BIOGRAPHY

CARMEN MAKI Profile

1951年  神奈川県鎌倉市出身。父方の祖父はアイルランド人、祖母はユダヤ系ポーランド人、母は日本人。
生後間もなく東京に移住。
1968年 都内の某お嬢様系ミッションスクールを高校2年で中退。この頃、新宿や渋谷のJAZZ喫茶やディスコに入り浸るも、故・寺山修司主宰の「演劇実験室 天井桟敷」の「青髭」公演にいたく感銘し即入団。その年の夏、新宿厚生年金会館にて「書を捨てよ、町へ出よう」で初舞台を踏む。
1969年  発足したばかりのCBS・ソニーレコードよりデビューシングル「時には母のない子のように」で歌手デビュー(ディレクターは後に山口百恵や郷ひろみを育てた酒井政利氏)。この年「第20回 NHK紅白歌合戦」出演。
1972年  「カルメン・マキ&OZ」結成。75年、ファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」とシングル
「午前1時のスケッチ」を発表。
1975年  来日した「ジェフ・べック・グループ」、「グランドファンクレイルロード」のサポーティングアクトを務め、ツアーにも同行する。
1977年  ライブ盤を含む4枚のアルバムと3枚のシングルを残して解散。その後も「カルメン・マキ&LAFF」「カルメン・マキ&MOSES」等のバンド活動やソロを通じ日本における女性ロックシンガーの第一人者として活躍する。
1979年  数回の渡米後、カーマイン・アピスのプロデュース、ドラム参加による『ナイト・ストーカー』を発表。
1980年  「カルメン・マキ&LAFF」結成、後に「カルメン・マキ&5X」と改め1983年の解散までに4枚のアルバムを残す。
1993年  久保田真琴プロデュースによる、子守唄をベースとしたアルバム「MOON SONGS」発表。
1994年  「MOSES」結成。翌年「VOICE OF MOSES」リリース。
1996年 元OZのギタリスト春日博文プロデュース・参加による「UNISON」発表。
1998年  後藤次利、笹路正徳、春日博文、朝本浩文、辻仁成、木暮武彦、の6人をプロデューサーに迎え「SPLIT」を発表。しかし長年に渡っての商業ベースにおける歌手活動についての疑問や不満が拭い切れず、所属していたレコード会社、プロダクションを離れフリーとなる。
2000年  来日したカーマイン・アピスとティム・ボカートにCharが加わった「BBA」ならぬ「BBC」のゲストヴォーカルとしてツアーに参加。東京武道館、名古屋、大阪、京都、神戸の各公演に同行する。
2001年 以降は、ロックやフォークに捉われずジャンルを超えた新機軸を開発すべく様々なフィールドで活躍するミュージシャン達とのコラボレーションを精力的に展開している。
2001年  鬼怒無月、勝井祐二、芳垣安洋、松永義孝、と「SALMANDRE」結成。平行して、桜井芳樹、
松永孝義、リクオ等とアコースティックスタイルの活動も行う。
2003年  鬼怒無月・勝井祐二・芳垣安洋・松永孝義とのユニットでアルバム「SALAMANDRE」を発表。
2004年  「SALAMANDRE」のメンバーを含む、吉川忠英・丸山ももたろうをフィーチャ―したアコースティックアルバム「Another Way」を発表。
2007年  板橋文夫・太田惠資とのトリオでのライブ盤「時には母のない子のように2007」(於:浅草「アサヒ・アート・スクエア」)を発表。
2008年  初の全編詩の朗読によるアルバム「白い月」(水城雄(p))をアイ文庫より発表。
2009年  歌手生活40周年を記念して、太田惠資・黒田京子とのトリオに加え、ゲストに佐藤芳明(アコーディオン)吉見征樹(タブラ)を迎えたアルバム「ペルソナ」をジパングレーベルよりリリース。
2010年  舞台「星の王子さま」出演(10月13日)。
2011年  映画「探偵はBARにいる」出演。12月、東京都渋谷区スペース・ゼロで、デビューから約42年ぶりに本格的なリサイタルを開き好評を博す。
2012年  4月、歌手人生43年目にして初のセルフ・プロデュース・アルバム「FROM THE BOTTOM」「カルメン・マキ/ブルース・クリエイション」発表。