BIOGRAPHY

AEROSMITH / エアロスミス


スティーヴン・タイラー(Steven Tyler) - ヴォーカル、ブルースハープ、ピアノ
ジョー・ペリー(Joe Perry) - リードギター
ブラッド・ウィットフォード(Brad Whitford) - リズムギター
トム・ハミルトン(Tom Hamilton) - エレクトリックベース・キーボード・ベース
ジョーイ・クレイマー(Joey Kramer) - ドラムス

自分達の音楽観でブリティッシュ・ロックをフィルタリングして、ハードロックという形でアメリカ のロック界の発展に大きく寄与したバンドの1つである。1970年代、当時は「ドラッグ、アルコール、セックス」といったイメージが非常に強かった彼ら が、1980年代前半の低迷期、その後の第2次黄金期を経て、ゴージャスなロックンロール・バンドへと変貌していった話は有名だ。しかし、そのような山あ り谷ありのミュージシャン人生の中で今なお、彼らは自分達のスタイルを確立し続けている。

デビューから30年以上経った今、アメリカン・ハードロックの頂点に君臨するエアロスミスだが、 彼らはデビューしていきなり大ヒットしたというタイプのバンドではない。むしろ、デビュー当時は評判はあまり良くなかった。マスコミからはローリング・ス トーンズやレッド・ツェッペリンのチープなコピーだと非難されていた。事実初期の2枚のアルバムは演奏も録音もアマチュアっぽく、とてもトップクラスのバ ンドとは比較できないものであった。1stアルバム『野獣生誕 (Aerosmith)』(1973年)は発売当時、ビルボードチャートにチャートインしたものの、数ヶ月掛けてようやく最高166位だった。2ndアル バム『飛べ!エアロスミス』 1974年を発表。根気強くライブをこなし、徐々にブレイクしていく。

ミュージシャンとして徐々に自分達のスタイルを築いてった彼らはついに、3rdアルバム『闇夜の ヘヴィ・ロック (Toys In The Attic)』(1975年)と4th『ロックス (Rocks)』(1976年)で人気爆発。スタジアム級のバンドとなる。エアロスミスとしての様式を完全に確立している。これが彼らにとって、初めての 黄金期となった。その後のアルバム『ドロー・ザ・ライン (Draw The Line)』(1977年)、そして『ライヴ・ブートレッグ』(1978年)と快進撃は続いた。

しかし、中心メンバーであったジョー・ペリーが中途半端に参加(この後脱退)したアルバム『ナイ ト・イン・ザ・ラッツ』(1979年)は失望させる出来であった。人気も急落し、低迷期を迎える事になる。そして、2人のギタリストが完全に脱退して、後 任のギタリストを迎えて作った『美獣乱舞 (Rock In A Hard Place)』(1982年)は、商業的にも失敗に終わった。スティーブンの事故による休養もあってバンドの人気はどん底に落ちる。

いつ解散しても不思議ではなかった彼らだが、1984年、オリジナルメンバーで再結成。当初は先 行きが危ぶまれたが、新たにゲフィン・レコードと契約した彼らはヒップホップ・グループ、Run-D.M.C.による『ウォーク・ディス・ウェイ (Walk This Way)』(邦題:お説教)のカバーの全米4位という大ヒットも手伝って、徐々に数年間のブランクを取り戻していった。この時期に出した3枚のアルバム は、ヒット・メイカーとして知られるブルース・フェアバーンがプロデュースをした。『パーマネント・ヴァケイション (Permanent Vacation)』(1987年)、『パンプ (PUMP)』(1989年)といずれもセールス面において成功をおさめ、シングルヒットを連発した。続く作品『ゲット・ア・グリップ (Get A Grip)』(1993年)は完成しかけたマスター・テープを一度全て廃棄して作り直すほど徹底してクオリティーにこだわった作品で、初の全米チャート1 位、全米で700万枚、全世界では1200万枚を売り上げる大成功をおさめた。

ブルース・フェアバーン3部作で商業的に大成功した彼らは、古巣コロムビア・レコード(ソニー) 復帰し、復帰第1作となる『ナイン・ライブス (Nine Lives)』(1997年)では全米1位を獲得し、映画『アルマゲドン』のメインテーマとなった『ミス・ア・シング(I Don’t Want To Miss A Thing)』は全米シングルチャートで1位を獲得している。2001年3月には通算13枚目で全米2位のアルバム『ジャスト・プッシュ・プレイ (Just Push Play)』をリリース、2004年にはブルース・カバーアルバム『ホンキン・オン・ボーボゥ (Honkin’ On Bobo)』をリリースした。これに合わせたツアーを境にバンドは無期限休業宣言をするものの、2005年にはライブ・アルバム『ロッキン・ザ・ジョイン ト (Rockin’ The Joint)』、そして2011年現在、彼らは、ニューアルバムの製作に取り掛かっている。

彼らはこの長い経歴の中で2001年のロックの殿堂入りや、洋楽アーティストで初となる1998 年の4大ドーム制覇などに代表されるような偉業を成し遂げている。現在のアルバムのトータルセールスは全世界で1億5000万枚以上と言われている。 (from Wikipedia)