BIOGRAPHY
3 DOORS DOWN
ロック・バンドの3ドアーズ・ダウンに対して、”家には帰れない”…というセリフは禁物。
ミシシッピー州エスカタウパで結成された快活な5人組は、昔ながらのロック・バンドとしての道を邁進しながら、メインストリームで成功を収めてきたが、ロック界きってのアンダードッグと言わしめた、田舎町出身者らしいアイデンティティーを、失うことはけっしてなかった。自然体で活躍する彼等は、ビルボード誌から、”まったくもってモダンなアメリカン・バンド”―という、ロックン・ロール界いち熱烈な宣伝文句を与えられた通り、イキで洒落た面と、疲れを知らないロードの戦士という面を併せ持ち、バンドの大ヒット・アンセム”Kryptonite”のような、好戦的でありながらも、ラジオ向きのナンバーを生み出した。2000年初頭に発表されたシングルは、バンドの雄々しい面と、単なるロック・バンドと分類されることを頑なに拒む、彼等ならではのナンバーであった。
まもなくリリースされるアルバムは、初めてタイトルにグループ名を配した作品であり、バンド4枚目のスタジオ・アルバムに当たる。”3ドアーズ・ダウンの決定版”と評されている本作で、グループは自分達本来の”居場所”を再認識することに重点を置き、バンドの代表作とも成り得る作品を世に送り出した。そのアプローチ方は激しく攻撃的であり、それは切なげでひときわ目を引く「It’s
Not My
Time」、コンテンポラリーな「Pages」、そして魅力溢れる第一級品「Train」など、一連の真新しいヒット作に負うところが大きい。
「僕達が今回やったのは、しっかり休みを取ること、つまり家に帰ることだった。その後、慣れ親しんだバンドに再び戻っていった」と、リード・シンガー/ソングライターのブラッド・アーノルドは言う。「アルバム・タイトルをバンド名にするのは、とても妥当な判断だった。計1年近くの休みを取った結果、互いのことが恋しくてなってしまったからさ。例えば”It’s
Not My
Time”といったナンバーには、その間に経験したことがかなり綴られている。僕はマットとトッドとクリスのことは、小学校の頃から知っていてさ。そういう関係にあるから、離れることも必要だったし、それで駄目になることはないと分かっていたし、その結果、互いのことが恋しく思えたんだ」。2005年リリースの『Seventeen
Days』レコーディング後には、ニュー・メンバーであるドラマーのグレッグ・アップチャーチがバンドに加入(新作は彼の3DD初参加アルバムに当たる)。「ミュージシャンとして、いままさに決定的な瞬間にいると思う。このアルバムは曲づくり、レコーディング、コラボレーション・レベルの面で、オールラウンド・バンドとしての力を、十分に発揮できた作品に仕上がっている。バンドの素晴らしさを、思う存分に証明できた一作だと言える」。
なかなか真実をついた言葉である。と言うのも、3ドアーズ・ダウンがこの10数年間(オリジナル・メンバーによるバンド結成は’95年)に登ってきた階段を振り返ると、彼等が数多くの賞賛を得ていることを改めて知ることが出来る。それはロック界の記録を綴った書物にも明確に記録されている: アルバム売上1300万枚、マルチ・プラチナム・アルバム3枚(2000年発表ファースト・アルバム”The
Better Life”、売上600万枚という驚異的数字を打ち出し、続く2002年発表2作目『Away From The
Sun』は400万枚を記録)、NO.1ヒット6枚、ビルボード等の賞複数回受賞、そして6年もの歳月、休みなく続いたロング・ツアーで、計32カ国を廻る。このような功績は、”よろい”にそれなりの数のキズを付けずして、成し遂げられることでは決してない。
「ニュー・アルバム制作前に休めたのは、こっちで数週間、あっちで4-5週間という感じだった。だから家に帰って、自分達のルーツを再確認する必要があったんだ」とベーシストのトッド・ハレルは言う。その上バンドは、出身地に在るベター・ライフ・ファンデーション(2003年設立以来、地元の子供達の慈善事業に200万ドル以上集める)に貢献する時間を作ることに成功した。グループは先日、ミシシッピー州ビロクシーのハードロック・カジノ&ホテルで、第4回ファンデーション・コンサートを開催した(彼等は毎年コンサート収益金の一部を慈善団体に寄付している)。更にバンドは、ハリケーン・カトリーナ被災者の援助にも積極的に力を入れ、地元の力強い存在となっている。同ハリケーンにより、リズム・ギターのクリス・ヘンダーソンの自宅が一部被害に遭った上、メンバー全員の知人や家族が、災害の影響を受けた。「当時みんながひとつになった感じがした。それで日常生活に戻りたいと思い始めたんだ。すべてを克服し、そうしてリラックスする時が来たと…。釣りに行ったり、家族と過ごしたりとさ。それまでは年間200以上ものショウをこなし、休むのは次のアルバムを出す時だけという感じだったからね」とトッドは言う。
実際のところ、賞賛された前作『Seventeen
Days』(ビルボード・アルバム・チャート初NO.1作品)は、アルバムの曲づくりに費やした日数から命名されたと誤解されたが、実は『Away
From The Sun』ツアー中にオフを取り、『Seventeen
Days』のプリプロダクションの為にスタジオ入りした、その僅かな日数を指している。
「僕達すべて型通りにやるようなバンドではないんだ。何でも一生懸命やる。ニュー・アルバムに関して最も誇りに思っているのは、みんながとことん取り組んだことだ。みんなありがちな壁にぶち当たり、みんな失敗もしたけど、そこから再び立ち上がり、そうして部屋に戻り、別の道を色々と見出していった。これって凄いことだろう」とクリスは言う。
そう、まさに”別の道”である。と言うのも、家族との再会を果たし、”ソウル・サーチング”の後に、3ドアーズ・ダウンが行なったのは、クリエイターとしての自分達の新境地を切り開くことだった。その結果グループの表現力は、より一層強いものになっていき、バンドは個々の力を合わせることにより、より大きなものを生み出せることを立証した。「あの部屋に入り、じっくり討論して物事を進めていくことを大事にした。例えば’Train’。このアルバム用に、最初の頃に書いた曲なんだけど、あれはまさにコラボレーションの精神を証明した好例だ。ブラッドが歌詞を作って来て、それをみんなで頑張っていじって、そうしてまとめた」とリード・ギタリストのマット・ロバーツは振り返る。”家に居る時から、あの曲は頭の中にあった。ずっとしつこいくらい歌っていたもんだから、ちゃんと曲として仕上げなきゃ殺すぞって、友達に脅かされていたんだ”とブラッドは笑う。その上、”凄く楽しみながら作れた曲だった。バンドとして最高の瞬間は、いつも楽しんでやれる時なんだ。何かを成し遂げようとする強い思いも必要だけど、同時に心地好く作業を進めることも大切なのさ”とマットは言う。”それから僕達は、今の時代に’Train’のようなナンバーを出す度胸を持った、唯一の’サザン’バンドだと言っても良いんじゃないかな”とクリスは付け足す。
バンドはテネシー州フランクリン南方の古い農家を借り、そこで曲づくりに励むだけではなく、しばらくの間、一緒に住むこともした。「素晴らしい古民家だった。曲づくりに専念し、心温まる経験が出来た。凄く密な雰囲気が、しばらく個々のことに専念していた僕達を、再び繋げてくれた。地方にある家の地下室の暖炉の周りで、周囲から離れたところで、ひたすら曲づくりに専念した結果、作品全体に心地好いムードが出せたと思う」とブラッドは言う。
「そうしたユニークな環境下に身を置くことにより、瞬く間に26、27曲分のアイディアが生まれたと」マットは付け加える。「でもテネシーの冬は、想像以上に寒くてさ。だからもっと温かい場所へ移動することにしたんだ」。そうしてバンドは、フロリダ州オーランドの人里離れた地に、10ベッドルームの大邸宅を探し当てた。そこへ『Seventeen
Days』をプロデュースしたジョニーK.を呼び寄せ、邸宅をレコーディング・スタジオとして使用した。
個性的なふたつの場所により、バンドは活力を取り戻していった。彼等は”仲間”であることを意識しながら、作品に懸命に取り掛かった。すべてを成し遂げた時、彼等は荷物を積め、ナッシュヴィルへ戻った。そうして伝説のミキサー、アンディ・ウォレスを再びNYのスタジオから連れ出すことに成功し(彼は『Seventeen
Days』を同ナッシュヴィルでミキシングしている)、共に最終作業に取り掛かり、そうして作品を完成させた。
このアルバムは、素晴らしい音楽の才能の結晶であると同時に、各々の印象的なアイディアが、幾つか散りばめられた作品に仕上がっている。例えばバンドお気に入りのナンバー「Let
Me Be
Myself」。「あの曲では、自分達が抱える痛みを和らげる為に取る、誤った概念による非建設的な方法について触れている。でもそう言いながらも、僕はどの曲も解釈は個々に委ねたいんだ。誰もが共鳴できる作品だと思う。つまりこれは自分を見失う様子、様々なケースに当てはめられると思う」とブラッドは説明する。それからバラード「Pages」。「メンバー全員が、色々な思いを抱いているナンバーなんじゃないかな。みんなが経験してきたことだ。ブラッドは自分の個人的な問題と、それから僕達のことをこの中で綴っている。みんなにとって、凄く意味深い曲になっている」とマットは言う。
グループはまた、「Runaway」のような、押しの強いロック・ナンバーにも取り組んだ。「ぶっ飛びたい時にかけるような曲だと思う。車の中でかけながら、思い切りスピードを出したりしてさ」とトッドは説明する。アルバム最後を飾る「She
Don’t Want The
World」もまた、これまでの3ドアーズ・ダウン・ナンバー中でも非常にユニークな作品であり、バンド・メンバーも気に入っている。「凄く気に入っている曲だ。ビッグ・コーラスなどがあるわけではなく、ブラッドが語っているだけなんだけどさ」とトッドは言う。「あの曲ではループも使っているんだ。色々と変わったことをやりたくてさ。このアルバムが僕達にとって特別な作品になったのは、これまでとは違って、制作に入る前に別々の場所に居たからだと思うんだ。’よりベターな場所’と言うのかな。でもあのメリーゴーラウンドからしばらく降りていなかったら、絶対に出来なったタイプのアルバムだ」とブラッドは付け加える。
グレッグ(ルイジアナ州生まれオクラホマ州育ち、元パドル・オブ・マッドのドラマー)にとり、”It’s The Only One
You’ve
Got」のような元気のいいナンバーもまた、バンドが一丸となる時に働く”第六感”が感じられる好例であると言う。一貫して、偽りのない民主制。「まさにそんな感じでこれは完成した。クリスが別の曲に取り掛かっていた時に、偶然この曲のリフを思いつき、ブラッドが’ちょっと待ってよ、その続きが出来そうだ’と言い、別の誰かがふたりに加わって…と、すべて一瞬の出来事だったんだけど、そうして物凄く感動的な曲が出来上がった。こんな風に一丸となってやった経験は、これまでなかったことさ。そうして今までの中で一番満足のいく作業となった」
「この魅力的な作品をリリースし、再びツアーに出たくて、今からウズウズしている。やる気を再び奮い立たせてくれたアルバムだ、間違いなく」とブラッドも頷く。