BIOGRAPHY
アバ / ABBA
ABBAについて
メンバー
ビヨルン・ウルヴァース(ギター)、ベニー・アン ダーソン(ピアノ)、アグネタ・フォルツコグ(ヴォーカル)、フリーダ(アンニ・フリード)・リングスタッド(ヴォーカル)
これまでに全世界で約4億枚のアルバムを売り上げ、17曲のNo.1ヒット・シングルと1,600万回以上の世界週間ストリーミング再生回数を誇るアバは、地球上で最も成功した音楽アーティストの一つだ。
1974年に「恋のウォータールー」でブレイクを果たして以来、アバの音楽は世界中の人々の心を捉えてきた。ベニー・アンダーソンとビョルン・ウルヴァースが作詞作曲・プロデュースを手掛け、アグネタ・フォルツコグと愛称フリーダことアンニ=フリッド・リングスタッドが情熱的に心を込めて歌い上げたアバの楽曲は、今日も尚、世界の音楽作品の中で重要な位置を占めている。21世紀においても、アバの人気は衰えることを知らない。1992年に初版が発売されたベスト盤『アバ・ゴールド』は、つい先頃、全英アルバム・チャートで1,000週目のランクインを記録。史上初の快挙を成し遂げた。#ABBAのハッシュタグを使ったTikTokのコンテンツは、同プラットフォームで楽曲が正式に解禁される前にもかかわらず、10億回の再生回数を先日達成している。アバは2010年にロックの殿堂入りを、2015年には最も愛されている曲の一つ「ダンシング・クイーン」がグラミー賞の殿堂入りを果たした。
History of ABBA
スウェーデンでそれぞれ音楽活動をしていたビヨルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンが1966年、公演先で出逢って意気投合、作曲家チームとして活動を始めた。一方、アグネタとフリーダの二人はそれぞれソロ歌手として活動していて、1969年3月に公演先でフリーダとベニーが出逢い婚約、5月にはテレビ番組でビヨルンとアグネタが出逢い、7月に結婚。その後 1970年3月にビヨルン&ベニー名義でファースト・シングル「木枯しの少女 (She’s My Kind Of Girl)」をリリース、日本でも50万枚を越える大ヒットとなった。
同年6月ビヨルンとベニーが共作した「ヘイ・ギャムレ・マン」をレコーディング、アグネタとフリーダが初めてコーラスで参加し、これを機にビヨルン&ベニー、アグネタ&アンニ・フリード名義で活動を始め、1972年に「ピープル・ニード・ラヴ」をリリース。
1974年、各メンバーの頭文字をとってABBA(Agnetha ,Bjorn, Benny, Anni-Frid)と改名した彼らは同年4月6日、イギリスのブライトンで開かれたユーロヴィジョン・ソング・コンテストにスウェーデンを代表して出場、「恋のウォータールー」で見事グランプリに輝き一躍スターダムについた。
その後1975年にリリースした「S.O.S.」はイギリスでNo.1に輝き、続く「マンマ・ミーア」もイギリス、オーストラリアで1位となった。1976年「ダンシング・クイーン」が初の全米No.1に輝き、その後もヒットを連発して世界的なスターとなった。
1978年ベニーとフリーダが正式に結婚、1980年には初の来日公演も行なわれたが、1981年にベニーとフリーダとの離婚が発表され、同年結果的に最後のアルバムとなった「ザ・ヴィジターズ」を発表、1982年に新曲6曲をレコーディングした後に活動を停止、実質的解散状態となった。
1992年10月にリリースされた19曲入りベスト・アルバム「アバ・ゴールド」がイギリスで16週連続1位を記録。翌年アメリカでもリリースされ104週連続で全米アルバム・チャートにチャート・インという記録を作り、いまなお全世界で2,800万枚以上売れ続けている。
アバがユーロヴィジョン・ソング・コンテストでグランプリをとった1974年から40周年を迎えた今年2014年、日本は世界で唯一ファン投票によるベスト盤をリリースすることが許諾され『ABBA 40/40~ベスト・セレクション』をリリースした。