BIOGRAPHY

牧師であった祖父と幼少時代をカンサス市郊外で過ごし、その後LAで母親に育てられる。ウディ・ガスリーやブラインド・ウィリー・ジョンソンに影響を受けたBECKは高校中退後ギターを演奏しはじめ、フォークやデルタ・ブルース等をプレイするようになる。
89年の春、無一文でニューヨークへ辿り着いたBECKはローワー・イーストサイドで約1年を過ごし演奏を始めるが、結局は再びLAへ。
93年3月にインディーズのボングロード・レコーズから12インチ・シングル「ルーザー」をリリース。直後から急激な勢いでカレッジ・ラジオ局でヘ ヴィー・オン・エアされ、ライヴも常に満員を記録する。遂にはメジャー・レコード各社の争奪戦へと発展し、破格の契約金でゲフィン(DGC)と契約。
94年1月にゲフィンよりCDでリリースした「ルーザー」はビルボードのモダン・ロック・チャートで堂々5週連続1位を獲得。シングル・チャートでもトッ プ10入りを果たし、アルバム『メロウ・ゴールド』も最高13位を記録した。その後94年秋には初来日公演、95年も引き続きワールド・ツアーを行い、夏 にはロラパルーザにも出演。また、ゲフィンとの契約でインディ活動も承認されているBECKは、94年に”One Foot in the Grave”
というフォーク・アルバムをワシントンのKレコーズからリリースしている。
96年6月2ndアルバム『オディレイ』をリリース、本国アメリカのみならず日本も含む全世界規模で大ヒットを記録。96年11月2度目の来日公演。全公 演即日完売し、人気の高さを実証。97年度グラミー賞ベスト男性ヴォーカル・パフォーマンス、ベスト・オルタナティヴ・ミュージック・パフォーマンスの2 部門受賞の快挙を成し遂げる。
97年8月、FUJI ROCK FESTIVALのために来日するが、台風によりフェス2日目がキャンセルとなったためライヴは実現せず。同年11月リリースされたサウンドトラック・ア ルバム『普通じゃない』に新曲「デッド・ウェイト」を収録。
98年8月、お台場に場所を移し開催された第2回のFUJI ROCK FESTIVALで再び来日。前年の無念さをはらすが如く、素晴らしいステージを繰り広げ、圧倒的な存在感を見せつけた。98年11月には「旅先の友達か ら不意に届くポスト・カード。そんなサプライズ的な作品をリリースしてみたくなったんだ」ということで、スペシャル・プロジェクト的アルバム『ミューテイ ションズ』をリリース。そして、今年4月には、ジャパン・オンリーの企画で、「ミューテイションズ・ツアー」を敢行。全国で発売即日ソールド・アウトと なったこのライヴでは、前半がアコースティック、後半がエレクトリック(ヒット曲集)という構成で素晴らしいステージを披露。またコンサートと同時期に東 京で、BECKと彼の祖父であり芸術家のアル・ハンセンとのアート展を開催、アーティストとしての才能の懐の深さを見せつけた。
99年には待望の『オディレイ』続編的アルバム、ファンク、ソウルをBECK流に解釈した『ミッドナイト・ヴァルチャー』を発表。そこからファースト・シ ングル「セックス・ロウズ」をはじめ、「ミックスド・ビジネス」、「デボラ」、「ミルク&ハニー」などのもはやステージでは欠かすことのできないBECK スタンダードとなった名曲が生まれた。リリース後日本を含むワールド・ツアーも大成功のうち終了。01年にはサウンドトラック『ムーラン・ルージュ』にな んと変態ビートフリーク・プロデューサー=トゥルース・ハーツ制作のもとデヴィッド・ボウイのカヴァー「ダイアモンド・ドッグズ」を提供、話題になる。そ してその夏、SUMMER SONIC01で日本の夏フェス”オオトリ”に相応しいパーフェクトなエンターテイメント・ショウを披露した。2002年には9月にはBECK自身のいつ ものパターンからかけ離れたアルバム『シー・チェンジ』を発表。翌年の春先には日本観光?を兼ねてのアコースティック・ツアーを行う。プライベートでも結 婚をして子供をもうけるなどハッピー尽くめの彼が遂にBECKサウンド回帰というアルバム『GUERO』を発表。毎年恒例、日本で行われる夏フェス『フジ ロック05』のグリーンにオオトリとして出演。その後、実しやかにリミックス・アルバムがリリースされるのではないか?との噂が『GUERO』リリース直 後に流れる。その噂はBECK本人が自身のHPで流していたもので事実年末に『GUERORITO』という多数のリミキサーによるリミックス・アルバムが リリースされる。この時点で既にニュー・アルバムが出来上がっているのでは無いか?という数珠繋ぎのような噂がドンドン流れ始めた。そして2006年に 『The Information』がリリース。今作『Odelay Deluxe Edition』はパッケージが奇天烈だった『The Information』のかなり前からリリースしようと思っていたが、結局のところ2008年の初頭にリリースになった。