BIOGRAPHY
CHERYL COLE / シェリル・コール
シーッ。誰にも言わず内緒にしてほしいんだけど、シェリル・コールは今、ものすごく緊張している。「正直言って、怯えてるわ」と、荒く息を吸い込みながら、そう打ち明ける彼女。00年代のUKポップ帝国に君臨した最先端かつ最大のグループ、ガールズ・アラウドの中で、ソロ・アルバムを一番先に完成させたメンバーとして 、彼女はこれまで慣れ親しんできた言葉遣いを少し分かりやすいものに言い換えようと、安全地帯の外へと完全に足を踏み出した。「この10年間はほとんどずっと、他の4人のコたちは私にとってクッションみたいな、つまり衝撃を和らげてくれる役割を果たしてくれていたの。私たちはそれぞれみんな、お互いにとってのクッションなのよ」。ガールズ・アラウドが先日コールドプレイのサポート・アクトを務めた際、楽屋に置いてあったテレビの画面に自らのデビュー・シングルである楽しげなバロック・ポップ・チューン「ファイト・フォー・ディス・ラヴ」のビデオが流れたのを目にした時、彼女は戦慄し、少し動揺を覚えたのだった。(尚、ガールズ・アラウドがコールドプレイの前座を務めることになったのは、当然ながらクリス・マーティンたっての要望である)。
女性たちはシェリル・コールのことが大好きだ。どんな世代でも、女性たちが共感したり、気になって仕方のない、“ポップ・ウーマン”が必要とされるもの。自己改革に関して言えば、シェリルは間違いなく達人級だ。出発点が最低のどん底であろうとも、星を目指して手を伸ばすことは少しも恥ずかしくなんかない ―― 身をもってそれを示してくれたシェリル・コールは、私たちみんなにとっての象徴なのだ。なぜなら時として、本当に星を掴めることがあるのだから。
新しい時代の新しいカリスマであるシェリル。だが彼女は、そんな言葉を聞きたいわけではない。彼女を称賛しようとしたり、現代文化において彼女が占めている地位についてまとめ上げてみようとする度に、きまって彼女から返ってくるのは、「よしてよ、そんなこと言うのはやめてよね!」という反応だ。彼女は決して自らの原点を忘れたりはしない。彼女はそういう人だ。サッチャー政権によって崩壊しつつあったこの国の、北東部の街にある公営住宅に生まれた彼女は、現代ならではの夢を追い、行き着く先をリアリティTVのオーディション番組に見出した。この業界のキーパーソンを目指すに当たっては、実に望ましい“実習期間”だったと言えよう。そのタレント・オーディション番組で優勝した結果 ―― ここで忘れてはならないのが、実際の“タレント=才能”の部分。つまり曲を通じて国中の心を捉えた才能だ ―― 人々の目を釘付けにしてやまない魅力に溢れたガールズ・アラウドのメンバーとなった彼女は、リアルな心情とリアルな生活を描いた比類なき大ヒット曲の数々を、世に送り出すことになった。00年代のポップ界においては、ガールズ・アラウドは無敵の存在である。そんな彼女が、更に良い経験を積み重ねるため、今度はソロとしてデビューを果たすことになったのだ。
(否応なく現実的にならざるを得なかった)彼女の地に足の着いたアティテュードや、歯に衣を着せることのできない率直さ、独特の魅力、その謙虚さ、決してお高くとまらない所、そしてはっきり言ってしまうが、目を見張るようなその美しさは、男性だって看過すわけはない。というより全くその逆で、多くの男性の心を奪ってきた。21世紀の英国音楽業界は、サイモン・コーウェルとクリス・マーティンという、個性的でパワフルかつ両極端な2人の成功者を輩出したが、その両者共がシェリル・コールに魅了されていることを公言。彼女を大いに支援しているのである。
こういったことを踏まえれば、よもやそれほど動揺などせずともいいのでは? 少しは落ち着いてもいいはずではないか。だがしかし、それではまだ足りなかった。今回のソロ活動のエンジンが本格的にかかるようになったのは、現在世界で最もホットなプロデューサーといっても過言ではない男に、一瞬にして認められるという出来事があってからだ。その男とは、ブラック・アイド・ピーズのメンバーであるヒットメイカー、ウィル・アム・アイ。「事のいきさつはこうなのよ」と、シェリルは自らのソロ活動の経緯について、昔ながらのお伽噺モードで語り始める。「去年、私たちは『The Passion of Girls Aloud』(パッション・オブ・ガールズ・アラウド)っていうTV番組を制作したの。それぞれみんな、自分が興味を持ってることをやってみるっていう企画でね。それで私は、ストリートダンスに挑戦してみたってわけ。その番組の最後に貰えるご褒美が、ウィル・アイ・アムのシングル “Hearthreaker”のビデオにゲスト出演できるってことだったのよ」。シェリルにはよくありがちなことだが、底力を感じさせるエネルギーに溢れた、彼女の堂々としたパフォーマンスにウィル・アイ・アム氏が夢中になり、試しにヴォーカル・ブースに入ってフック部分を歌ってみてはどうかと、シェリルに依頼したのであった。
「とにかくもう、私はその曲にべた惚れしちゃったの」とシェリル。「私たちはすぐに意気投合したしね。彼がイギリスにいる間は、夜、一緒に遊びに出かけたりしてた。友達になって、それで彼は『また一緒に仕事がしてみたい』って私に言ってくれたのよ」。大物プロデューサーからそのような言葉を掛けられるということは、実に重みがある本当の敬意の表れであった。「その意味を、私はちゃんと理解すらしてなかったのよね。ものすごい褒め言葉だったけど、心に留めてすらいなかった、ホントに。私はガールズ・アラウドの活動で一所懸命だったのよ。グループでの活動だけに完全に集中してた」。
ガールズ・アラウドにとって最大のヒット作でもある、最新アルバム『アウト・オブ・コントロール』のプロモーションを行っている時のことだ。ブリット・アウォーズでは「The Promise」により『最優秀英国シングル賞』を受賞し、またグループ結成以来、最も大規模かつ最も豪華なツアーの準備をする傍ら、彼女たちは、グループとして1年のオフをとるべきだという決断を下したのである。「ツアーの最終日は、6月6日のニューカッスル公演(※訳注:シェリルの出身地)だったの。私にとってどれほど胸に込み上げるものがあったか、想像つくでしょ。私の家族や肉親、全員が来てくれてたわ」。それは彼女の原点と、そして彼女がこれから向かおうとしている場所の、見事な対比となっていた。「最終公演が終わった晩、他のメンバーはみんな休暇に入ったの。仕事を少し休むためにね。でも私は、髪のリタッチをする時間すらほとんどないまま、『Xファクター』の新シリーズの撮影でグラスゴーに飛んだ。撮影が翌日7日から始まったのよ。でも私の人生って昔からそういうものだし、そういうところが気に入ってるのよね。例えばもしそれがもっと……“普通”になってしまったら、きっと不安になっちゃうと思う」。
『Xファクター』で今度は彼女にスター審査員としての役割が回ってきたことに、全英は不意打ちを食らったかもしれない。だがそれも、シェリル自身の受けたショックには到底及ばなかっただろう。「あの部屋に足を踏み入れた時、知り合いは1人たりともいなかった。キャストも番組スタッフも含めてね。唯一知っていたのがヘアメイクの女の子で、それは私の大のお気に入りのルイスなんだけど、それはまた全然別の話」。審査員という重い責任のある立場に身を置くことで、彼女は自分の中で変化が起きていることに気づいた。「とにかく前より自信がついたわ。何もかもがちょっとマトモじゃない状況になってて、私は気が変になってもおかしくないほどだったと思う。でも私にとっては、このこと[※審査員を務めたこと]は、新しい何かに着手することの不安を自分1人で克服できるかどうかっていう、大事な問題だったのよ。そんな度胸がどこから湧いてきたのか、自分ですら分からない。あつかましくもあの部屋に初めて入って行った時、正直、『こんな所で一体自分は何やってるんだろう?』って思ってたわ」。
新たな自信を彼女が得たことから、ある独自のアイディアが芽生え、彼女の世界の回りに、ある新鮮な意識が生じ始めた。レコード会社の人間たちが、ウィル・アイ・アムからのオファーに興味はあるか、そして彼とスタジオ入りして作品づくりしてみる時間をとってみないかと、彼女に尋ねるようになったのである。すっかり及び腰になり、落ち着かない気持ちになってきたのは、そこからだ。「ガールズ・アラウドで作品を作る場合は、メンバーはただヴォーカル・ブースに入って、予めほぼ完成に近いところまで出来上がっている曲に合わせて自分の担当パートを歌うわけでしょ。ウィルとの仕事では、曲が白紙の状態から作り上げられていく様子を、私も目の当たりにする。彼は私に、ビートや歌詞に関する意見を求めたりしてきたのよ。フックを書くようにって、私に課題を出したりもして。それを提出する時は恥ずかしくて死にそうだったわ。『私、一体ここで何やってるんだろう?』『どうして彼は私と一緒に仕事がしたいんだろう?』って思ったものよ。私はファーギーみたいには歌えない。自分にはそれだけの価値があるとは感じてなかったの。そして彼は、遠慮して遠回しな言い方をするような人じゃないのよね」。
蓋を開けてみれば、なかなかどうして、出来上がっていく曲にウィルは満足。それはシェリルも同じだった。「一番最初の段階から、自分だったらどういうものは歌わないかってことが分かったわ。ドン、ドン、っていうダンスビートや、普段私が自分では使わないようなフレーズが聞こえたら、それはナシってこと。自分のソロ・アルバムを作るつもりなら、私が自宅でかけるような作品でなくちゃダメ。ガールズ・アラウドでやってる音楽は大好きよ。クセのあるところが大好きだし、それが私たちのサウンドだし、大好きだわ。でも今回は、パーソナルなものでなくてはならなかったの」。
今回のレコーディング・プロセスに弾みがついたのは、ソロとしてのシェリル・コールにとって最重要曲となる、魅惑的なロボ・ポップR&Bデュエット「3 Words」に、ウィルとシェリルがぶち当たった後だ。「あの曲が私のものだなんて、いまだに信じられないわ」と、こうして今その成果に喜びながら、シェリルは語る。イビサ島とマイアミのサウスビーチとの間のどこかにある想像上のダンスフロアを闊歩しているような、引き締まったそのサウンドは、ニューカッスル出身の1人の女性が打つ携帯メッセージから紡ぎ上げられたかのように聞こえる歌詞と調和。ガールズ・アラウドがやっている音楽とは全く無関係のポップ・ダイナミズムであり、シェリル独自のサウンドとなっていた。また躍動感に満ちた「ヘヴン」は、神泉活モダンでユニーク。R&Bとダンスミュージックとがラジオの電波に乗って鬩ぎあいながら相互に影響を受け合っている、最新の流行にうってつけだ。
「私の所属レーベルの社長が、Syienceというプロデューサーの話をずっと私にし続けてたの。その人が手掛けた最も新しい曲がビヨンセの「スウィート・ドリームス」(Sweet Dreams)だと聞いた瞬間、私は一番早いLA行きの便に飛び乗ってたわ」。シェリルは同性として、ビヨンセに惚れ込んでいる。「ビヨンセのことがどのくらい好きかなんて、言葉じゃ説明できないわ。去年『Xファクター』に彼女が出演して、アレクサンドラ(※訳注:アレクサンドラ・パーグ。2008年の『Xファクター』優勝者)とデュエットした時、私とアレクサンドラは、あの(ビヨンセという)素晴らしい女性の優しさに胸を打たれて、朝9時からずっと泣いてたのよ」。Syienceとのコラボは、オルタナティヴR&Bバラード「パラシュート」という曲だ。
「今回のスタジオ経験では、完全に自由だっていう解放感があったわ。曲の制作に参加できたから。自分の望み通りのものを歌うこともできた。今回の作品は、私が自分の家にいるときにかけて聴くような音楽だったのよ」。アンドレ・メリット(Andre Merritt)、スティーヴ・キプナー(Steve Kipner)、そしてウェイン・ウィルキンス(Wayne Wilkins)が手掛けた曲「ファイト・フォー・ディス・ラヴ」の歌詞にちりばめられた個人的な要素は、彼女の琴線にダイレクトに触れた。「この詞には100%自己投影したわ。“どんな障害に直面しようとも、突き進んで行こう”っていうことをモットーにした、ポジティヴさがある。“途中で諦めるなんて、絶対無理”っていうメッセージを表現した、ポジティヴな曲なの。それこそ正に私でしょ」。
シェリル・コールは、自分のソロ・キャリアが意味するであろうことについて、決して無頓着ではない。「もしこれがうまくいかなかったとしら、そういう運命じゃなかったんだと考えなくちゃいけないわね。でも、このアルバムを作り上げるという経験は、何にも替え難い本当に素晴らしいものだった。今回のアルバムで自分が成し遂げたことには、この上ないくらい満足してるわ。どんな結果になろうと、今回の幸福でポジティヴな思い出は、自分の手元に取っておける。天才たちが作品を生み出している様子をこの目で見たんだもの。私自身、そういう人たちと一緒に仕事したんだものね!」。
そう確かに、彼女は怯えている。しかし彼女には、他のやり方など考えられないのだ。「この前のガールズ・アラウドのアルバムを出したことで、私たちには怖いものは何もなくなった。だから、小休止が必要だと感じたの。今回の作品でまた、怖れる気持ちが湧いてきた。正直に言ってしまえば、それが何より一番のスリルなのよね」。
シーッ。誰にも言わず内緒にしてほしいんだけど、シェリル・コールは今、ものすごく緊張している。「正直言って、怯えてるわ」と、荒く息を吸い込みながら、そう打ち明ける彼女。00年代のUKポップ帝国に君臨した最先端かつ最大のグループ、ガールズ・アラウドの中で、ソロ・アルバムを一番先に完成させたメンバーとして 、彼女はこれまで慣れ親しんできた言葉遣いを少し分かりやすいものに言い換えようと、安全地帯の外へと完全に足を踏み出した。「この10年間はほとんどずっと、他の4人のコたちは私にとってクッションみたいな、つまり衝撃を和らげてくれる役割を果たしてくれていたの。私たちはそれぞれみんな、お互いにとってのクッションなのよ」。ガールズ・アラウドが先日コールドプレイのサポート・アクトを務めた際、楽屋に置いてあったテレビの画面に自らのデビュー・シングルである楽しげなバロック・ポップ・チューン「ファイト・フォー・ディス・ラヴ」のビデオが流れたのを目にした時、彼女は戦慄し、少し動揺を覚えたのだった。(尚、ガールズ・アラウドがコールドプレイの前座を務めることになったのは、当然ながらクリス・マーティンたっての要望である)。
女性たちはシェリル・コールのことが大好きだ。どんな世代でも、女性たちが共感したり、気になって仕方のない、“ポップ・ウーマン”が必要とされるもの。自己改革に関して言えば、シェリルは間違いなく達人級だ。出発点が最低のどん底であろうとも、星を目指して手を伸ばすことは少しも恥ずかしくなんかない ―― 身をもってそれを示してくれたシェリル・コールは、私たちみんなにとっての象徴なのだ。なぜなら時として、本当に星を掴めることがあるのだから。
新しい時代の新しいカリスマであるシェリル。だが彼女は、そんな言葉を聞きたいわけではない。彼女を称賛しようとしたり、現代文化において彼女が占めている地位についてまとめ上げてみようとする度に、きまって彼女から返ってくるのは、「よしてよ、そんなこと言うのはやめてよね!」という反応だ。彼女は決して自らの原点を忘れたりはしない。彼女はそういう人だ。サッチャー政権によって崩壊しつつあったこの国の、北東部の街にある公営住宅に生まれた彼女は、現代ならではの夢を追い、行き着く先をリアリティTVのオーディション番組に見出した。この業界のキーパーソンを目指すに当たっては、実に望ましい“実習期間”だったと言えよう。そのタレント・オーディション番組で優勝した結果 ―― ここで忘れてはならないのが、実際の“タレント=才能”の部分。つまり曲を通じて国中の心を捉えた才能だ ―― 人々の目を釘付けにしてやまない魅力に溢れたガールズ・アラウドのメンバーとなった彼女は、リアルな心情とリアルな生活を描いた比類なき大ヒット曲の数々を、世に送り出すことになった。00年代のポップ界においては、ガールズ・アラウドは無敵の存在である。そんな彼女が、更に良い経験を積み重ねるため、今度はソロとしてデビューを果たすことになったのだ。
(否応なく現実的にならざるを得なかった)彼女の地に足の着いたアティテュードや、歯に衣を着せることのできない率直さ、独特の魅力、その謙虚さ、決してお高くとまらない所、そしてはっきり言ってしまうが、目を見張るようなその美しさは、男性だって看過すわけはない。というより全くその逆で、多くの男性の心を奪ってきた。21世紀の英国音楽業界は、サイモン・コーウェルとクリス・マーティンという、個性的でパワフルかつ両極端な2人の成功者を輩出したが、その両者共がシェリル・コールに魅了されていることを公言。彼女を大いに支援しているのである。
こういったことを踏まえれば、よもやそれほど動揺などせずともいいのでは? 少しは落ち着いてもいいはずではないか。だがしかし、それではまだ足りなかった。今回のソロ活動のエンジンが本格的にかかるようになったのは、現在世界で最もホットなプロデューサーといっても過言ではない男に、一瞬にして認められるという出来事があってからだ。その男とは、ブラック・アイド・ピーズのメンバーであるヒットメイカー、ウィル・アム・アイ。「事のいきさつはこうなのよ」と、シェリルは自らのソロ活動の経緯について、昔ながらのお伽噺モードで語り始める。「去年、私たちは『The Passion of Girls Aloud』(パッション・オブ・ガールズ・アラウド)っていうTV番組を制作したの。それぞれみんな、自分が興味を持ってることをやってみるっていう企画でね。それで私は、ストリートダンスに挑戦してみたってわけ。その番組の最後に貰えるご褒美が、ウィル・アイ・アムのシングル “Hearthreaker”のビデオにゲスト出演できるってことだったのよ」。シェリルにはよくありがちなことだが、底力を感じさせるエネルギーに溢れた、彼女の堂々としたパフォーマンスにウィル・アイ・アム氏が夢中になり、試しにヴォーカル・ブースに入ってフック部分を歌ってみてはどうかと、シェリルに依頼したのであった。
「とにかくもう、私はその曲にべた惚れしちゃったの」とシェリル。「私たちはすぐに意気投合したしね。彼がイギリスにいる間は、夜、一緒に遊びに出かけたりしてた。友達になって、それで彼は『また一緒に仕事がしてみたい』って私に言ってくれたのよ」。大物プロデューサーからそのような言葉を掛けられるということは、実に重みがある本当の敬意の表れであった。「その意味を、私はちゃんと理解すらしてなかったのよね。ものすごい褒め言葉だったけど、心に留めてすらいなかった、ホントに。私はガールズ・アラウドの活動で一所懸命だったのよ。グループでの活動だけに完全に集中してた」。
ガールズ・アラウドにとって最大のヒット作でもある、最新アルバム『アウト・オブ・コントロール』のプロモーションを行っている時のことだ。ブリット・アウォーズでは「The Promise」により『最優秀英国シングル賞』を受賞し、またグループ結成以来、最も大規模かつ最も豪華なツアーの準備をする傍ら、彼女たちは、グループとして1年のオフをとるべきだという決断を下したのである。「ツアーの最終日は、6月6日のニューカッスル公演(※訳注:シェリルの出身地)だったの。私にとってどれほど胸に込み上げるものがあったか、想像つくでしょ。私の家族や肉親、全員が来てくれてたわ」。それは彼女の原点と、そして彼女がこれから向かおうとしている場所の、見事な対比となっていた。「最終公演が終わった晩、他のメンバーはみんな休暇に入ったの。仕事を少し休むためにね。でも私は、髪のリタッチをする時間すらほとんどないまま、『Xファクター』の新シリーズの撮影でグラスゴーに飛んだ。撮影が翌日7日から始まったのよ。でも私の人生って昔からそういうものだし、そういうところが気に入ってるのよね。例えばもしそれがもっと……“普通”になってしまったら、きっと不安になっちゃうと思う」。
『Xファクター』で今度は彼女にスター審査員としての役割が回ってきたことに、全英は不意打ちを食らったかもしれない。だがそれも、シェリル自身の受けたショックには到底及ばなかっただろう。「あの部屋に足を踏み入れた時、知り合いは1人たりともいなかった。キャストも番組スタッフも含めてね。唯一知っていたのがヘアメイクの女の子で、それは私の大のお気に入りのルイスなんだけど、それはまた全然別の話」。審査員という重い責任のある立場に身を置くことで、彼女は自分の中で変化が起きていることに気づいた。「とにかく前より自信がついたわ。何もかもがちょっとマトモじゃない状況になってて、私は気が変になってもおかしくないほどだったと思う。でも私にとっては、このこと[※審査員を務めたこと]は、新しい何かに着手することの不安を自分1人で克服できるかどうかっていう、大事な問題だったのよ。そんな度胸がどこから湧いてきたのか、自分ですら分からない。あつかましくもあの部屋に初めて入って行った時、正直、『こんな所で一体自分は何やってるんだろう?』って思ってたわ」。
新たな自信を彼女が得たことから、ある独自のアイディアが芽生え、彼女の世界の回りに、ある新鮮な意識が生じ始めた。レコード会社の人間たちが、ウィル・アイ・アムからのオファーに興味はあるか、そして彼とスタジオ入りして作品づくりしてみる時間をとってみないかと、彼女に尋ねるようになったのである。すっかり及び腰になり、落ち着かない気持ちになってきたのは、そこからだ。「ガールズ・アラウドで作品を作る場合は、メンバーはただヴォーカル・ブースに入って、予めほぼ完成に近いところまで出来上がっている曲に合わせて自分の担当パートを歌うわけでしょ。ウィルとの仕事では、曲が白紙の状態から作り上げられていく様子を、私も目の当たりにする。彼は私に、ビートや歌詞に関する意見を求めたりしてきたのよ。フックを書くようにって、私に課題を出したりもして。それを提出する時は恥ずかしくて死にそうだったわ。『私、一体ここで何やってるんだろう?』『どうして彼は私と一緒に仕事がしたいんだろう?』って思ったものよ。私はファーギーみたいには歌えない。自分にはそれだけの価値があるとは感じてなかったの。そして彼は、遠慮して遠回しな言い方をするような人じゃないのよね」。
蓋を開けてみれば、なかなかどうして、出来上がっていく曲にウィルは満足。それはシェリルも同じだった。「一番最初の段階から、自分だったらどういうものは歌わないかってことが分かったわ。ドン、ドン、っていうダンスビートや、普段私が自分では使わないようなフレーズが聞こえたら、それはナシってこと。自分のソロ・アルバムを作るつもりなら、私が自宅でかけるような作品でなくちゃダメ。ガールズ・アラウドでやってる音楽は大好きよ。クセのあるところが大好きだし、それが私たちのサウンドだし、大好きだわ。でも今回は、パーソナルなものでなくてはならなかったの」。
今回のレコーディング・プロセスに弾みがついたのは、ソロとしてのシェリル・コールにとって最重要曲となる、魅惑的なロボ・ポップR&Bデュエット「3 Words」に、ウィルとシェリルがぶち当たった後だ。「あの曲が私のものだなんて、いまだに信じられないわ」と、こうして今その成果に喜びながら、シェリルは語る。イビサ島とマイアミのサウスビーチとの間のどこかにある想像上のダンスフロアを闊歩しているような、引き締まったそのサウンドは、ニューカッスル出身の1人の女性が打つ携帯メッセージから紡ぎ上げられたかのように聞こえる歌詞と調和。ガールズ・アラウドがやっている音楽とは全く無関係のポップ・ダイナミズムであり、シェリル独自のサウンドとなっていた。また躍動感に満ちた「ヘヴン」は、神泉活モダンでユニーク。R&Bとダンスミュージックとがラジオの電波に乗って鬩ぎあいながら相互に影響を受け合っている、最新の流行にうってつけだ。
「私の所属レーベルの社長が、Syienceというプロデューサーの話をずっと私にし続けてたの。その人が手掛けた最も新しい曲がビヨンセの「スウィート・ドリームス」(Sweet Dreams)だと聞いた瞬間、私は一番早いLA行きの便に飛び乗ってたわ」。シェリルは同性として、ビヨンセに惚れ込んでいる。「ビヨンセのことがどのくらい好きかなんて、言葉じゃ説明できないわ。去年『Xファクター』に彼女が出演して、アレクサンドラ(※訳注:アレクサンドラ・パーグ。2008年の『Xファクター』優勝者)とデュエットした時、私とアレクサンドラは、あの(ビヨンセという)素晴らしい女性の優しさに胸を打たれて、朝9時からずっと泣いてたのよ」。Syienceとのコラボは、オルタナティヴR&Bバラード「パラシュート」という曲だ。
「今回のスタジオ経験では、完全に自由だっていう解放感があったわ。曲の制作に参加できたから。自分の望み通りのものを歌うこともできた。今回の作品は、私が自分の家にいるときにかけて聴くような音楽だったのよ」。アンドレ・メリット(Andre Merritt)、スティーヴ・キプナー(Steve Kipner)、そしてウェイン・ウィルキンス(Wayne Wilkins)が手掛けた曲「ファイト・フォー・ディス・ラヴ」の歌詞にちりばめられた個人的な要素は、彼女の琴線にダイレクトに触れた。「この詞には100%自己投影したわ。“どんな障害に直面しようとも、突き進んで行こう”っていうことをモットーにした、ポジティヴさがある。“途中で諦めるなんて、絶対無理”っていうメッセージを表現した、ポジティヴな曲なの。それこそ正に私でしょ」。
シェリル・コールは、自分のソロ・キャリアが意味するであろうことについて、決して無頓着ではない。「もしこれがうまくいかなかったとしら、そういう運命じゃなかったんだと考えなくちゃいけないわね。でも、このアルバムを作り上げるという経験は、何にも替え難い本当に素晴らしいものだった。今回のアルバムで自分が成し遂げたことには、この上ないくらい満足してるわ。どんな結果になろうと、今回の幸福でポジティヴな思い出は、自分の手元に取っておける。天才たちが作品を生み出している様子をこの目で見たんだもの。私自身、そういう人たちと一緒に仕事したんだものね!」。
そう確かに、彼女は怯えている。しかし彼女には、他のやり方など考えられないのだ。「この前のガールズ・アラウドのアルバムを出したことで、私たちには怖いものは何もなくなった。だから、小休止が必要だと感じたの。今回の作品でまた、怖れる気持ちが湧いてきた。正直に言ってしまえば、それが何より一番のスリルなのよね」。