BIOGRAPHY
BOOMKAT
バンドの中枢、マルチ・プレイヤーのケリンは言う。「これまで聞いてきた音楽を全て取り込んでるから、僕等のスタイルは一言では言い表せないんだよ」。
ミックスのKeyはHiphop、特にオールドスクールのビーツ。そこにポップ、ソウル、エレクトロニックのエッセンスを効かせている。
妹のタリンは「一緒に育ったからお互い何考えてんだか直ぐわかんのよ。ミュージックも、スピリチュアルな面においてもね。だからアタシ達は曲も速攻作れ
ちゃうの。二人の体験を元に。」と言う。ハスキーでブルージーなトーンと、”お節介ご無用!”といった彼女の姿勢がアルバム『ブームキャタログ・ワン』か
らも、沸沸と感じられる。「このアルバムは、アタシ等の人生を旅してるの。個々に見て感じたものとお互い分かち合えるものが詰まってんの。」
タリン:「アタシとケリンはみんなが必ず何かを感じてくれるような曲を書けるわ。」
ケリン:「俺達はムードをクリエイトするんだ。ハッピーなのか悲しいのか、または表現しづらい気持ちとかの。」
二人はヴァージニア州の小さな町で生まれた。両親の離婚後、母と共にアリゾナに引っ越し、トレーラーハウスで生活。東海岸に移り住んだ父親をできるだけ多
く訪ねた。父を偉大なるミュージシャンとして尊敬していた二人。彼はワシントンDC界隈のバンドの一員として、ホテルからその日払いで雇われていた。キー
ボード、ドラム、そしてヴォーカルをこなす、マルチ・プレイヤーとして。
ケリン:「夏休みと冬休みは東海岸のホテルを行ったり来たり。とにかく親父が行くところに付いて行ったんだ。4ッ星のリゾート・ホテルに寝泊りするのが楽しかったね。タリンはランドリー・サーヴィスをやって俺はルーム・サーヴィスを手伝ったんだ。」
タリン:「で、アタシ達はパパと一緒にホテルの部屋で歌ってたの。彼は本当にモータウンが好きだった。素晴らしい声の持ち主で、耳が凄く良くて、ハーモニーが得意だった。手にする楽器は全て演奏できたの。」
アリゾナでは母親が生活のために人に言えない仕事を始めた。
タリン:「彼女、終いにはストリップ・クラブでウェートレスをやってたのよ。仕事前にアタシ達の部屋に寄った時に、彼女、凄く綺麗だったわ。70年代風のピチピチの超カワイイ服着てて。彼女のオシャレにスッゴク影響されたわ。」
ケリンは高校卒業後、地元のNBC-TVのインターンをしながら大学に通った。そのとき母親とタリンは生活向上を目差しサンディエゴに向った。タリンは空
手でアリゾナ州の11歳の部で優勝!翌年も連続優勝!!引越し先のサンディエゴではダンスのナショナル・チャンピオンシップ16歳の部で優勝!と活発に青
春期を送った。
タリン:「アクティヴでなければならなかったのよ。とにかく常にステージに立っていたかったの。」
1993年、父親の突然の死が訪れる。ケリンはこの機に、父親の伝説を引き継ぐかのようにミュージシャンになることを決意。
ケリン:「親父が亡くなる前にオレにRingoのみたいなLudwigのドラム・セットを買ってくれたんだ。それからドラムが公の恋人だよ。バンドをやっ
たんだけど、時がたつに連れ、ドラムだけをやることが物足りなくなって、作曲をしたりバンドの中心にいたくなったんだ。で、借金してギターを買ったんだ
よ。」
ケリンはその後、タリンと母親と合流。「誰かがタリンの面倒をみなければならなかったしね!」と言いながら。
数年後、タリンは演技、歌手コースに放課後通い出し、ケリンは作曲を始めた。
ケリン:「3つの仕事をクビになって、やっと音楽がオレが一番やりたい職業だということがわかったんだ。サンプラーやエフェクト・ボックスがあったからグ
ルーヴを並べてタリンにラップさせたりヴォーカルを入れたりしたんだ。彼女が、オレと一緒にステージに立てば最高だと思ってたね。」
タリンの女優活動が始まった。何度もオーディションに応募しては落ち、を繰り返し、TVドラマ”The Practice”、”Get
Real”、”Boston Public”に出演。このとき”The Practice”と”Boston Public”のクリエイター、
David E. Kelly(他に『アリー・myラブ』を手掛けている)がブームキャットを気に入り、”Boston
Public”でタリンにまつわる1話を作り、2曲の番組内使用契約をした。(「デイドリーミン」「ナウ・アンダスタンド・ディス」)
その後キルステン・ダンストと共演した『クレイジー/ビューティフル』、ブリトニー・スピアーズの親友役で出演した『ノット・ア・ガール』と、定評のある
演技でその名声を上げ、最近では、エミネムと『8マイル』、ミシェル・ファイファーと『ホワイト・オランダー』に、ジュード・ロウと『コールド・マウンテ
ン』に出演。さらにGapのCFではマリアンヌ・フェイスフルと「アイル・テイク・ユー・ゼア」を歌い、世界の街中に目元にスター・マークをつけたタリン
のポスターが貼られた。
タリン:「メチャメチャ一生懸命に演技を勉強したの。本当に欲しいものがあれば必死に努力すんのよ。音楽も同じでしょ。で、演技と両立できないわけがないと思ったわけ」
数々の苦労を乗り越え、遂にLAのThe
Mintsの会場主に気に入られ、レコーディング・スタジオを貸してもらうようになった。
その後、地元のレーベル、ドリームワークスのロビー・ロバートソンが彼等の才能を認め、契約。オーストラリア生まれでLA在住のプロト・トゥール・ウィザードの名を持つマーティン・プラドラーと共同プロデュースでレコーディングを開始。
「ウェイスティング・マイ・タイム」はエミネムが気に入って『8マイル』のサントラに収録した曲でもある。
ケリン:「ポップ・ソングって、型にはめなくても人をエンターテインできるものだと信じてるよ」
タリン:「アタシ達の音楽は人を動かす力を持ってるって思う。寛嬢を奮い立たせるの。一番重要なことだよね」
二人が影響された音楽は:
タリン:始めは、オルタナティヴなロックをプレイしていたわ。アタシがアラニス・モリセットが好きだから。
ケリン:オレはニルヴァーナが好きだったしね。
タリン:そう、兄ちゃんがニルヴァーナが好きだったから、グランジっぽいものを最初やってたの。
その時はKATという名前でやってた。
ケリン:グランジでもなかったよ。オルタナティヴなんだけど、ヒップホップ・ビートとかを取り入れたかった。
タリンの目元の星マークについて:
昔から星が好きだったの。スターはポピュラーなシンボルだし…。
16歳の時にサーティー・ワンのバイトに応募をした時に、その時、どうしてもその仕事につきたくて、誰かに言われたの。履歴書の上の角に星マークをつける
べきだって。そうすれば、多くの履歴書に目を通している時に、人の目を引くって。だから目じりに星マークをつけてるの。人の目を引くために。
タリンのGAPコマーシャル出演について:
ギャップのコマーシャルの仕事がきた時はね~。最初、紙の広告の仕事がきたのね。それから、CMに出るっていう話があって、「もちろんよ!」っていう感じで引き受けたわ。撮影の現場に行ったら、「あなた歌うのよ」って言われたの。
LAに移り住んで、踊り、歌、演技の仕事を実現させるために、どんな仕事でもやろうと心がけたわ。全部やりたかったから。
タリンの出演映画に関して:
●Crazy/Beautiful
この映画に出れたことは本当に感謝しているわ。
すばらしい映画だと思っている。
●Crossroads (ノット・ア・ガール)
これは、3人の親友達がロード・トリップに出るという話。
ブリトニー・スピアーズとも共演したわ。
●8 Mile
この映画では、エミネムの昔からの彼女役を演じているの。映画が始まってすぐ、二人は別れてしまうんだけど、この映画は、「私も何か自分で作らなければ」
という気分にさせてくれたの。このサントラは絶対に売れると思ったわ。だってエミネムは最高なんだもの。彼がアタシの、「ウェイスティング・マイ・タイ
ム」をサントラに入れたい、って言ってきた時は、興奮して、もう信じられない気分だった。この曲をみんなにディスカバーしてもらいたいと思っているの。
エミネムとブームキャット:
『8
Mile』でタリンが共演した事実に加え、何かと共通点も多い。生い立ち(母子家庭、トレーラー暮らし、引越し続きの幼少時代、等々)、信念、境遇。そん
なエミナムからタリンは撮影中にアドヴァイスをもらう。これからミュージック・ビジネス界で生きていこうとしているタリンに「回りに振りまわされるな、振
りまわせ、そして妥協は禁物。わかりやすくなるな」と。デビュー当時の自分を振り返るかのように親身になってくれたとのことで、すっかりエミネムも彼等の
才能にほれ込んだらしい。そしてサントラに彼等の処女作「ウェイスティング・マイ・タイム」を起用。12曲目の印象的なトラックとして耳に残る。
Message From
Boomkat:
アタシ達は、本当に個性があって、ユニークなものを作っていると思っているわ。それは、一言では説明しづら
いと思う。R&Bとかヒップホップとかロックだ、って言えないと思う。だから、ポピュラー・ミュージックって呼ぶのが一番ふさわしいと思うの。ア
タシ達が作ったものが、ある日ポピュラーになるということを信じて。