西垣肇也樹「更新ヲナシ得ルモノ」
作家プロフィール
1985年兵庫県生まれ。2012年京都造形芸術大学大学院修士課程芸術研究科芸術表現専攻修了。京都銭湯芸術祭の企画運営や、「器としてのゴジラ」をモチーフに和紙と墨を使ったペインティングを制作する。主な受賞歴に16年「2016京展」須田賞、17年「渋谷芸術祭2017」大賞など。
制作年
2019
使用画材
木製パネル、高知麻紙、墨、チャコールペンシル
サイズ
H60×W120×D4cm
ステートメント
コスメティック(化粧品)はコスモ(宇宙)を語源とする。かつて人々は泥を肌に塗り、石をアクセサリーにし、未知なる宇宙(秩序)との対話を図ろうとしていた。しかし近代史にある産業革命は、人に自然を操作する術を与え人が秩序とするものだった。国芳は西洋画に興味を持ち、コレクションを他人に見せるほどのコレクターであったが、その研究から彼は、西洋人(人)が宇宙(秩序)を生み出していくとする思想を知ったはずだろう。そこで彼はアルチンボルトを参照にしながら、顔に裸の“人”を着せる=コスメティックと皮肉ったのである。アニミズムが存在する日本人から見れば、西洋人のその考えは先進的であり、暴力的であったはずだ。 初代ゴジラは唯一被爆国民の代弁者として登場、上映されるも、時代の変化とともにヒーロー化を遂げ、環境問題を取り上げ、自身の息子も登場し父親へと変貌していく。ゴジラはある時代設定の中に配置され、コンテクストと自我の無い怪獣となってさまよい歩いてきた。自我の無いゴジラは何かを代弁する器としての価値(日本人)を持たされたのであるが、中身は初代ゴジラの本質とはかけ離れたものであった。 それに似た現象が現代の情報コミュニケーションの、ある一定の部分にも存在する。メールやSNSを始めとするネット上で行うものは、作者から離れた位置にコミュニケーション環境が設定されることで、そのコミュニケーションは常に管理される。また、その環境下に於いて様々な定型文のパスティーシュによって、特別な自我を無くされ記録され操作されていく。すなわち私たちのコミュニケーションはその環境下において無意識化を推進し、円滑なコミュニケーションを可能としている。 かつて自然が秩序として存在し、対話を図ろうと泥を塗り、コスメティックがコミュニケーションの欲求だったものが、欲求そのものの簡素化が進むことで、それが新たな秩序とする環境を可能にし、再設定されている。私は国芳の内在するものを見つめる視線、手法を引用することで、器=ゴジラ(日本人)に定型文=秩序をコスメティックする。それは、記録材料としての墨を器としての怪獣にペーストさせ、内在するものの表面化及び、コミュニケーション欲求の秩序再考および再提示が目的である。
音楽と制作に関して
懐メロがもっぱら好物になった30代。映画やテレビなど視覚から歌を知り耳にとどめる私は、それを知った時間を思い出すのがたまらない年齢です。奇しくも「モスラの歌」はモスラに“来て”と召喚する歌ですが、私もついつい時代へ呼び出されてしまいます。 彼女は必ず卵を産み次の時間に繋げて戦う。つまり時間を点から点へ結び敵を沈めるので、アートが過去を回収する様を鑑賞するのと類似しています。「モスラ・ザ・ベスト 1961~1998」を聴きながら私は、日本に欠如しがちな“文化の連なり”について問います。春はまた来るけど、二度と同じ春は来ないのです。
西垣肇也樹 プレイリスト