2015年9月1日に、80歳を迎える小澤征爾。
この記念すべき年を迎えるにあたり「小澤征爾80歳記念キャンペーン」を実施いたします!
小澤征爾80歳記念キャンペーン
村上春樹さんからエッセイが届きました!
「いつまでも動き続けてください」 村上春樹
1990年代にボストンに住んでいた頃、僕はボストン交響楽団の定期会員になって、シーズン中は毎週のようにコンサートに通っていた。当時は小澤征爾さんが常任指揮者として活躍しておられ、その美しいボストン・シンフォニー・サウンドをたっぷり愉しませていただいたのだが、個人的には面識はなかった。時々顔を合わせるようになったのは、お互い日本に戻ってきてからだ。
小澤さんがウィーン歌劇場の総監督をつとめておられたとき、その街を一週間ほど訪れたことがある。たくさんの素敵なオペラやコンサートを聴いた。コンサートの終わったあと一緒に食事をし、おいしいワインを飲み、音楽について語り合った。だいたいは「あれもやりたい、これもやりたい」という話だった。小澤さんは、オペラという領域を究めるための理想的な環境に身を置いていられることが、何より嬉しそうだった。長年にわたってオーケストラの音楽を究めてきたあと、そういう新しい可能性が与えられたことが幸福だったのだろう。そんな喜びの気持ちが鮮やかに伝わってきた。
癌が発見されたために、そのような生活に終止符が打たれてしまったことは、小澤さん自身のためにも、また音楽のためにも、まことに惜しいことであったと思う。そのとき小澤さんが感じておられたであろう悔しさ無念さは、僕のような門外漢にもひしひしと理解できた。しかしそれから三年あまり、苦しい闘病生活を乗り越え、あたかも新しい境地に入られたかのような最近の充実した演奏を聴いていると、正直なところ「人生というのは、いったい何がいいのか悪いのか、ちょっと測りがたいところがあるな」と感じないわけにはいかない。
小澤さんの音楽を耳にしてとにかく思うのは、「この人は常に動き続けている人なんだな」ということだ。さらに付け加えれば、「あらゆるものを糧にして動き続けている」人なのだ。僕はこれまでいろんな分野の芸術家に会ってきたが、そういうところがここまで徹底している人に、まだお目にかかったことがない。そんなわけで、「どうかこのまま、いつまでも動き続けていてください」というのが、80歳の小澤さんに送るーあるいはあえて送る必要もないのかもしれないがー僕の言葉になる。
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