックに触れたことがないリスナーでも、イエロー・ラウンジのようにラフな格好でリラックスできる環境だと、集まって下さるんですよ。
クラシックのコンサートって、たとえ興味はあっても、すごく堅いイメージがあるから、なかなか足を運び辛いところがあると思うんです。でも、クラシックも、ロックやポップスやジャズと同じく、言葉で表現できないものを表現する音楽。それが感動を与えるということが重要だと思います。「言葉で表せない何か」が、そこにある。それは、どんなジャンルの音楽でも同じだと思うんです。イエロー・ラウンジでは、演奏の合間に、作曲家がどんな人生を送ったとか、ちょっとしたトークを入れたりします。もっと、クラシックの堅くない部分を知っていただきたいんです。トークの中で、ちょっとした曲の背景のエピソードを紹介すると、お客さんが曲を聴く姿勢も変わってくるんですよ。
それと、クラシックを聴き慣れていない人が「クラシックは堅い」と勘違いしているように、実は私自身も同じように勘違いしている部分があったんです。はじめのころ、イエロー・ラウンジでは、リストのようにパッセージが速くてヴィルトゥオーゾな曲を弾いたほうが、お客さんにも受けるんじゃないかと思い込んでいました。ある意味、お客さんをナメていたんですね。でも、イエロー・ラウンジでベートーヴェンのソナタを演奏した後、お客さんに「もっと聴きたかった」とおっしゃっていただきました。すごく新鮮な体験でした。
――もっとリラックスして、クラシックを聴いてほしい
いつも思うんですけど、クラシックのコンサートって、この50年か60年くらいのあいだに、ルールが多くなり過ぎてしまったんじゃないかと。いつの間にか、演奏家のドレスコードができ上がっていたりとか。よくよく考えてみると、200年前の作曲家たちや演奏家たちは、単にその当時流行していた服を着ていただけですよね。ところが、私たち現代の演奏家は、いまだに燕尾服なんかを着て舞台に出てくる。つまり、200年前の服装で演奏しながら、「もっと若い世代にクラシックを聴いてもらいたい」と期待しているわけですけど、そこはすごく謎ですよね。音楽を聴くためには、見た目も重要だと思うので、そういうドレスコードも必要ないし、ルールも必要ないと思います。私が夢見る将来のオーケストラは、レザーパンツを履いて、黒いTシャツを着て、バッハやモーツァルトを弾いている感じですね(笑)。
よく、演奏会のプログラムの裏なんかに「咳をしないでください」「楽章の間に拍手をしないでください」と書かれていますが、そういうことも本当はすべきではないと思うんです。咳というものは、「しちゃいけない」と緊張してしまうから、かえって出てしまう。リラックスして聴いていれば、そんなに咳なんて出ませんよ。「咳をするな」というのは、実はすごく矛盾しているんです。それから、たとえお客さんが楽章の間に拍手をしても、私自身は「何が悪いの?」と、気にしません。もしも、演奏家が楽章間の拍手を望まないなら、そうなるように演奏家が曲を作っていかなければいけないと思うんです。それは、いくらでも演奏家の側でできることですよ。それなのに、最初からお客さんに「拍手しちゃいけない」と決めてしまうと、みんな堅くなってしまって、楽しめなくなってしまうじゃないですか。私たち演奏家は、そういう部分に関しても、もっと考えていかなければならないと思います。将来のお客さんがどんなお客さんになるか、それは私たち演奏家の責任でもありますからね。
クラシックを聴くためには、ある程度の知識や教育が必要だという意見をよく耳にしますが、それも間違っていると思います。「もっと聴きたいな」と思って何度も聴いていくうちに、自然と知識もついてきますし、そこから教育も発展していきます。最初から、知識や教育が必要だとは思いません。音楽は、どこにでも気軽に存在していて、誰が聴いても構わないものだ、と信じています。
取材&文:前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)