Biography
カナダのオタワ生まれ。幼年期を過ごした西ドイツで6歳の頃からピアノを覚え9歳で曲を書き始めた。10歳の頃、TV番組にレギュラーで出演して稼いだお金を資金にして、2人のパートナーと作ったレーベルより自主制作シングルをリリースし、トロントのMCA Publishingと’88年に契約。’91年、17歳でデビュー・アルバム『Alanis』をリリースし、カナダのグラミー賞として知られるジュノー賞の最優秀女性新人賞(The Most Promising Female Artist)を受賞した。翌’92年には2ndアルバムをリリース。
その後19歳で単身で故郷カナダを離れ、L.A.へ移り住む。20歳のときマドンナが主宰するマヴェリック・レコーズと契約、’95年6月衝撃のワールドワイド・デビュー・アルバム『ジャグド・リトル・ピル』をリリースした。自分を捨てた元カレに向けての辛辣なメッセージを、髪を振り乱しながら独特なヴォーカル・スタイルで叫ぶデビュー・シングル「ユー・オウタ・ノウ」はそれまでの女性ヴォーカル・シーンを大きく変えたばかりか、退屈な音楽シーンに辟易していた世界中の音楽ファンへ衝撃を与えた。
『ジャグド・リトル・ピル』は全米・全英を含めた全世界の主要テリトリーでNO.1を獲得し、’96年の第38回グラミー賞で有力視されていたマライア・キャリーらを押しのけ同年最多の4部門を独占した(年間最優秀アルバム、最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス「ユー・オウタ・ノウ」、最優秀ロック・ソング「ユー・オウタ・ノウ」)、最優秀ロック・アルバム)。その後『ジャグド・リトル・ピル』は全世界で2,800万枚という驚異的なセールスを記録し、アラニスはわずか1枚のアルバムで世界の頂点に立った。18ヶ月に亘るワールド・ツアーでこなしたライヴは260回(内、来日公演は’95年11月と’96年11月の2回)。
’97年、11月にライヴDVD作品『ジャグド・リトル・ピル・ライヴ』をリリース。’98年、アルバムに先駆けて発表された映画『シティ・オブ・エンジェル』の主題歌「アンインヴァイテッド」が大ヒット。11月に2ndアルバム『サポーズド・フォーマー・インファチュエイション・ジャンキー』をリリース、800万枚のセールスを記録。1stシングル「THANK U」のミュージック・ビデオではアラニス本人が一糸まとわぬ姿で登場して話題となった。
2002年2月、初のセルフ・プロデュースとなる3rdアルバム『アンダー・ラグ・スウェプト』をリリース、全米アルバム・チャートNo.1を記録し、全世界で500万枚のセールスを記録、日本でも30万枚のセールスを超え、14カ国でゴールドまたはプラチナ・ディスクに輝く世界的大ヒット・アルバムとなった。
2004年5月、アルバム『ソー・コールド・カオス』をリリース。プロデューサーとして起用したのはミシェル・ブランチやシェリル・クロウを手掛け、スターダムに押し上げてきたジョン・シャンクス。11月には5回目の来日公演も行った。
その後映画やTVドラマに多数出演、俳優としても活躍、オフ・ブロードウェイ・ミュージカルにも出演。2008年5月に7枚目と成るアルバム『フレイヴァーズ・オブ・エンタングルメント』をリリース。このアルバムを最後にマヴェリック・レコードを離れた。
私生活では2010年5月にカナダ人ラッパーのマリオ”MCソウルアイ”トレッドウェイと結婚、その年のクリスマス、12月25日に男の子を出産した。