BIOGRAPHY
BRIAN McKNIGHT
1969年6月5日、ニューヨーク州バッファロー生まれ。5人兄弟の末っ子として音楽一家に育つ。兄のひとりであるクロード・マックナイトはTake6のメンバーでもある。
シンガー、ソングライター、プロデューサー、アレンジャー…、マルチな才能を持つブライアン・マックナイト。彼のインスピレーションのルーツは、ゴスペル
やジャズに根ざしている。最初のパフォーマンスは、10代の頃でフュージョン・アンサンブルとの共演だった。10代でピアノ、ギターなど主要な楽器のほと
んどをマスターしていた彼は、ジャズ・クラブでピアノ弾きのバイトやバンド活動をしながら、やがて大学に進学する。が、諸般の事情により大学を中退させら
れ、時間だけはありあまっていた彼は、曲作りに励むことになる。
わずか1ヶ月で65曲のデモを制作した彼は、その中から厳選した数曲をあちこちのレコード会社に配った。2週間後にはマーキュリーと契約、’92年にはデ
ビュー・アルバム「ブライアン・マックナイト」をリリースする。商業的にはあまり成功しなかったが、このアルバムは、ボーイズIIメン、ヴェスタ、シン
ディ・ミゼルなど多くのアーティストから支持され、彼の元には多くのプロデュース依頼が舞いこんでくる。だが、自分の資質を的確に把握していた彼は、慎重
に仕事を選んでいたらしく、実力派を中心に、量より質というスタンスで良作を生み出していく。
プロデューサーとしての名声を決定づけたのは、名だたる黒人男性アーティストが結集したユニット、ブラック・メン・ユナイテッド(B.M.U.)による
<ユー・ウィル・ノウ>であった。尚、同曲はディアンジェロとの共同プロデュースである。
’95年、”ダウン・ロウ”をキーワードとしたアルバム「アイ・リメンバー・ユー」をリリース。その後も、AZ
Yet、Take6などのプロデュース、サントラへの楽曲提供などの活動を経て、出世作となる3枚目のアルバム「エニィタイム」を’97年にリリースす
る。「このアルバムがリリースされた当初、評論家からの評判は悪く、落ち込んだよ。曲というのは自分の子供と一緒だから。でも、俺はあれが良い作品で売れ
ることは確信していたんだ。だから、言ったんだ。少し時間をくれって。そしてその通りになった。評論家の言うことに気を取られてはいられない。自分の信念
を守ることが大切なんだよ。」と語るように、ショーン”パフィ”コムズがプロデュースした1stシングル<ユー・シュッド・ビー・マイン>は、ヒットしな
かった。発売から1ヶ月後に出された2ndシングル<エニィタイム>が特大ヒットし、瞬く間にアルバムは200万枚を売上げた。
2つのグラミー賞をもたらしたこのアルバムを最後にマーキュリーを離れ、Joeやディアンジェロ、エリカ・バドゥを輩出したこと
で知られるケダー・マッセンバーグが当時CEOを務めていたモータウンへ移籍、’99年に移籍第一弾アルバム「バック・アット・ワン」をリリース。同タイ
トルの1stシングルはもちろん大ヒット、出すシングルは軒並みチャートを賑わせることとなる。グラミー賞にノミネートされた本作も200万枚以上のセー
ルスを記録、名実共にアメリカを代表するシンガーとなる。2001年『superhero』をリリース、<ラヴ・オブ・マイ・ライフ>が大ヒット、同年の
グラミー賞にノミネート。2002年には初日本公演、同年12月には再来日公演を行い、日本でも着実にファン層を広げている。