BIOGRAPHY
アヴィ・アヴィタル Avi Avital
グラミー賞にノミネートされたマンドリン・ヴィルトゥオーソ、アヴィ・アヴィタルは『ニューヨーク・タイムズ』で「絶妙にセンシティヴな演奏」「驚くほどすばらしい指さばき」と称賛され、イスラエルの『ハアレツ』はその演奏を「マンドリンにこんなことができるとは夢にも思わなかったことばかりだった ・・・ まさにそのヴィルトゥオジティと集中は息をのむようなすばらしさであった」と評した。
アヴィ・アヴィタルは1978年にイスラエル南部の町ベエルシェバ(ベエル・シェヴァ)に生まれた(注:この「ベエルシェバ」は『旧約聖書』にたびたび登場する地名で、こう名付けられた経緯については『創世記』第21章22~34節に記されている)。8歳の時にマンドリンを習い始め、すぐにカリスマ的教師でロシア生まれのヴァイオリン奏者、シムチャ・ナタンソンが設立し、指揮していたマンドリン・ユース・オーケストラに加わった。エルサレム音楽アカデミーに通ったあと、イタリアに行き、パードヴァのチェーザレ・ポッリーニ音楽院でウーゴ・オルランディに師事した。アヴィタルはこのオルランディについて「本物のマンドリン教授で、私はそれまでもっぱら演奏していたヴァイオリン音楽のトランスクリプションではなく、マンドリンのオリジナルのレパートリーを学びました」。
マンドリンのためのオリジナルの作品は「美しいが、その数はかなり限定されている」ことが分かったアヴィタルは、自身が自己認識の危機と表現したようなものに直面した。それは彼がもっとも演奏したい音楽は必然的に彼自身の楽器のために書かれた作品ではないということである。結局彼は自分自身の本当の道を見つけ出した。「私の目的のひとつはマンドリンとそのレパートリーをさらに発展させ、再評価することです」と言明した。「私はセゴビアがクラシック・ギターを一変させた方法にインスピレーションを受けました」。2007年にアヴィタルはソロイストのためのイスラエルの有名なアヴィヴ・コンクールで第1位を獲得し、この賞を受賞した最初のマンドリン奏者となった。
アヴィタルの演奏はタングルウッド、スポレート、ラヴェンナの音楽祭のみならず、ニューヨークのカーネギー・ホール、リンカーン・センター、ロンドンのウィグモア・ホール、ベルリンのフィルハーモニー、ウィーン・コンツェルトハウス、ルツェルン文化会議センター、北京の紫禁城など国際的に主要な都市の演奏会場で熱狂的に受け入れられている。彼はイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、イ・ポメリッジ・ムジカーリ・ディ・ミラノ、リンカーン・センターのチェインバー・ミュージック・ソサエティと、またクラリネット奏者のジオラ・ファイドマン(アヴィタルのよき助言者)、ソプラノのドーン・アップショウ、トランペット奏者で作曲家のフランク・ロンドンなど、広範囲にわたるアーティストたちとも共演している。
2012年の活動スケジュールにはサンフランシスコ室内管弦楽団、ジュネーヴ室内管弦楽団、ベルリン・チェンバー・ソロイスツとの共演だけでなく、デヴィッド・ブルースの新作でのヨーヨー・マのシルク・ロード・ワークショップとの共演、17世紀のヴェネツィア音楽に焦点を当てたバロック・プロジェクトへの出演、ニューヨークを本拠にするジャズ・アーティスト、オマー・アヴィタルとのジャンルを越えた共演はブレーメンのムジークフェストで初めて実現することになっている。
アヴィタルはこれまでユダヤ系の伝統音楽、バロック音楽、現代音楽などさまざまなジャンルの録音を数多く行ない、リリースしてきた。2010年にアンドリュー・シル指揮メトロポリス・アンサンブルとアヴナー・ドーマンのマンドリン・コンチェルトの録音でグラミー賞の「ベスト・インストゥルメンタル・ソロイスツ」部門にノミネートされた最初のマンドリン奏者となった。彼はドイツの有名なエコー賞を2008年にデヴィッド・オルロフスキー・トリオとの録音で獲得した。
アヴィ・アヴィタルはつい先ごろドイツ・グラモフォンと専属録音契約を結んだ。この夏のリリースされる最初の録音はJ.S.バッハの作品によるアルバムになる。この録音に連携して10月にドイツに演奏旅行し、ハンブルク、ベルリン、ビーレフェルト、ミュンスターでバッハ作品によるソロ・リサイタルを開くことになっている。
2012年5月
(訳:長谷川勝英)