<メディア情報:雑誌>「Rooftop」に『LAST GIGS -THE ORIGINAL-』紹介記事掲載!

2019.06.10 MEDIA - MAGAZINE

LOFT PROJECT発、あらゆるカルチャーを網羅したエンターテイメント・メディア “Rooftop”に、『LAST GIGS -THE ORIGINAL-』の紹介記事が掲載されました。
『LAST GIGS -THE ORIGINAL-』の魅力を椎名編集長が余すところなく語っております。

ぜひご一読ください。

Exclusive Review

BOØWY『LAST GIGS -THE ORIGINAL-』
一瞬という名の永遠、永遠という名の刹那を手にした歴史的GIG

「6年前に新宿ロフトでやった時、わずか30人か40人だったけど、やっぱりお前らみたいなすげぇイカしたヤツらが集まってくれて…それがこんなに大勢いるなんて感激です。多分これから、いろんな人たちがここで伝説を作っていくと思うけど、俺らはまだまだ伝説になんかなんねぇぞ!」

 『LAST GIGS』2日目の最初のアンコールの際に氷室京介(vo)が5万人のオーディエンスを前に放った言葉である。この時、氷室は27歳。布袋寅泰(g)は26歳。松井常松(b)は27歳。高橋まこと(ds)は34歳。彼らがこの直後に伝説になってしまったのは本意ではないにせよ周知の事実だ。伝説という言葉が大袈裟ならば、時代を画す存在となった始まりがこの『LAST GIGS』だったと言うべきか。

 1988年4月4日、5日の両日にわたり完成間もない東京ドームで行なわれたBOØWYの『LAST GIGS』は、〈最後の〉GIGという意味ではなく〈最新の〉GIGだったと解釈するべきである。なぜならBOØWYにとって〈最後の〉GIGとはあくまで前年のクリスマスイブに渋谷公会堂(当時)で行なわれた解散宣言ライブであり、『LAST GIGS』は早すぎる再結成であり壮大な後夜祭だったからだ。つまりBOØWYは〈最新の〉まま解散した。だからこそその洗練されたセンスとスタンスが時空を超えて支持され、2019年の今なお〈最新の〉ロックンロールとして眩い光を今も放ち続け、決して色褪せることなく新たな世代にも聴き継がれているのだ。

 
 作品としての『LAST GIGS』の変遷を辿ってみよう。オリジナル作品は、ライブを観られなかったファンに向けて1日でも早く音源を届けたいというスタッフの思いから、開催からほぼ1カ月後という当時としては異例のスピードで5月3日に全12曲収録のCD・LP・カセットという三形態でリリース(マネージャーの土屋浩は開催翌日の4月6日にリリースすることを提案したが、さすがに却下されたという)。BOØWYにとって初めてミリオンを超える作品となり、売上枚数という客観的なデータを基に顕彰される第3回『日本ゴールドディスク大賞』(1989年)邦楽部門のアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。ライブ・アルバムがミリオンを越えるとは異例中の異例であり、まさにエポック・メイキングなパッケージだったと言える。

 2001年10月には結成20周年を記念して上記全12曲のみ収録のVHSとDVDが発表され、2008年4月には両日のベストテイクを組み合わせてセットリストを完全に再現したCDとDVD『“LAST GIGS” COMPLETE』が発表されたが(2012年に『BOØWY Blu-ray COMPLETE』の中の1枚としてBlu-ray化)、今回発表される『LAST GIGS -THE ORIGINAL-』は、2日間それぞれのセットリストが31年の歳月を経て初めてコンプリート収録された歴史的アーカイブ作品である。音源は新たにトラックダウンされ、最新の技術を駆使して細部までクリーンナップ。過去最高にリアルで臨場感溢れる『LAST GIGS』としてアップデートされている。昭和最後の春に10万人が目撃したBOØWYの集大成GIGの全貌が、奇しくも令和最初の年に遂にそのベールを脱ぐのだ。

 
 これまで音源化されてきたのは2日目のテイクが中心だったが、今回解禁となった両日の音源を聴き比べると、内容的に初日より2日目のほうが良かったというわけでは決してなかったことがわかる。両日ともにバンドが一切の出し惜しみをせず、最大限の力を出し切ったライブだったことに変わりはない。ただし初日は、メンバーのボルテージの沸点に達するタイミングがジャストではなかったということだろう。これもまたロックがポピュラリティを獲得していく時代の波と並行した開拓者ゆえの宿命と言えた。

 よく知られているように、初日はメンバーのイメージ通りにステージを進行できなかったという思いから終演後にセット・チェンジをしたり、モニター・システムの再調整をしたり、深夜にわたるまで徹底的にリハーサルが繰り返された。本来は野球をやるための場所、それもオープン直後の東京ドームでライブをやるのだからマニュアルがない。スピーカーの向きにしても客席が埋まってから跳ね返る音にしても手探りで向き合うしかない。広大な空間で5万人の観衆を前にライブをやる感覚を掴めたこと、自分たちを支え続けてくれたオーディエンスに対して最高のステージを見せたいというバンドの純粋な気持ちの表れによって音響が格段に良くなったことが結果的に〈終わりを迎えるための1日〉と〈本当に終わりを迎える1日〉の違いに繋がったのではないか。

 
 セットリストは10万人のオーディエンスが等しく楽しめる一撃必殺のナンバーで固められており、まさにベスト・アルバム的な選曲と言える(オリジナルの『LAST GIGS』がミリオンを超えたのはベスト・アルバム的感覚として聴けたのも大きかっただろう)。もともとスロー・ナンバーが少なかったバンドだが、『LAST GIGS』のセットリストでもスローなのは「わがままジュリエット」と「CLOUDY HEART」くらいで、あとは畳み掛けるようにアッパーなナンバーばかり。前年末の解散宣言ライブのような張り詰めた緊迫感と悲壮感、過剰な感傷はまるで感じられない。

 この『LAST GIGS』をただひたすらに賑々しく、底抜けに楽しい〈祭り〉に徹しようとしているのは、たとえばバンドにとって切実なフェアウェル・ソングだった「CLOUDY HEART」の演奏からも窺える。わずか4カ月前には本来のイントロに入る前の悲壮感溢れるギター・パートからして重かった同曲は全体的にピッチが早く、誤解を恐れずに言えば〈哭いていない〉。どこかカラッとしているのである。

 もちろん万感の思いもあっただろう。2日目の本編で「NO. NEW YORK」を披露する前に、氷室が「この歌も今夜で最後だと思うとちょっと悲しいけど…」と感傷気味に語る場面もあるにはある。だが『LAST GIGS』でのBOØWYは総じて明るくカラフルでパワフルな、からっ風のようなロックンロールを徹頭徹尾聴かせている。解散を伝えなければならないという前年までの張り詰めた意識から解放され、ひとつのけじめをつけた後ならではの風通しの良さを感じるし、メンバー自身もオーディエンスと一体となって自ら生み出した普遍性の高い楽曲を心ゆくまで楽しんでいるのが窺えるのだ。

 その淡々としたクールネス、迸るエモーションを内に秘めた強靭さこそがBOØWYをBOØWYたらしめる要因に思えてならない。この『LAST GIGS』ではたとえばステージでマグネシウムが引火したり、新宿都有3号地(現在の東京都庁のあるエリア)でのライブや『BEAT CHILD』のように横殴りの雨に祟られたりするなどのハプニング性はなかった。これが〈最後の〉GIGだからと大掛かりな演出を敢えて施すことなく、オーディエンスの聴きたい最大公約数的なセットリストを淡々と披露していく〈最新の〉GIGを魅せるだけだ。そして2日目の2度目のアンコールで「NO. NEW YORK」の「星になるだけさ」という歌詞を「お前ら愛してる」と変えて唄い、バンドが潔く散開したことで永遠は彼らの掌中に帰した。

 
 ホームグラウンドだった新宿ロフトでの揺籃期から決して立ち止まることなく、常に前へ前へと疾走を続けた結果、始まりはわずか数十人だった動員が7年を経て5万人と対峙するまでになった。時代がBOØWYに追いついた時、バンドはすでに存在していなかったこともBOØWYが伝説の住人に押し込められた一因と言えるが、最新鋭の技術を駆使して極上の音質で蘇生したこの『LAST GIGS -THE ORIGINAL-』を聴くにつけ、時代を超越した楽曲の普遍性と高度な演奏力、ロック・バンドの究極の理想形と言う他ないメンバーの佇まいと尋常ならざるパフォーマンス能力がやはり桁違いだったことが今も彼らを比類なき存在と認識せざるを得ない要因に思えてならない。こんなバンド、後にも先にも他にいない。

カットアウトの美学を貫き太く短く生きたバンドの刹那の輝きは、儚いからこそ尊く、厳かに美しい。その輝きを伝承していくのは幸運にも彼らと同じ時代を生きた僕らの責務だ。令和の時代以降も〈永遠よりも永く〉愛され続けるであろうBOØWYがエポックな存在になり得た瞬間を捉えた碑として、『LAST GIGS -THE ORIGINAL-』が今以上に次世代で担う役割は極めて大きいのではないだろうか。

(text:椎名宗之)