BIOGRAPHY
CHRIS CORNELL
クリス・コーネルをサウンドガーデンやオーディオスレイヴといったマルチプラチナ・バンドを支えた野性的で哀愁に満ちた声のボーカリストとして認識している人にとって、このハードロック史においてもっとも崇められているフロントマンのひとりがヒップホップ/R&B界のスーパー・プロデューサー、ティンバランドをニュー・アルバム『スクリーム』の舵取りに選んだという事実はショッキングなことに思えるかもしれない。
しかし
容赦ないほど革新的なアーティストであり、これまでの長いキャリアでも危険を冒すことをまったく恐れていないと証明し続けてきたコーネルは、「ティムとオレは一緒に新しいサウンドを作り出したんだ。二人のヴァイブと創造力が傑作を生み出すのを手伝ったのさ。オレたちは、音楽のあらゆるルールや常識を打ち破ることでお互いの最良の部分を引き出したんだ」と確信している。
実際、すでにデジタル・リリースされている「スクリーム」、「グラウンド・ゼロ」、「ウォッチ・アウト」の3曲は、シアトル・グランジの先駆的存在、サウンドガーデンで80年代半ばに初めて注目を浴びたコーネルが、大々的にスタイルを変化させたことを明示している。
『スクリーム』で、ティンバランドはコーネルのドラマチックなメロディと鋭い歌詞を創意たっぷりに生かして、その激しくエモーショナルなボーカル・パフォーマンスを巧妙なサンプルと抗しがたいギクシャク・ビートの分厚い層に対峙させている。その結果がエッジの効いたロックと魅惑的なダンス・ミュージックの継ぎ目のないブレンドであり、コーネルにとって真に現代的で刺激的な再生と感じられるものなのだ。「オレがこんなふうに聞こえたことは今まで一度もなかったよ」とコーネルは認める。「アルバム全体がオレにとってかなりラディカルな音楽的逸脱なんだ。オレのキャリアのハイライトだね」
二人の意外なコラボレーションが実現することになったのは、パリのナイトクラブのオーナーであるコーネルの義理の兄弟が、彼に2007年のソロ・アルバム『キャリー・オン』の数曲のリミックスをティンバランドに頼んだらどうかと提案したのがきっかけだった。それまでの数年の間に、ティンバランドは
ジャスティン・ティンバーレイク、ネリー・ファータド、ワンリパブリックといったアーティストのヒット曲にその魔法のタッチを加えることで音楽業界の大黒柱的ソングライター/
プロデューサーとして名声を確立していた。たんに2,3曲のリミックスでは飽きたらずに、ティンバランドは彼とコーネルとでアルバム一枚全部をレコーディングしようと提案した。作業は2008年初頭にマイアミで始まり、5週間続いた-コーネルはそのプロセスを「遊び場にいる子供そのものだった」と言い表す。ティムの方は、アルバムは「自分のキャリアで手がけた最高傑作だ」とライアン・シークレストに語っている。
クラブ・フレンドリーな方向性は長年のファンを驚かせるかもしれないが、コーネルはもともと決して成功に甘んじるタイプの男ではなかった。彼は20年以上もの間、世界的に評価されるシンガー、ソングライター、リリシストとして独自のユニークな個性を見事に維持してきた。グラミー賞に輝いた「ブラック・ホール・サン」や「スプーンマン」などサウンドガーデンの一連のヒットを書いてグランジ時代のパイオニア的存在としてもてはやされたあと、コーネルは1997年のサウンドガーデン解散後もソロ・アーティストとして活躍を続けた。きわめてメロディックな1999年のソロ・デビュー作『ユーフォリア・モーニング』からのファースト・シングル「キャント・チェンジ・ミー」はグラミー賞にノミネートされ、「ミッション」の別バージョンは映画『ミッション:インポッシブルⅡ』のサウンドトラックに収録された。
2000年にコーネルはソロのキャリアを中断し、元レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのメンバー、トム・モレロ、ティム・カマーフォード、ブラッド・ウィルクとともにオーディオスレイヴを結成。オーディオスレイヴが3枚のベスト・セラー・アルバムを発表する中で、コーネルは2003年のトリプル・プラチナ・デビュー作から「ライク・ア・ストーン」、2005年のプラチナ認定アルバム『アウト・オブ・エグザイル』から「ダズント・リマインド・ミー」など、バンドの一連のヒット曲ですべて歌詞を書いていた。
2006年、コーネルはジェームス・ボンド映画のテーマ・ソングを書いた初のアメリカ人シンガーとなった。このスパイ映画シリーズでこれまでにもっとも成功を収めた『カジノ・ロワイヤル』で「ユー・ノウ・マイ・ネーム」を共作したのだ。2007年2月、コーネルはオーディオスレイヴを脱退すると発表、続く数ヶ月を6月リリースの『キャリー・オン』の準備に費やした。このアルバムはビルボードのトップ200アルバム・チャートに17位初登場。ここに収録されたマイケル・ジャクソンのクラシック「ビリー・ジーン」の大胆なブルース調のカバーは、2008年3月に『アメリカン・アイドル』のシーズン7でデヴィッド・クックがコーネル流の削ぎ落としたアレンジのバージョンを披露して大好評を博し、大きな注目を集めることになった。コーネルはお返しにアメリカン・アイドルの優勝者となったクックのデビュー・アルバムでデビュー・シングル「ライト・アウト」を共作してやったのだった。
昨年夏、コーネルはリンキン・パークとともに大ヒットした『プロジェクト・レヴォリューション 2008』ツアーに参加
した。これは大成功に終わった2007年の彼自身のワールド・ツアーに続くものだった。このツアーで、彼はキャリアのあらゆる場面からの歌を披露、新しいオーディエンスのためにそうした曲を再解釈し、その歌に元から備わっている情熱に新しいショックを混ぜ合わせてみせた。今、彼は『スクリーム』で同じようなインパクトを生み出すことを楽しみにしている。「オレは音楽と感情的に結びついているんだよ」と彼は言う。「それを世界中のみんなと分かち合えるなんて興奮するね」