BIOGRAPHY

B.B. KING 


Bbking _bioブルース・マンに引退は無い!

本名ライリー・B. キング。1925年9月16日、ミシシッピー州イタ・ベーネのコットン・プランテーション生まれ。教会や町角でプレイしていたが、1947年ギターと2ドル50セントを持ってテネシー州メンフィスまで、ヒッチハイクでたどり着く。
1年後、ソニー・ボーイ・ウィリアムソンのラジオ番組でパフォーマンスしたことをきっかけに、ウエスト・メンフィスのシックスティーンス・アヴェニュー・グリルでのレギュラー出演の契約と、WDIA(黒人スタッフの経営するメンフィスの伝説的ラジオ・ステーション)での10分間のラジオ・スポット「キングズ・スポット」の契約を得る。この「キングズ・スポット」(栄養ドリンクのPepticonがスポンサー)が、人気を博し、時間を延長して「セピア・スウィング・クラブ」という番組に発展。キャッチーなラジオ・ネームが必要となったB.B.は、ビール・ストリート・ブルース・ボーイと名乗り、それがブルース・ボーイ・キングに縮められ、最終的にB.B.キングとなった。「スリー・オクロック・ブルース」のナンバー1ヒットでスターの仲間入りをした後、50年代から年平均275ヶ所でコンサートを行い(1956年にはなんと342ステージ!)、以来約50年間にわたり最も有名なブルース・ミュージシャンである。B.B.を手本とするギタリストは星の数ほど。彼に影響を受けたアーティストは、枚挙にいとまがないが、例えば、エリック・クラプトン、マイク・ブルームフィールド、アルバート・コリンズ、バディ・ガイ、フレディ・キング、ジミ・ヘンドリックス、オーティス・ラッシュ、ジョニー・ウィンター等々があげられるだろう。
68年にはB.B.をアイドルとするロック・アーティスト達に請われ、ニューポート・フォーク・フェスティバルとビル・グレアムズ・フィルモア・ウエストでパフォーマンスを行い、若い白人層にもその名を知られるところとなる。翌69年ザ・ローリング・ストーンズのアメリカ・ツアーでフロント・アクトを務める(18個所をB.B.が、さらに18個所をアイク & ティナ・ターナーが担当)。
84年にはブルースの殿堂入り、87年にはロックンロールの殿堂入りを果たし、90年にはブッシュ大統領から直々にメダルを授けられている。
91年、メンフィスのビール・ストリートに、94年、ユニバーサル・スタジオ内にそれぞれ「B.B.キング・ブルース・クラブ」をオープン。3つ目のクラブは2000年5月にNYタイムズ・スクエアにオープン。98年、初のセルフ・プロデュースによるアルバム『ブルース・オン・ザ・バイユー』をリリース、このアルバムが9つ目のグラミー賞をB.B.にもたらした。現在76歳、しかしいまだ現役アーティストとしてキング・オブ・ザ・ブルースの名を世界に轟かせ続けて、自身のバンドを率いて年平均200回以上のコンサートを世界中で行っている。ほぼ毎年来日公演を果たしており、その度にチケットはソールド・アウト、会場は満員の熱気に包まれる。
2001年5月、メンフィスで開催された”W.C. Handy Blues Awards”ではエリック・クラプトンとの共作で話題になった『ライディング・ウィズ・ザ・キング』でブルース・エンターテインナー・オブ・ザ・イヤーとコンテンポラリー・ブルース・アルバムの2部門を制覇。21世紀もB.B.キングは果てしないブルース・ロードを歩み続けている。